夢いずる地

夢いづる地

天を指して誓うことは罪であり、また地を指して誓うことも同じく罪だ。そこは主たる神の玉座であり、足を置くところであるからだ。
長い船旅によるものか、右近の体は目的地である流刑の島にたどり着いたころにはその命の灯を燻りつつあった。
異国の地は母国の夏とはまた違う暑さだった。それもまた右近の病状を少しだけ悪くさせた。しかし人の手を借りてこの地を踏んだ瞬間、わかったのだ。ここは主に愛された土地であると。
ルソンの人々は右近を歓迎した。それに笑顔で応えることが、右近ができうる精いっぱいだった。もうこれ以上のことはできない。ああ、もっと若いうちにここに来た方が善かったのかもしれない。できたことも多かったのではないだろうか。そういう思想が少しだけ右近を支配するが、それは間違いだと悟られぬように首を横に振る。
主の言葉という種を母国で蒔いたのは間違いではなかったはずだ。多くの人々に踏まれても、一粒の種がどこか良い土地で実を結べばよいのだ。きっと、母国でも右近の知らぬどこかで実が結ぶだろう。それでいい。いつか母国が主に愛された夢いづる地になることを、今の右近は祈ることしかできない。
ルカ8.4-15

 

 

右近の門徒

盟友たちが“右近の門徒”と言われていることを、知らないわけではない。教義を知ろうとしない人々は、右近の周りの人間たちを指してはそう言って嗤った。皆、主ではなく右近についていっているではないかと。それに怒るつもりは毛頭ない。むしろその通りだ。ただ、力不足を感じていた。右近の弁舌は自分で思うのすら烏滸がましいが、優れていると思う。それで布教をし、改宗を勧めてきた。今更それが間違っているとは思わない。
だが考えてしまうのだ。真に主に赦されその御心に救われるべきは、そう言って嗤う人々こそではないのかと。自らの罪にも気が付かず、嗤う彼らこそ救われるべきだと。そう思ってしまうのだ。
「そんなものを気にしてどうする。人というものはしるしを欲しがるものだ」
幼少の右近を洗礼させた父ダリオは聖書から引用してそう言った。彼は誰よりも情に脆く豪胆だったが、同時に人にも自分にも厳しい男だった。右近に対しては……少し甘いところがあるが。
人はしるしを欲しがる。確かに、神の子イエスはそう仰った。いつの時代もそうなのであろう。右近のもとに集まった人々だって、最初は物珍しさや真新しさに活路を見出したものたちだ。だが今は互いに研鑽する仲だ。救済の祈りを捧げ、教義の真理を語らう大切な盟友だ。こと聖書はたとえ話が多い。この国にはない物で例えられているものもある。それをどう理解するかも大事な時間だった。
「それではまことの救済にはなりません」
右近の言葉にダリオは苦笑い交じりにため息をつく。
「彦五郎、お前は頭が固すぎる……どうあがいても救われないものはいるのだ」
「いいえ、主は人をそのように創ってはおりません」
別にダリオを否定したいわけではない、もちろん、主の意向に反する人間もいるだろう。だがそれでも救われなくてもいい人間などいるはずがないのだ。
右近の眼差しに答えに窮したダリオは、優しく右近にこう言った。本当に右近には甘いのだ。
「……お前の見える世界が正しい。その名前に狂いはないようだ」
ダリオの言う通り、右近の洗礼名は正義を意味する。しかし自分が必ずしも正義だとは右近は思っていない。その点では右近は本当の信仰者にはなれないのかもしれない。
まことの信仰とは。救済とは。ずっと考えてきた。信仰の代償として救済として御国がきたるという考えもあるのだろう。右近や右近の周りにいる人間を笑う人々が救済されないと脅すことは簡単だ。だがそれは教義の本質ではない。そのようなことをしても誰も救済されない。
毒麦のたとえというものがある。良い種は御国の子、毒麦の種は悪魔の子と説明され、刈り入れの日は世界の終りの日だと説明された。聖書はよく刈り入れを終末となぞらえる。
右近の門徒と呼ぶ彼らは果たして毒麦なのだろうか。もっと言うと、正義を冠した右近こそ、よい麦といえるのだろうか。そういうことを考えているとダリオに言うと、ダリオは泣いて右近を掻き抱き、お前ほどの善人はいないと零した。
右近は時として聖人と呼ばれた。右近の周りにいる人間にだけではない。右近の周りを右近の門徒と呼び嗤う人々も、時として右近を聖人と呼んだ。
言い方は悪いが、まるで自分が人間ではないような扱いをされることは多かった。もちろん右近は紛れもなく人の子だ。疑いようもなく事実だ。
このダリオを父に持ち、母の腹から産まれた紛れもない人間だ。
それが聖人と呼ばれることの苦難は、きっと経験せねばわからないことであろう。この気持ちをわかってくれる人間はそうそういないと右近は思う。
いっとき聖人としてふるまうのは誰にだってできる。しかしそれが四六時中となると、それは難しい。
右近が人間として息ができる数少ない場は、皮肉なことに聖堂の祈りの場であった。
頭を垂れ、祈りの言葉を口にしている時……右近は一人のちっぽけな存在として主を見上げるのだ。そこには高山右近という人間はどこにも存在せず、ただむき出しの魂の一つとして……多くを語らず存在できる。誓う必要もない。多くの言葉を並べることが善いことではないことはイエスも仰っている。
常に主は見ていてくださり、すでに報いは受けているのだ。それを確認する場が聖堂だった。
だから人からどういわれようと、右近は祈り讃美歌をうたい、また祈るのだ。いつかきたる御国を思って祈るときが右近の何よりの心の支えだった。
もうひとつ、右近の人間としての証明をしてくれる場所がある。それが茶室だった。嗜みとしてなんの気もなく始めたものだったが、気が付けばのめり込むようになっていた。
茶の道はいつも右近を人間として扱う。外では何と言われようと、茶室では常に主人と客人という役を得るのだ。そしてその関係性もまた奥深い。
師匠の宗易もまた右近を可愛がりひとりの人として見てくれたし、兄弟弟子に耶蘇の教えを布教しても彼は右近を否定することはなかった。
「草木が凪ぐように万事ほどほどにするがよろしい」
……まあ、時にはそう言って窘めることもあったが。
あるとき、師に右近と、右近の兄弟弟子である蒲生飛騨守…ここでは忠三郎と呼ぶ…が、茶の席に招かれた。忠三郎は右近により導かれ洗礼したばかりだった。
「救いと侘びは似ています。どちらも追えば追うほどわからなくなります」
ふと漏れ出た忠三郎の言葉を、師はしばらく黙って聞いていたが、やがて臥せていた目を忠三郎と右近に向けこう言った。
「追わずとも、そこにあるのが侘びというもの。救いというのもすでに獲得されているもの。右近殿はすでにご承知でしょうが……それくらい教えてあげなさい、貴方が導いたのだから」
その目は優しかったがそれだけに厳しい言葉が刺さると言うものだ。忠三郎もまた、外では右近の門徒と呼ばれている。