右近殿はこういうことはお嫌いなのだと、忠三郎はそう自分に言い聞かせていた。互いの想いを打ち明けしばらく経つが、体に触れることは少なかったしまだ互いの素肌すら全てを知らない。忠三郎はまだ彼の許しをもらっていない状態だが……今更そんなことで落ち込むようなことでもないだろう。自分たちを結ぶ誓いを前にすれば、一夜寝てるかどうかなどなんの意味もないのだ。
……と、そう思っていた忠三郎にとって、今の状況は緊急事態といってよかった。
「私が、飛騨殿にとってはあまり、そういう目では見られない人間だということは重々承知なのですが…」
普段から右近のことはよく怒らせている。最近やっと彼の怒りの勘所を覚えたところなので、今後の活躍に期待してほしいところだ。しかし今、忠三郎の目の前で肩も眉も寄せ、少し困ったようにすらしている右近が何に怒っているのかについては、ほぼ初めての経験なのでどうしたらいいかわからなかった。
こちらとしては右近の話す世界の色が、少しでも偽りなく自らの目に映るように言葉を聴いていたつもりだ。束の間とは言え、ふたりきりで話すのだ。右近が少しでも不快にならないよう気を配っていたはずだ。今日だって、寄り添うように右近の話を近くで聴いていた。それがどうしたことだろう。確かにぬくもりのある彼の指先は今は悩ましげに忠三郎の袖を掴み、少しだけ柔らかさの残る頬があまりにも近い。
触れてはいけないと思っていた。右近の素肌を見たいと思うことすら万死に値する罪だとすら思っていたのだから。
「右近殿……」
なんといえばいいのだろうか。これが右近でなければ、何かそれらしいことを言って場を誤魔化すなど簡単にできたはずだ。思ってもいない睦言だって、言ったかもしれない。しかしそれを彼相手にするということがそもそも選択肢になかった。そんな紛い物のような言葉を並べて何になろうか。
それに……忠三郎はけして自らも右近も卑下するつもりはないのだが、怖いのだ。この手が、右近に触れることによって、右近に嫌な思いをさせはしないか、ここまで作ってきた関係を崩してしまうのではないか。
欲がないなんて格好つけるつもりはないし、右近の様子には惑わされてばかりだ。しかしこの惑う気持ちをそのままぶつけてよいものか。
「……支度を」
右近が小さくつぶやく。本来ならば抱きしめるくらいはしたほうがよい。それがわからない忠三郎ではない。
しかしためらうその様子を見た右近の方が動きが早かった。右近が体をぶつけるように抱きついてきて、思った以上の力強さに思わず声が出た。
「わっ……あの、右近殿」
「支度をしてきてしまいました。どうか……」
そう言って見上げてくる瞳が潤む眼差しに、忠三郎はついに、頷いたのだった。
完全に人を払い、もう今日は二人で夜を語り明かすぞというていで、しかしそれでも密やかに二人は唇を重ねた。
初めてのそれは、思っていた以上に心地よくむしろ忠三郎を混乱させた。経験を重ねているのはこちらなのだ、向こうが支度をしたと言っている以上、せめて痛みのないようにせねばならない。右近の体を横たえさせると、自分もそのすぐ横に寝た。あまり組み敷くようなことはしたくなくてそうしたのだが……。
「飛騨殿?どうして……あの」
小さく首を傾げるように、もぞ、と体を揺らすその姿が愛おしい。以前の忠三郎ならば、感情に任せてその体を貪っていたかもしれない。しかし右近相手にはできないのだ。だからつい、子どもじみた言い訳をしてしまう。
「いや、あの……右近殿の上にのしかかるのは些か……」
そう言うしかなかった。自分でもそんな理由があるかと思ってはいる。しかし一つの失敗すらもしたくないのだ。右近が少しでも自分との関りにあたって苦痛を感じるなんてことは耐えられない。
すると右近は乱れた衣のまま上体を起こし、きゅっと唇を噛み締めるような表情をした後に寂しげに呟く。その表情が、あまりにも作りものめいて美しかったので、思わず声が出るかと思ったし、瞬間自分の無様さに情けなくなった。
「私は……あなたが思うほどひ弱じゃありませんから、私にあなたの重みを教えてください」
そっと、腕を伸ばしその体を絡め取ってくる。初めて見た右近の素肌は……言い方がおかしいかもしれないが、想像していたよりもずっと人間のものだった。その衣の下は一体どうなっているのかと、まるで初心な少年のような思いを実は無意識に持っていたのだとこの時初めて気がついて、忠三郎は急に気恥ずかしくなった。右近は忠三郎の体を抱き留めると、まるで幼児でもあやすかのように背中を何度かさすった。
初心だったかもしれないが子どもではないのだ。対抗するように右近の唇を舐め、体をまさぐった。小柄で、以前よりもすこし痩せたようだが均整の取れた体だ。姿勢や所作の美しさが右近の魅力を増しているとかねてより思っていたが、少し背を反らし与えられる快楽に気を遣っているところすら彼の秘めていた艶やかさを物語るようでぞくりとした。首筋や胸元、脇腹に唇を寄せ、たびたび惹かれあうように唇を重ねた。こんなにもどかしい閨は初めてかもしれない。
「あ……」
じわじわと右近の体にしみでも作るように、緩やかな愛撫だった。最初は緊張もあったのだろう、強張っていた右近の体も、忠三郎の与える刺激に少しずつ慣れて来たのか少しずつ本来の柔らかさを取り戻してきている。
熱を分かち合うような触れ合い。これでいいと思っていた。
「あのっ」
しかし気が付けば右近は……あまりよく伺えないが、きっと上気しているだろう頬で、吐息とともに少し上擦った声でこちらの更なる愛撫に声をあげた。焦ったようなこの声音は聞いたことがなかったと思う。思わず何かやってしまったかとこちらがびくりと体を震わせてしまった。
「どこか痛かったですか」
「ち、ちがいます!ずっと、その……へ、変なところばかりっ」
こちらとしては隅々まで右近のことを知りたいし、少しでも好いところを見つけられれば辛くもないだろうと、薄くとも反応のあった乳首や内腿、腰を重点的に刺激していたのだが……反応が出てこないだけで本当は嫌だったのだろうか。
「嫌でしたか、すみません……ええと」
腕を掴まれ、ぎゅっと抱きしめられる。体勢を崩して完全に右近の体に身を預けることになってしまい慌てたが、近くなった耳元に消え入りそうな声が響き、更に慌てることになる。
「あまり……じ、焦らさないで……」
「えっ」
忠三郎の問いに、右近は少し息を呑むだけで返事をしなかった。焦らすつもりなどなかったのだ。むしろ右近の反応を見るに、やはりあまり性的な触れ合いで彼が喜ばないのではとドキドキしていた。右近の体を抱き寄せると、堪えているようだがずっと呼吸が浅く、時折息を我慢しているようだった。相手のこともよく考えず何をやっているんだと自己嫌悪に陥りそうになったが、忠三郎の愛撫に右近が感じているということの嬉しさが勝ってしまい、それは更に彼の声が聞きたいという欲に取って代わった。
「あの、触るので……声を我慢しないでもらってもいいですか……我慢されると、その……加減がわからずずっと触ってしまいそうで……」
「そ、そうなのですか?」
実際にそんなことはふつうないと思う。しかし今の忠三郎は時間の許す限りずっとこの愛おしい素肌に触れていたかった。今日はもうそれだけでもいいと思うほどだったが、流石にそれを口にしたときに右近に幻滅されたり、不気味がられやしないかと思ったので黙っていた。
右近の体を抱えるようにして、とにかくあまり焦らしても良くないだろうと露になった彼の雄に触れる。
「んっ……あ、飛騨殿、ひ、あっ」
随分と我慢していたのだろうか、少し扱くだけで先走りがこぼれてくる。こんな様子を実は彼への好意を意識したその晩から想像するばかりだったのだが、邪念ともいえるその幻のはるか上を行く痴態にどうにかなりそうだった。何とか耐えて彼の雄を宥める。
「一度、出してしまったほうが楽かもしれません」
「んっ……!で、でもっ!飛騨殿、も、もう」
普段の様子を考えたら忠三郎の手で乱れるなんて考えられないほどに、右近は生真面目だ。猥雑な話には関わらないし、忠三郎がそういう話で盛り上がっているときは少し怒るそぶりすらする。禁欲的で厳しいことは、彼の姿かたちが忠三郎好みだからこそ救いにもなった。結果、こうして信頼を得て行為に及んでいるのだが……。
右近は腰をもぞもぞと動かす程度だが、溜まった欲を解放したいのだろう。そんな様子も可愛らしい。丁寧に扱いていくと、やがてびくりと震え忠三郎の手の中に精を吐き出した。
「あ……」
荒い息に胸を上下させ、右近はふるりと体を震わせる。なんて愛らしいのか。本人は年嵩だからと褒められることを嫌ったが、快楽に打ち震える姿すら忠三郎の心の奥底にある素直で純朴な感情を鷲掴みにするものはないのだ。
右近の唇を舐め、ひゃ、と声が漏れるのを楽しみながら、忠三郎は右近と体勢を入れ替えるように促し、自分の上に跨らせた。体位を変えたことでより右近の様子がわかる。体のどこが震えているとか……背中に手を回し、そのまま指先をその慎ましい臀部に伸ばす。清めてきたとは言うが、どこまで慣らしているかなどわからない。本来ならば伏せさせて後ろから触ったほうがいいのだが、右近の恐怖心を煽りたくないし、何よりその顔が見えなくなるのは嫌だった。首筋や耳朶に愛撫をしながら、そっと後孔に触れた。
「ひゃ」
後ろを触られたからか、もしくは耳が弱いのか、ひゅ、と息を呑んで体を緊張させてしまう。声をかけ、呼吸を合わせるようにゆっくりと触り、少しずつ解した。中はきつく忠三郎の指一本でもなかなか動かせないほどだ。香油を垂らし出し入れを繰り返す。
「飛騨殿、そこ……あ、あっ」
少しずつ好いところを探った。時折ぎゅっとこちらにしがみつく指に力が入るので、その場所を優しく押すように刺激する。
指の出し入れで少し淫靡な音が立ち始めた頃、忠三郎の耳元で右近が掠れた声でこう懇願した。
「も、だ、大丈夫なので……っ」
「しかし、まだ痛いかも」
そう言い終わる前に、右近は腰から脚までをびくりと震わせ、微かに首を横に振ったのが分かった。
「は、やく」
鼻にかかる甘い声が、忠三郎の理性を試すように振り乱す。酷くしたくない、せめてそう思いながら右近の体を抱きしめ、自分の腰を跨いでいるそのすらりとした脚をもう少しばかり開かせると、後ろに自らの雄を潜り込ませる。
「ん、う……」
呻くように息を漏らし、少しだけ背を丸めた右近が忠三郎の肩口に吐息を漏らす。このまま噛み付いてくれてもいい。そう思って促したが猫のように舐めたり、と思えば甘噛みを何度かする程度だった。右近には右近の、忠三郎を想う気持ちがあるのだと少しばかり嬉しくなったが、そんな様子だったので動くわけにもいかず、馴染ませるように暫くじっとして、髪や背中を愛おし気に撫でていた。右近の中は当然ながら非常に狭く、血でも出てはいないかと心配になるほどだった。やっと繋がれたという充足感だけで正直達してしまいそうで、だから右近がおもむろに身をよじり腰を揺らした時は危なかった。思わず声の一つも出るというものだ。
「わっ……右近殿、やはり痛いのでは」
「ち、違……も、もう、うごいて……お願いしま……あ、あっ」
「え、あ、待ってくだ、ちょ……っ」
慌てて言われるとおりにこちらも少しだけ膝を立て、抜いて……中にまた挿し入れてを繰り返す。右近はふうふうと息を吐きながら、忠三郎が動くたびに小さく喘いだ。ああ、求められている。今まではこの手が、この目が、このからだとその中にあるものすべてが、一方的に右近を求めていたものだと思っていた。しかしそれは大きな間違いだったのだ。器用ではないかもしれないけれど、こちらをまっすぐ見て求めてくれた。
忠三郎としても、こんなにゆるやかな交わりは初めてだったと思う。こちらが導かなければなんて考えはとうに消えていた。右近もまた教えてくれるのだ。暖かさが、心地よかった。
「こ、こんな、ことになるとは……」
互いに満たされ暫く経ち、互いの熱がようやくいつもの穏やかさに戻ったころ、右近がそう言うので忠三郎はちらりとその顔を盗み見るように見上げた。居住まいを正しつつあるその肌は、もう先ほどまでの噎せ返るような甘い空気を孕んではいないが、まだ微かに……確かに存在している。
「……思い通りじゃなかったんですか」
珍しく、意地の悪いことを言ってしまった。右近がかつて、忠三郎に耶蘇の教えを勧めてきた際に……無責任な周りの男たちが、右近の様子を『あの男は教えのためなら手段を選ばない』と揶揄っていたから、なんとなくそう思っただけだ。実際右近は手段を選ばなかった。ただあの時の彼らの揶揄はそこにはない。きっと相手と性的な関係を持つことも厭わないだろうという意味だと思う。要は根も葉もない猥雑な話で、それこそ右近が嫌う毛色のものだが……。
「飛騨殿は想像していたのですか?」
敏感にその空気を察したのだろうか。少しむっとした顔をする右近が、今は少し……いや……ものすごく、可愛らしいと思うのだが……言わない方がよいと、忠三郎は悟った。
「いや、まあ……想像を全くしてなかったと言ったら、嘘にはなりますけど……い、いいじゃないですか、右近殿と同じくらいですよ……たぶん」
それから時折二人で過ごした。しかしそれらすべてはやはり、二人のこれからの人生には似つかわしくないと思うほど、至極穏やかなものだった。