高山右近

鶺鴒は夜霧を越えて

行ってしまった。多くの感染者を出した病は、嵐のように人々を巻き込んで行った。そして彼らは海で南を目指し、旅立った。彼らを先導する男は与一郎の深く知る人であった。まるで嵐のあとの夜のような日々だ。風の音ばかりがいやに響いている。結局彼の言って…

同じ想い 違う心

初めてそれを聞いたのは、久しぶりに二人で酒を飲み交わしていた時であった。その日は月の見えない夜で、隠し事を暴露するのにある意味ではうってつけだったのかもしれない。それに加えたいそう酔っていたのか、与一郎の親友は少々据わった目でとんでもない告…

知らなかった頃へなんて戻れない

形だけの棄教とはいえ、やはり心苦しい。いくつか身の回りのものを手放さざるを得なかったが、最初に洗礼を受けると決めたときに右近から受け取ったロザリオだけは、何があっても手放す気になれなかった。常に身に着け、自分を導いてくれた大切なものだ。ロザ…

例え 赦されなくても

人は罪により生まれ、罪により生き、罪とともに死んでいく。良き行いをすれば天の国に迎え入れられ、悪い行いをすれば地獄が待っているという。子どもの頃から繰り返し聞かされた言葉だ。単純なようでいてその言葉は非常に奥深い。もちろん子どもの頃はそこま…

鳥籠の秘密

唐突に与一郎に呼ばれて、大した土産物も持たずやってきたが、やはりなんらかの言い訳をつけて断るべきだったかもしれない。呼び出した主人は所用で遅れると向こうの小姓は言っているし、ではまた出直すと言おうとしたら、主人からの言づけでございます、と小…

鶴の見るもの

与一郎は知っている。すべてではないが、それに近い何かを。彼から届けられたものを全て眺めたところで与一郎は溜息をつくと、舌打ちをして側仕えの若手を追い出した。乾いたはずの体がまた汗をかいている。忌々しげに拭ったが居心地の悪さは拭いきれない。今…

聖者はいまだ愛を知らず

主は人をその姿と同じくしてお作りになられた。人は智を手にし今に至るまで、その智から片時も手を離すことはなかった。たとえどんな絶望に打ちひしがれたとしても、智と人とは切り離せない関係にいた。だからこそ人は文字を書き、絵を描き、残し、伝え、少し…

野ばらの瑕

もともと人の話を聞くのが好きだった。同じ事象でも、そこに立ち会った際の立場や人柄で物事ががらりと変わって見えるのは面白いし、話す側の人となりもよく見える。こと武辺談については向こうも気前よく二度も三度も同じ話をしてくれるため、一度目とどう違…

小田原にて

その後ろ姿に与一郎は確かに動揺を隠しきれなかった。右近は戸口に立つ与一郎や忠三郎の存在に気がついていないのか、彼の唯一の主人である神に祈りをささげていた。跪き、なにかを呟くその姿はそれまで見てきたなによりも美しく、それでいて悍ましささえ感じ…