柘榴

光から柘榴が届いた。
庭にできたものが、形も味も良かったため是非にと送ってきたのだという。手紙を受け取った新太郎が馬鹿に嬉しそうに見せてきたので、どうかしたのか聞いてみたら柘榴が好物なのだと答えたから、いくつか好きなものを持って行かせた。
父に似てどこまでも優秀で、父に似ずいつまでも素直な男だ。傍に置いていて気持ちがいい。
柘榴か、手に取り思い出す。遠い遠い、過去の遺物。この柘榴そのものがそうだ。

「食わぬか」
優しい声とともに差し出されたのは、半分に割れた柘榴。そう、今手にしているものと同じもの。
あれは…いつの頃だったろう。まだ幼さが抜けきらぬ頃。織田の家に仕え始めたばかりの頃だったろうか。もう少し経った頃だったろうか。記憶が曖昧だ。それでも、ただひとつ覚えてること。
昔柘榴を食った。忠三郎と。
向こうから声をかけてきたのだ。食わぬか、と。やけに空の青あおとした、腹の立つような快晴だったのをよく覚えている。
振り返ると、太陽の光を背に、忠三郎が立っていた。精悍な顔立ちだがまだ頬あたりに幼さが残っていたと今では思う。ただ当時の与一郎からしたら十分青年だった。吸い込まれそうな深い色をした眼差しを優しげに細め、まるで猫に餌付けをするかのよう与一郎に近づいてきたのだった。
…目が、潰れるかと思った。
あまりの眩しさに、きっと自分とは違う世界の、違う人間だと勝手に思い込んでいた。忠三郎に会うのはこれが初めてではないが、初めて出会ったその時から、与一郎は忠三郎に言い知れぬ差を感じざるを得なかった。その差にこそ、与一郎の憧れと一掬いの恋慕が込められていたのだが。
「…いただきます」
自分でも驚くほどぶっきらぼうに答えたのは、昔から与一郎は体調を崩しがちで、このところやっとまともに動けるようになったからだった。思うように動かない、自分の体が嫌いだった。いや、何もかもが嫌いだった。そんな自分に急に優しくしてきた忠三郎も、そういうことでどこか気に入らなかった。
「こいつは薬にもなるんだそうだ」
与一郎のそういった気持ちを知ってか知らずか、そう言って半分に割った柘榴を渡してきた。柘榴は瑞々しく、粒が揃っていた。どこから持ってきたんだろう。今思えば聞けばよかった。どうして聞かなかったんだろう。
そうして言葉が足りないまま、しばらく二人並んで座って、柘榴を食った。
あの時の柘榴の味が思い出せない。というのも、隣に座った忠三郎の楽しそうな表情に、当時から子供ながらに心を奪われていたのだ。あの頃はただ、嫉妬や羨望なのだと思っていたが、今思えばあれは間違いなく初恋だった。初恋というものは厄介なもので、素直になれない与一郎の性根にも突き刺さる棘のように、ちくちくと痛んだ。もちろん当時はそれが恋だったかどうかすら、わかっていなかったと思うが、それだけは感じていた。
「うまいな」
そう言って忠三郎は指についた果汁を舐めた。無意識の行動なのだろうが、その姿が何故かとても美しく見えて、ふと目を逸らしてしまった。忠三郎のくせに…そんなことを美しく思う自分がおかしいのだと思っていた。忠三郎はそんな与一郎のことを気にしないというふうに、
「どうした、口に合わんか」
「いえ、そういうことではなくて…」
「堅苦しいのはなしだ、俺相手ならそんなに畏まらんでもいいだろう。これからは忠三郎とか忠三とか、まあ気軽にそう呼んでくれ」
そう言って、笑った。なんだかその笑顔が、与一郎の後ろめたいところを全て付いているような気がして、わざと素っ気なく答えるしかなかった。
「この方が楽なので」
「…可愛くないやつだなぁ」
「元からの性格です」
そう言って忠三郎の方を見ると、目があった。ぎこちなく笑うと、笑い返してきた。そうしてしばらく二人で笑っていた。何がおかしいのかわからないが。笑っていた。が、時間が経つとともにじわじわと、先ほどから忠三郎はずっと与一郎を見ていたのだろうということに気がついた。それが何故かやけに気恥ずかしい。耳が赤くはなっていないだろうか、急に心配になったが確認するすべはない。
「熊千代殿は、笑うと可愛いな」
「……それは、褒めてるんですか」
じっと忠三郎を見る。そうすると、褒めてるぞ、と無造作に頭を撫でて来た。幾ら何でも無礼だ。咄嗟に手で払う。
「子供扱いはやめていただきたい」
「…すまん、からかうつもりはなかったんだ」
素直に手を引っ込めた忠三郎がまた笑うので、ばつの悪い顔で足許を見た。あの頃の与一郎は…今となれば確かに子供だった。忠三郎を見習ってもう少し素直になれば良いのに。本当は、頭を撫でられた時に嬉しく仕方がなかったのではなかったか?それを伝えていたら、また何か違う道があったのではないか?まあ、それができないから、最後まで何も言えなかったのではあるのだが。
…後悔ばかりだ。あの時こうしておけばよかった、ああしておけばよかったなど、振り返るとそういったものばかりで、もちろん自分全てを否定するつもりはないのだが、こと忠三郎を相手にするとそれらは際立って与一郎を責める。今もそうだ。いや、今の方が強いか。
「忠三殿」
「なんだ」
「……なんでもありません」
ほら、こうだ。名前を呼びたいだけだったなんて、とても言えなかった。もっと素直になれれば、どれだけ楽だっただろう。
「…熊千代殿は、可愛いな」
それでも、こう言ってくれた。世辞だとは百も承知だ。でも、嬉しかった。ただ、その喜びを伝えられるかと言ったら、そうではない。
「可愛くはありません」
この通り、むすっくれた顔をして返すことしか能がなかった。いや、今の記憶を持ったまま、同じ状況だったらまた違ったかというとそれはそれで答えに窮するだろう。
それだとしてももっと素直になれないものか、記憶の中の自分はいつも不満げだ。
「柘榴、もう一つ食べるか」
「…食べます」
そう言って、目を合わせると、また忠三郎は笑ったのだった。幸せな情景。
…あれは夢だったのだろうか。
いや、今見ている夢なのだろうか。本当は、こんな事実はなかったのではないだろうか。年老いた自分が見ているだけの、悲しい夢ではないだろうか。
そうでないとしたら、なぜあの時の柘榴の味が思い出せないというのだろう。

「殿」
幻影にも似た追想から、与一郎を引き戻したのは先ほど去ったはずの新太郎だった。外を見やる。日が傾き始めていた。
「どうした」
億劫そうに答えると、頭を下げて
「何かお飲み物を、と思ったのですが」
と答えた。きっと違うだろう、様子を見に来たに違いない。あれから随分歳をとった。じいっとしているものだから心配したのだろう。
…とっくに忠三郎の歳を超えたが、あいにく何故かこの体はまだ彼岸に行く予定はないらしい。それがまた腹立たしい。
「いらんな」
「は」
そう言って下がろうとする新太郎を引き止めるつもりはなかったのだが、ふと口に漏れ出た言葉があった。
「柘榴はな」
「は」
「…薬にもなるんだ」
そう言って柘榴を食らった。
みずみずしい、あの頃の味がした。