蝶に花を

それから暫く経ったある晩のことだ。
奥の間から聞こえるかすかな鼻唄が、死にゆく夜を彩っている。機嫌の良さそうな家光の鼻歌を、正盛は彼の腕の中で聴いていた。当たり前にあるこの居場所は、当たり前に手にしたものではない。たまに思い出すのだ……死んだ父のことを。あれはまさしく正盛がこの手で殺したのだと思う。あの時、きっと自分も同じように死ぬのだろうと悟った。
正盛は少し身じろぎをし、家光を見上げる。彼は……外の方だろうか。どこかをなんらかの意図をもって見ているようだが、それが何かはわからない。彼の全てを正盛が知ることはないが、逆はけしてありえない。だからこう訊ねるのだ。
「何か良いことがあったのでしょうか」
家光はちらりとこちらに視線を寄こす。その目は幼い頃のそれに似ていた気がした。どこか飢えたような眼差し、常に獲物を追い求めるそれは、にい、と笑った。
「迷っている蝶がいたのを花に止めてやっただけだ。お世辞にも美しい花ではないが、野の花の強さは蝶を守るのに十分だろう」