ついに出立の時が来た。もう二度とこの国には戻ることはないだろう。目の前には秋の青空がただ何も言わずに微笑むばかりで、これからの旅立ちを示唆しているような気がした。
……全て無駄だったとは思わない。右近を知る者は彼の追放を仕方がないと納得させているようだった。それならばいいのだ。彼らの中に何かが残ったかどうかは、右近が知る必要もない。
日本での六〇年を越える暮らしは、空を漂う雲のようなそれだった。手を伸ばしても届かないもどかしさと、同じところに留まれない無常さをただひたすら感じるだけだった。
大切な盟友との出会いや別れ、家族と過ごした日々。血の沸くような戦いの、ふとした瞬間に見遣る空の赤さ。それはもう何にも代えがたいものだと思うのは、大抵それらを失ってからのことだった。だがそれが何であろうか。その道は右近のものであって右近のものではない。すべて主、父なる神の思し召しのための試練の日々だったのだろう。
「野の百合のいかに育つかを考えなさい」
繰り返し呟いたその言葉は、いずれ右近の糧となった。この糧は天の国へお返しするものだ。だから今日の日のために大事にしてきた。
野の百合はたしかに働きも紡ぎもしない。だが誰よりも着飾っている。それは神がそう装うようにされているからだ。同じように人間にも、神の御心は息づいている。既に思い悩むことがどこにあろうか。だから、明日からの旅路だとか、食べ物のことだとか、本来思い悩むこと自体おかしなことなのだ。
思い出すのは小豆島での貧しい暮らしだった。教えは貧しさの中でこそ輝いた。隠し切れないきらめきを孕んで右近の道筋を照らしたものだ。
野の百合はいかに育つか、いかに枯れるか。その身をもって知る人生だったのだ。
出立に際し、方々に手紙を書いた。何度も書き直し、言葉を選んだ。右近はもう何も恐れないが、それは右近だけの話だ。友に類が及ばないように、それだけは気を遣った。
百合は枯れても土を汚しはしないのだ。それは誰かの大切な糧となるから。
右近はどうであろうか。右近が死んだことによって、右近が生きたことによって、誰かの糧になりえるのだろうか。もう言葉では言い尽くせないほど、世界を歓んではいたけれど。
海辺は風がゆるく吹き、右近の体を包む。もう二度とこの風を知ることはないかもしれない。波間の泡が風に巻き上げられていく。右近はそれを見て静かに涙を落とし、海が雨になっていく様を、そして海に還る様を夢想した。
寂しいわけではないといったら嘘になる。虚しさがないと言っても、嘘になる。それでもそれらばかりを重視してなにもかもかなぐり捨ててしまったら……それはもう、右近ではない。もっと虚しいものに襲われるに違いないのだ。だから、涙だけ残してこの国を去るのだ。
この涙がいずれ野の百合を育てるように。そしてすべては神の導きのもとに。