元々、甚三郎はこの家の子ではない。
物心ついた頃にはもう土井家にいたが、元を辿ると水野家で生まれたと言う。しかし実際には甚三郎の父という人は水野家にはいなかった……らしい。
皆が甚三郎の父はかの家康様だと噂する。容貌や話し方がよく似ているそうで、そんな甚三郎の様子に周りの人間はいつも意味ありげな顔をするのだ。そういう顔を見慣れてきた。大人を喜ばせることは得意だ。彼らはいつも、甚三郎がわざとらしく子どもぶるとそれを喜ぶ。甚三郎の中にいる父との対比を笑っているのだ。そう思った。そこに甚三郎はいない。
実際甚三郎にも出生に心当たりがないわけではない。無論、生まれた時のことなど知らないが、あのいつも優しく甚三郎を抱き上げてくれる家康こそが本当の父親であればどれだけ良いであろうと思わなかったわけではない。何度も鷹狩りだなんだと呼ばれて、子どものころからその膝の上に乗せられたりした。まるで本当の父子のようだった。
しかし年を重ねていくうちに、家康の立場が変わるごとに、甚三郎はわからなくなっていった。自らの出生と、何も言わない家康の態度に。
そんな折に、家康のところに子どもが生まれた。嬰児を前に呼び出された甚三郎は、家康の優しい眼差しが自分ではなくこの赤子に向いていることをきちんと理解していた。しかし家康の提案は、幼いなりに自らを理解していたはずの甚三郎を揺さぶるには十分だった。
「甚三郎を傅役に任ずる……傅役といっても、遊び相手だ。お前がこれを育てるんだぞ。いいか、お前たちはふたりで一人だ」
ふたりで一人だなんて言われても、甚三郎にとってこの目の前の……家康の子こそが主人であった。彼のために生きることを、甚三郎は無上の喜びとした。
のちに利勝と名を改めた甚三郎は、やはり長じて秀忠と名を変えたかつての嬰児を前に畏まる。いつも二人で行動した。遊び相手だなんてとんでもない。二人の関係はあくまでも主人と従者であり、そこに兄弟らしい風は一度も吹いたことはないはずだ。しかし、家康亡き今、秀忠は利勝にこう言うのだ。
「大炊が兄ならば、どれだけ救われたか知らない。父は惨いことをする、兄弟を裂くような真似をしなくてもよかった」
秀忠の話を黙って聞いている利勝は、それまでのざらざらした気持ちを撫でていた。秀忠を弟などと思ったことはない筈だが、どこかでそう思っていたのかもしれない。そう言った思いが秀忠に漏れ出てしまっていたのならば、それは利勝の望みではない。
「残念ながら兄ではありませんが、こうして話すこと程度ならばできます」
「お前が昔、木の皮で擦りむいた私を見て、木を切り倒すように命じたのを覚えているか」
そんなこともあったような気がする。まだ幼い秀忠が、けがをしないようにとった対策の一つに過ぎない。利勝が頷くと、秀忠はこう問うた。
「私がお前の弟ならば、同じことをしたか」
「……いえ」
「私が望んでいるのは、そういうことだ」
そう言う秀忠の真の望みを利勝は知ることもない。兄弟であれば、怪我の一つや二つくらいと諦めるだろう。しかし相手が主人ならばそうもいかない。それを否定されてしまうと、利勝はここにいる理由すらなくなってしまう。
「もう遅い。お前も下がれ」
ただ頭を下げ、秀忠が立ち去るのを待って利勝もその場をあとにした。もっとできたことはないのではないかと思いながら。しかし考えれば考えるほど、それは秀忠の望みから離れていくのだが、それを今の利勝はわからないままでいる。