我が左手

この手は結局何を守ったのだろうか。
忠勝は、己が手を見ていた。分厚い手は歳をとるごとにごつごつしだし、硬くなった皮膚は木の皮のようだ。将軍家光は、忠勝のことを自らの左手と称した。彼の死後、遺された幼い将軍を守るのに奔走したこの手は、もはやその時点で誰のものでもなかったと思う。
家光の子家綱は気難しく育った。奥の女が気に食わないと大騒ぎをした時は、静かに叱った。幼くして父を亡くした家綱にはそれがどうも嬉しかったようだった。それが主君と老臣の正しい関係かどうかは知らない。
そういえば、いつか忠勝の家臣どもがこう言ってきた。
「徳川の世に尽力されている殿はどうして石高が少ないのか」
それに対してはこう答えた。
「我らもいつ気が違うことがあるか知れない」
結局のところ、強大な力を操れるほど人というものは上手くはできていないのだ。この手も、きっと忠勝の意図に反することをするであろう。
のちにその話を、忠勝より先に出世した幼馴染にしたところ、彼……永井信濃守尚政は、こう笑って返した。
「お前の手はもうお前の意図では動かないだろうに。あんなにぼうっとしていた子の言う通りに動いてみろ、きっとその方が気が違って見えるぞ」
「そうか」
「木に登れないくせに登ろうとして怪我をしたのを忘れたのか。そう言うことだろう、気が違って身の丈に合わないことをしようとするというのは」
そういえばそんなこともあったかも知れない。だがそれは昔の話だ。彼の悪いところは、忠勝の下で働く他の老臣や奉行どもの前でもこの調子で昔の話をするところだ。だが今は二人きり。少しは言い返してもいいだろう。
「今は登れる。昔とは違うさ」
「どうだか」
互いに笑う。既に役目など終わってそうだが、まだ互いに仕事が残っている。別れ際に尚政はこんなことを言った。
「少しはその手を労った方がいいだろう。家光様に申し訳が立たんぞ」
そう言われたが、忠勝はついぞ、その手を顧みることはなかった。守れたものも、守れなかったものも、まだその手に感覚が残っているような気がして。