知らなかった頃へなんて戻れない

形だけの棄教とはいえ、やはり心苦しい。いくつか身の回りのものを手放さざるを得なかったが、最初に洗礼を受けると決めたときに右近から受け取ったロザリオだけは、何があっても手放す気になれなかった。常に身に着け、自分を導いてくれた大切なものだ。
ロザリオを眺めては、小波のように打ち寄せる記憶と戯れることしかできない。これを手にしたあの頃はまだ、右近への想いに完全には気付いていなかった。まだそれは、よくわからないものに対する純然たる好奇心と、右近の清廉な雰囲気への仄かな思慕のようなものでしかなかった。
少しずつその気持ちが、よくないものを孕んで大きくなっていくのを、忠三郎は気がつかなかった。
気がついたころには、忠三郎一人でどうにかできるようなものではなくなっていた。我ながら滑稽だ。

そもそもこんな風にもの一つでため息をつけるほど、自分は繊細な生き物であっただろうか。
家のため、自分のため、忠三郎は恐れ知らずの豪胆な侍としてふるまうことを信念としていたではないか。人ひとり、物ひとつで人間ここまで変わってしまうのか。世の中の知らないことを埋めるように、様々な物事を咀嚼していた忠三郎だったが、未だにこの想い一つに振り回され、これを治める術を知らない。

思えば与一郎には本当に悪いことをした。いや、未だにしている。自分の想いに気がついたころから、忠三郎はことあるごとに与一郎の元を訪ねては、右近とのこと、自分のことを相談した。
年下だというのに忠三郎よりもずっと大人びた与一郎は、普段のようにからかわずに真面目に聞いてくれた。そして真面目に答えを出してくれた。
彼は元より叶うことのない思いなのだから諦めろ、と何度も丁寧に諭してくれた。それで諦められるのならば世話はない。けれども、与一郎の手前、その時その時は笑ってもう諦めると言わざるを得なかった。
しかし、笑うたびに、諦めると口に出すたびに、ひどい劣情を含んだ想いは膨らんでしまった。
そうしてまた相談するのだから、与一郎からしたら溜まったものではなかっただろう。右近の名を出した瞬間に、いい加減にしろと言われたこともある。
彼の怒りはもっともだ。ああ見えて彼は真面目で繊細なのだから。そんな彼の言葉を前にして何も言い訳はできない。

それからしばらくして、右近がすべての財産を棄て姿をくらましたという情報が入ってきた。
忠三郎はいてもたってもいられなくなり、方々に手を回した。所在をつきとめるのは少し手間取った。南に南に逃げ、同じ教えを守る小西家に匿われたそうだ。
その話を最初に聞いたときは愕然とした。何も聞かされなかった。何も知らないまま、右近は消えてしまった。周りからは何かなかったかと尋ねられることもあったが、答えることはできなかった。忠三郎は本当に何も知らなかったのだ。

その後、いくつかの家が右近を庇護しようと、彼に打診をしたそうだった。忠三郎も倣って手を挙げようとしたが、できなかった。
家内だけでなく、もう家を出てしまっている妹にすら相談した。皆、やんわりと諦めるように諭した。躊躇するのは仕方がない。こんな世の中だ。それは忠三郎にだって十分わかっていた。

家のため、忠三郎は振舞っている。家族や家臣達を守るのがこの立場にある男の一番の仕事だと、子どもの頃から教えられて育った。
彼を庇護すれば、その時は満足だろう。しかしそのあと、家を守りきれるのか。禁教の触れが今後なくなるとは限らない。いや、むしろ厳しくなる危険性すらある中で。家を守れなければ、右近を守ることなどできるはずもない。
それは妹にすら言われたことだ。これを理解できないほど忠三郎は愚かではない。しかし、かといって何も知らない無邪気だった頃にも戻ることはできなかった。

この想いに気がつかなければ、どれだけ楽に生きることができただろう。この想いを受け止めさえしなければ、どれだけ平和に生きることができただろう。
諦めることなどできない。気がついてしまったから。もう答えは出ているはずなのに、数え切れないほど悩んだ。数えきれないほど苦しんだ。
この想いが叶えられてはいけないことだということは誰よりもわかっている。誰かに言われるまでもない。
ロザリオを手放すことができない一番の理由は、あの頃へ戻りたいという強い思いがそうさせるのだ。
しかし、もしも時間を遡ることができたならば、この想いに気がつかない道を見つけることができただろうか。
そして苦しみを回避して生きていくことができたであろうか。

連絡が取れなくなり、もちろん顔を合わせることもなくなって一年余りが過ぎた頃、前田家に移ることになった右近と久しぶりに会うことが出来た。
少し痩せたようだったが、相変わらず彼を包む空気は清浄そのもので、どれだけの苦難を歩んでいても…いや、苦難の道こそがそうさせるのか、彼の魂の美しさは不変的なものだと思い知らされた。
伝えなければならないこと、聞きたい話など枚挙に遑がなかったが、その中に本当に伝えたい言葉を並べることだけは、どうしてもできなかった。それどころか目の前で微笑む右近の目を見ることすらできなかった。それは守れなかった後ろめたさか、善からぬ思いを抱いている背徳感からくるものなのかは、今に至っても判断できないままである。