鳥籠の秘密

唐突に与一郎に呼ばれて、大した土産物も持たずやってきたが、やはりなんらかの言い訳をつけて断るべきだったかもしれない。

呼び出した主人は所用で遅れると向こうの小姓は言っているし、ではまた出直すと言おうとしたら、主人からの言づけでございます、と小さな紙切れを渡された。
紙には相変わらず神経質そうな細い文字で、しばらく茶室で待っていて欲しいとだけ書いてあった。裏返すと、これを見たら燃やせといった文言まで入っている。わけがわからない。与一郎のことだ。また何かの悪戯かもしれない。もう子どももいるというのにいつまで経ってもどこか子供っぽいところがあって、忠三郎の理解を軽く超えてしまう。

いつ来ても少し薄暗い茶室に通され、手元の紙切れを眺める。
一応、目の前には炉があるものの、主人がいないというのに勝手に弄くり回すのは流石の忠三郎にも躊躇わられる。そうでなくても相手は与一郎だ。
溜息をつきながら伝言を畳み、胸元に押し込んだ。どうせ燃やさなくとも、大した内容ではないのだし大事にはならないだろう。
ちょうどその時、外からの人の気配を感じ、少し驚きながらもようやっと与一郎が到着したのかと顔の筋肉を緩めた。久しぶりにゆっくり話せる。今度は何の話をしようか。土産物はないが、話してやりたいことは抱えられぬほどある。
急な呼び出しにも応じたのは、そういった意味もあった。

しかし、忠三郎の期待とは裏腹に、茶室に這入ってきた男は与一郎ではなく、また別の意味で忠三郎が内心会いたいと願っていた人物であった。
墨染のような艶のある黒髪に陶器のような白い肌の対比が、光の少ない茶室でさえ際立つ。憂いを帯びた目許が忠三郎を認めると、少なからず驚いたようではあったが、すぐに優しげな笑みに変わって近付いて来た。
「…高山殿」
「やはり飛騨殿もご一緒だったのですね」
笑顔を返すが、内心は動揺している。
忠三郎は思い出したのだ。少し前、この屋敷を訪れた際に、与一郎に右近とのことを相談したことを。
その時は二人ともかなり酒が進んでおり、なかなかに過激な言葉も吐いたような気がする。いや、どちらかというと吐かれたような気がする。
「やはり、とは」
動揺を押しとどめて、尋ねる。
そして、存外にその肌理の細かい肌が目の前にあることと共に、何故与一郎がこの茶室を選んだのかを身をもって痛感した。謀ったのだ。奴は。あの夜相談した…右近を想ってしまう自分を、与一郎は試すようにこうして二人きりにしたのだ。
焦る忠三郎に全く気がついていないのか、右近は笑みを絶やさず嬉しそうに口を開く。薄く形の良い唇を直視できず、視線はあからさまに彷徨った。
「いえ、門に以前礼拝堂でお会いした方がいらしたので、もしかしたらと思いまして」
…そういえば連れてきた若手の近習の中に、以前自ら志願して礼拝堂についてきた者がいた。信仰深いものだと褒めてやった記憶がある。しかしあの場所で右近とまともに会話も交わしていたかすら、忠三郎には覚えがない。それくらいの者の顔をよく覚えているものだ。その記憶力に素直に感服した。
「細やかなお気遣い感謝します。彼も喜ぶでしょう。後で伝えておきます」
「いえいえ、偶然ですよ、それにしても与一郎殿はどうされたのでしょうね」
外を見ようと僅かに伸ばされた右近の白い首元に目を奪われる。
昔、まだそこまで互いのことを知らなかった頃、昔語りと共に見せられた白い首筋に伸びる引き攣れた褐色の傷痕を思い出す。
その傷痕は今もまだ、この濃い藍色の布の下に存在するのかと思うと、忠三郎は右近の何気ない問いに応えるのに精一杯になってしまった。
「さあ…奴の考えることは、私にもなかなか分かりかねます」
気取られないよう目を逸らしたが、それが右近の疑念を逆に掻き立てたようだ。先ほどからの狼狽ぶりだ、いい加減見逃さない右近でもあるまい。様子を伺おうとちらりと見やると、じっと忠三郎を見ているのがわかり驚いて視線を逃がしてしまう。
与一郎の考えていることは、全てではないが少しは推し量ることができる。しかし、素直に話しても右近はきっと理解しようとしないだろうし、下手をしたら今までの関係をむざむざ崩すことになるだろう。そんなことは勿論避けたい。
忠三郎の葛藤も知らないのだろう、右近は忠三郎の顔を覗き込もうとする。ず、と衣擦れの音がして、右近の体が忠三郎に寄ったのがわかった。
「飛騨殿は、与一郎殿と昔からの仲なのですよね」
いま振り向いて手を伸ばせば、その華奢な体を包むことは簡単であろう。それができれば、それさえできれば苦労はしない。
「え、ええ…十五年ほどの付き合いになります」
「こういうことは度々ありましたか?少なくとも私はこれが初めてでしたが」
右近は忠三郎が与一郎と共謀してなにか悪戯の悪巧みをしているのではないかと疑っているらしい。
目をそらすのが悪手だとはわかってはいる。清廉潔白の権化のような右近相手に、この対応は火に油だ。しかし、忠三郎は右近の目を見て話すことができなかった。ひとたび見つめてしまえば、何も言えずにその目に吸い込まれてしまうような気がした。子どもの頃、忠三郎の目は吸いこまれそうで怖い、と父親に言われたことがあった。その怖さがこの年になってやっとわかったような気がする。
「いえ、…あの、高山殿…」
「どうしましたか?飛騨殿、こちらを見てはくださらないのですか」
彼なりの皮肉なのだろうが、忠三郎の背に冷や汗をかかせるには十分すぎる。
とにかくこの場をやり過ごしたい気持ちと、与一郎の見え透いた思惑に嵌りたくない気持ちと、いっそ与一郎の誘いに乗ってしまおうかという気持ちが綯い交ぜになる。しかし、いつまでももごもごと言葉を遊ばせるわけにはいかない。この一瞬にも右近の疑念は募るばかりだろう。
…伝えるだけだ。それ以上はないのだ。これは与一郎に乗せられたわけではない。いつか乗り越えなければならないことなのだ。一度呼吸を正すと、言葉を舌にのせる。
「…いつか、あなたに言おうと思っていたことがあるのです」
その声は自分で思ったよりも上擦り、何故だか病人のようになってしまった。その情けなさに自らを呪いながらも、少しずつ言葉を紡ぐ。
「私に、ですか?」
「…ええ、あの…高山殿、私は……」
貴殿を慕っている?だめだ、これでは向こうが気がつかない。好いている?あまりにも直接的すぎやしないか。貴殿と………やめろ、そういうことを一番嫌がる相手であることはわかりきっているではないか。
必死に言葉を選ぶが、どの言葉でも言い表せない。どうして一瞬でも伝えるだけなどと思ってしまったのだろう。
「どうなされました、…飛騨殿?」
忠三郎のただならぬ様子に、右近の声音から棘がなくなったのがわかった。
「怒らないでください…私は…どうかしているようです…」
情けないが、涙が出そうだ。しかしここでさめざめ泣いたとしたって、きっと右近はその真意に気がついてはくれないだろう。
だからこそ、涙を落とすことはできなかった。ただ、震える声ばかりは、自分ではどうにもすることができなかった。
「…高山殿と、ずっと傍に居たい、そう思っているんです」
「………」
右近は答えなかった。その表情を見ることは、できなかった。
…ひとたび戦場に出れば、誰よりも前に出る勇気を持っている。それは忠三郎にとっては誇りであるとともに、当然のことだと思っていた。誰になんと言われても、それが忠三郎の勇気だった。しかし、いまの自分ときたらどうだ。たった一人に思いも告げられず、それどころかまともに顔すら見ることができない。なんて情けない、そんなこと自分が一番分かっている。
もう一番伝えたいことは言葉に出してしまった。一度出した言葉は、どんな否定の言葉をもってしても取り消せないだろう。ええいままよ、と一気に絞り出す。
「私は…貴殿のことを、とても大切に思っています。できることならこのままずっと…」
「飛騨殿」
右近がそっと肩に触れ、忠三郎の言葉を切った。その瞬間、あれだけ躊躇っていたのが嘘のように、自然と振り返っていて、自分でも驚いた。右近の顔が、肌が、頬が、目が、唇が、存外に近くにあって、息を呑む。自分がどんな顔をしているのか考えたくもなかった。
「伴天連達が言うには、彼らの国では親しき友に挨拶するとき、こうすることもあるそうです」
……。
何が起きたか、何をされたか理解するには時間がかかった。
頬に触れた暖かい感触が、じわりじわりと時間差で忠三郎にそれを理解させた。させたが、理解した頃にはそれはふと離れ、眉を下げて笑って弁明した。
甘い毒に酔ったような、僅かな眩暈を覚えて右近を見るので精一杯であった。
「やはりこちらの国向けではないですよね。……私も、飛騨殿とずっとこうして、盟友として共に歩みたいです」
盟友。
その言葉を聞いた瞬間、真正面から冷水をぶちまけられたような気がした。
盟友。
そうだ、彼にとって、忠三郎という人間は、あくまで同じ方向を見る同志に過ぎないのだ。
頬に受けた愛の形は、忠三郎が思う愛の形では決してない。
急に気が遠くなってきて、言葉もうまく吐き出せない。
「飛騨殿?」
目の前にいるはずの右近の声が、とても遠くからの呼びかけに聞こえる。この人と向き合うことなんて、一生ないのかもしれない。絶望というには深すぎる。
そんな忠三郎をこちらに引き戻したのは、徐に開けられ、差し込む陽の光とともに茶室に這入ってきたこの屋敷の主人だった。
「いや、急なお誘いの上にお待たせしてしまって申し訳ない。右近殿、飛騨殿」
細身の色男は仰々しく指をついて一礼する。いやににこやかなのが腹立たしかった。

—-

「何を考えているんだお前は」
右近が帰り、忠三郎もそれに倣ってこの居心地の悪い思いと共にさっさと帰ろうとしていた矢先に引き留められ、是非酒でもというので渋々居残った。非常に面白いものを見たという顔をする与一郎の表情は、謀って忠三郎と右近を二人きりにしたことは自明の事実であった。
一発くらい張っても今なら許される気がするが、それをしたらますます虚しくなるのがありありと予想できて拳を握ることもしなかった。
ただ、自分でも子どものやるようなことだとわかってはいるが、憮然とした表情を隠せない。
「それでもよかったではありませんか。思いは告げられたんでしょう?」
「そういう問題ではない」
そういう問題ではない、と何度か繰り返した。与一郎に言うのももちろんだが、一番は自分に言い聞かせていた。
何故なら、与一郎に謀られたのを怒る一方で、与一郎の言うことに素直に賛同している自分もいたからだ。乗ったつもりはないが、内心乗ってよかったとまるで思わなかったかと言えば嘘になる。
「大体与一郎、お前は反対していたではないか、諦めろと何度聞いたかわからんぞ」
与一郎はふっと笑った。
「何度言っても諦めないからこそです。一度くらい自分の気持ちに向き合うことは大事でしょう」
「…向き合っていないというのか」
眉をひそめる。どれだけ苦しんでいるのかを察せない彼ではないだろうに。しかし与一郎はそんな忠三郎の視線など気にせぬ素振りで視線を外にやった。
「それで、どうでした。あの方と話してみて」
倣って外を見たが、痩せ細った月が銀細工のように浮かんでいて、忠三郎の焦燥を笑っているような気がした。顔をしかめすぐに視線を戻し与一郎を見ると、目だけこちらを向いていた。その視線の意図がわからない。何を言えというのだ。頬に口づけを受けたこと以外は先ほど酒を飲みながらすべて話したではないか。それとも察しているのか。末恐ろしいことだが、そんなことができるわけがないと内心首を横に振る。
「どうもなにも…あの方にとって俺は、盟友以外の何物でもないのだ。何度も言わせるな」
「忠三郎殿はどうなのです」
「どうとは」
「あの方と話して、打てども響かないあの方に、どう思ったのです」
「……」
…まるで響かなかったわけではない。与一郎がそれを知るすべはないが、右近が何を思って忠三郎にあんなことをしたのかはわからないのだ。もちろん、純粋に友情の証だったのだろう。忠三郎にだってわかっている。期待するのは愚かだし、右近の気持ちを踏みにじりかねない。
それにしても、あの潔癖のきらいのある右近があのようなことをしたというのだろう。
期待してもいいのだろうか。少なくとも、隣いることは、悪いことではないと右近は判断してくれたのだろうか。その隣にいる自分という存在が、どれだけの劣情の塊を抱いていたとしても。
「これで飛騨殿が諦めていただけたらと思ったんですがな」
ふう、と息をついて与一郎がぼやく。やはりそういうつもりで謀ったものだったのか、悪戯を見つかった子供のような顔をするものだから怒るに怒れない。昔からそうだ。与一郎という男は。
「これはあなた一人の問題ではない。向き合うというのはそういうことです」
そう言う与一郎の表情が何故かしらどこか寂しげに見えたのは、きっと気のせいだろう。