天の御国の使い達は皆その背に鳥のように羽根を持っていると言う。そして自由に空を飛ぶことができるのだ……と、子どもの頃に教わった。
当時、彦五郎と呼ばれていたころの右近は、ずっと空を飛ぶ鳥を透かして彼らを夢想していた。空を飛べたら楽しいだろうなとか、風を切る音はどのようなものだろうかとかいう無邪気なものでしかなかった。もしも彼らに会うことができたら、もっともっと欲深いことを言えば、その羽根を手に入れることができたら。それを知れたらうれしいと思う程度だった。
例えば、いま右近のこの薄い背に彼らのような羽があるとしたら、右近の導き出す答えはきっとそのころとは違っている。今すぐに空を飛び逢いに行かなければならない人がいるからだ。
あれから随分と時間が経ってしまった。忠三郎がこの世を去ってもう二十年近く経とうとしている。右近も過行く歳月に抗うことなく年を重ねた。もう忠三郎と再会を果たしても、きっと彼は老いた自分を見つけられないだろう。だから右近が探しに行くのだ。自分なら見つけられる……それは間違いない。あの懐かしい背中を如何にして見間違えることができようか。
忠三郎がこの世を去った直後は、何度も同じ夢を見た。そして何度も同じ、けして叶えてはならない願いをした。
……この世の祈りの全てが降りかかって、まるで主の御子のようにこの人が生き返れば良いのに……。
それは夢物語だと右近が一番よくわかっている。御子の復活がそういった物理的なものでないことも右近にはわかっている。それでも、願わざるを得ないのだ。祈らなくして、何を祈ると言うのだと思ってしまう。
出会いと別れは必然的なもので、いずれは神の御許で再会する。忠三郎との別れはたった一つの一時的な別れに過ぎなかったはずだった。それなのにこのあふれる涙は一体なにを意味しているのだろうか。いつかこの涙に溺れて右近は死んでしまうだろうとすら、むしろそうありたいとすら思ってしまうのはなぜなのか。微かな願いは忠三郎が確かにそこにいたと言う残滓に降り注がれる。だが、それは無駄な行為だ。わかっている。もう戻らないことくらい。
右近は忠三郎との約束を果たすため、この暖かすぎる異国の島までやってきた。船から見た星を見て、右近はあの時見た星を思い出していた。初めて忠三郎に想いを打ち明けられ、互いに頬を染めて愛を語り合った夜を。あの日見た星は、右近が見てきたほかの美しいものの何より輝いていた。陳腐な話かもしれない。美化された思い出の中に煌めくそれが日が経つごとに鈍くなるどころかむしろ輝きを増すことじたい、よくないことかもしれない。それでも右近にとっては大切な記憶の欠片だ。どんなことがあっても、あの思い出だけを抱いて生きていこうと思ったのだ。人にも神にさえ赦されなくとも。
「あなたのすべてを愛します……だから、あなたはあなたのままでいてください」
美しい星に見守られて忠三郎と交わした約束は一生のものだと思っていた。だからもうずっと一緒だと思っていた。まさかあんなに早く忠三郎との別れが来るとは思ってもいなかった。看取れたのは幸いだったが、それからのことはよく覚えていない。
それから幾年月、右近が右近のままでいるためには祖国を捨てざるを得なかった。だから右近はここにきたのだ。船に乗って、長旅を終えたころにはこの命は僅かなものになっていた。
幸いだ、素直にそう思った。また天の御国で再び逢えるのだから。
生涯右近は右近のままでいれただろうか、それもちゃんと忠三郎と答え合わせをしたい。そう考えるともう今すぐこの背に羽根をつけ、飛び立ってしまいたい。
そして、二十年分の途切れてしまった糸をもう一度強く結び直したい。二度とほどけぬよう。二度と別つことのないように。それはそっと悲しみを越えて。