互いに清い人間ではなかったと思う。
長益は隠居し、有楽と名乗り、しばらく何もないことを楽しんでいた。周りは長益を良くも悪くも放っておかなかったが、時々何もない日があっては、思い出すのはけして清くはなかった連れ合いの話だ。
不思議な男だった。別に長益は男に興味があるわけではなかった。変に人間関係が拗れるなら、人のそれに口出しはしないけれども、自分はそう言うのとは無縁でありたいと若い頃は思っていた。
だがそれを彼……重然は変えた。彼は長益の手を引くようにしてさまざまな世界を見せた。別に自分が世間知らずだと思ったことなんか一度もなかったが、それでも彼はこの手を、心を掴んで離さなかった。最後まで。
色々あって、彼は自ら死ぬことになった。長い緊張は彼の死と共に弛緩し、残るのは穏やかな日々だった。あれから何年たっただろう。
今日は誰もいない。何もない茶室を掃除して、窓から差し込む光をただ見ていた。周りは次々死んでいく。重然もまた、その一人だったはずだった。
「邪魔するわよ」
気がつくと、そこには見慣れた重然がいる。そこに彼がいる不思議さは感じなかった。長益は仰々しくため息をつき、こう答えた。
「なんだ、お前と歳をとりたかったのに、何も変わってないじゃないか」
「しょうがないでしょう、そう言うものよ」
重然はあっけらかんと笑う。なんだ、うじうじ悩んでるのは自分だけなのか。そういえば昔からそうだった。長益が悩むことをいつも重然は笑ってなんでもないふうにしていた。実際なんでもなかったんだと思う。人生というものは、そういうものだ。
「お前とはまだ話したいことがあった。今からでも遅くはないか」
「無論よ。そのためにここにいるもの」
「そうか……」
それからどれだけ話しただろう。井戸が枯れるほど、話した気もするが、実際大した時間ではなかったかもしれない。最初から互いに濁った水ではあったはずなのだが、それを分かち合えたのは素直に幸せだと思う。
「お前に会えてよかった」
「私も」
重然の死後六年が経ち、長益は静かにその人生の幕を下ろした。