彼女の反戦 #1 草原での出会い

「戦争反対、戦争反対」
「憲法守れ、憲法守れ」
コールのたびにペンライトが揺れ、国会前にはイルミネーションでできた草原が広がっている。
推しの横浜アリーナコンサートのときもこんな感じだったな、とぼんやり思いながら、奈緒はプラカードとペンライトを脇に挟んで、その様子をスマホで撮っていた。
国会前デモは回を重ねるごとに参加者が増えていき、奈緒自身なんだかんだ3回目の参加だ。仕事で現地に行けなかったときは配信で参加していたから、それも含めれば4回目だが。
周りで振られるペンライトはさまざまだ。宝塚や2.5次元舞台のような豪華なものもあれば、100円ショップで購入したペンライトにステッカーを貼ってカスタマイズをしたもの、平和団体が作っているものもあるそうだ。
それぞれが、違うジャンルのペンライトを同じ場所で振っているのは面白い。
その中で、奈緒も推しの女子アイドルグループ『Mel2』のペンライトを振る。最近出たもので、初めての現場がコンサートでなく国会前デモになってしまったことを除けば、出来栄えにも振りやすさも大変満足している。丸いライト部分を覆うように、リボンを模した装飾がされているのも、なんだか子どもの頃に好きだった魔法少女のステッキみたいで可愛いと思う。
戦争が始まれば、「彼女たち」はどうなるだろう。
Mel2のメンバーは20代前半の女性を中心に構成され、歌に特化したグループだ。もしも、彼女たちが戦争を賛美する歌をうたったとして、奈緒はそれを新譜が出たと喜んでしまうのだろうか。
いや、できない。
奈緒が国会前に来る理由は、SNSで見かける平和を訴える人々よりはるかに浅はかで、はるかに利己的なものだ。少なくとも奈緒はそう思っている。
テレビで海外の戦争の報道が出るたびに、もしこんな状況になってしまったら、コンサートどころではなくなってしまう。最初の動機はそういうものだった。いたって平凡で、平易な理由。
こんな理由で国会前に来ていいのかとも思ったが、実際に足を運ぶことで様々なことを知った。憲法が変わるとどうなるのか。どのように変えようとしているのか。奈緒の生活に余裕がなく、未来がなかなか見えないのは、生活が怠惰なわけでも推し活のせいもなく政治に一端があるということ。生活は政治とわかち難く結びついていること。
知ることは怖いことだと思っていたが、知ることで怖さの根源が見えてきた、気がする。少なくとも訳のわからない怖さはなくなった。
怖さを過ぎたあとに出てきた感情は怒りだった。
なんだ、ずっと私たちは良い子に座らされて、黙ってるように言われてるだけだったんだ。いつからそうだったかはわからないが、心当たりは山ほどあった。或いは小学校の教室で、或いは帰り道の電車の中で、或いは誰もいない深夜のオフィスで、私たちはただ、黙らされていたのだ。
そう思うと、もうじっとしてはいられなかった。
自然とSNSでデモの情報を拡散するようになった。当初はそういうことをしたらフォロワーが減るものだと思ったが、そこまで減らなかった。何度かチケットのやり取りをしたことのあるフォロワーがフォローを外しているのを確認したときは胸が締め付けられる思いをしたが、モチベーションを崩すには至らなかった。ポストにいいねしてくれるフォロワーの存在に気が付けたのも大きいかもしれない。
いつまで続くかわからないけど、続けてみよう。
そう思って今日もやってきた。そして奈緒は出会ったのだ、彼女と。

7月の国会前は蒸し暑かった。
彼女は奈緒から少し離れたところでまったく同じペンライトを振っていて、こちらと目が合うと明らかにうれしそうな顔をしたのだ。
マスクをしていてもわかるほど、造形の整った可愛らしい女性だった。
美人さんだな。やっぱりMel2のファンってかわいい子多いな。奈緒はそう思いながら軽く会釈をした。
その後何事もなくコールをしたり、スピーチを聞いたりしていたと思う。スピーチは、まだすべて理解するのは難しい。だが、一つ分かるのは、昔からこうして動いていた人がいたのだということ。いなかったのではなく、奈緒が見ていなかっただけということだ。
そんなことを考えていたと思う。同じグループを推しているというだけで、彼女のほうをちらちら伺うのは失礼な気がしてできなかった。それは奈緒がレズビアンだからかもしれないが、どちらかというと生来の人見知りのほうが強いのかもしれない。スマホ越しのやり取りならば、多少はうまくいくのだが、現実の人見知りはまったく治る見込みがない。
「あの」
だから、奈緒はスピーチの間に彼女に声をかけられて思わず声を出すところだった。
気が付くと彼女は奈緒の隣に立っていた。奈緒より少し背が高い彼女は、帽子をかぶり直すと神妙な様子でこちらを見る。向こうも何かを言い出しあぐねているようだったが、意を決したようにこう切り出してきた。
「……もしかして、かきくけ子さんですか……?」
かきくけ子は奈緒のSNSのアカウント名だ。どきりとして、思わずプラスターを取り落としそうになる。
「えっあの、は、はい!そうです」
「ああ、すみません声かけちゃって……私、フォローさせてもらってて……!イツノって言います」
「……イツノさん!?」
奈緒はすぐに思い当たるフォロワーに気がついた。
確か紫色のリボンをつけた猫の絵のアイコンで、よく奈緒の投稿にいいねをしてくれる相互フォロワーの一人だ。本人の投稿頻度が低いのもあり、直接やり取りをしたことはないが、たまにMel2の衣装やコンサート演出について投稿をしていて、てっきり年季の入ったアイドルファンだと思っていた……が、奈緒よりも年下に見える。
「お世話になってます」
イツノは丁寧に頭を下げ、長い髪が一筋落ちる。
「いえいえこちらこそ…」
周りがペンライトを振ったり、踊ったり、色とりどりの架空団体幟旗を持って立つ中、まるで会社か何かのようにぺこぺこと頭を下げ合うのが不思議だった。コンサート会場以外でフォロワーと会う機会などほとんどない奈緒にできる限界がこれといっていい。
イツノは奈緒に
「今回、初めてデモに来たんです。かきくけ子さんのポストに背中押されて…」
「そうだったんですか……!」
きっと、彼女の中にもいろいろと思うことはあるのだろう。
イツノは頷くと、始まったコールに合わせて議事堂に向けて声を上げる。
戦争反対という言葉が、今顔を合わせたばかりの知り合いから出てくるのは心強かった。
デモ参加者の多くは一人で参加している。それに慣れていたので気が付かなかったが、こうして誰かと参加するのは、また違う安心感のようなものもあった。奈緒もコールに参加し、二人並んで同じペンライトを振った。風が少し吹き始め、汗ばんだ肌を優しくなでた。
最後のコールを終え、主催者挨拶が始まる。
『次回の開催は……』
主催の発表では、今回の参加者は2万人を超えたそうだ。2万人の中から見つけ出すなんて運命だと思っていたら、イツノはペンライトをショルダーバッグにしまいながらこんなことを話し始める。
「実はかきくけ子さんが前に投稿していた写真をみて、なんとなく同じ場所にいるんじゃないかなって探しちゃってました」
初めての参加で心細かったのだろう、顔も知らない奈緒を探していたのかと思うと、あまりにも途方もない話だ。
奈緒はなんて言えばいいのだろう。フォロワーにしかすぎないけれど、そう頼られるのはうれしい。
「私はただ、ここにいただけですよ」
「いてくれたってことじゃないですか!かきくこ子さんのポストとか、リポストしたのとか、全部読んで……なんだか、黙ってちゃだめなんだって思ったら、ここにいました。かきくけ子さんがここにいてくれたからですよ」
勇気もらいましたからね、と話すイツノは、あ、という顔をして手を握ったり離したりして、こちらから視線を逸らす。
「や、なんか、ちょっとキモイかもですね、私……ごめんなさい」
「そんなことないです。むしろこっちが勇気もらいました。私がやったことって無駄じゃなかったんだな……って」
「本当ですか!……あの」
イツノはそう言って手をぎこちなく合わせ、こちらをちらりと伺う。
「もしよければ、これからちょっとお茶しませんか。実は……お腹すいちゃって」
そうして奈緒は、今後デモに参加する仲間であり……いずれ結ばれる相手と出会ったのである。

いつか続く