長益は初陣の際、戦とは関係のないところで馬から落ちて怪我を負った。このことは周りの人間を呆れさせ、それなりに失望もされたのだが、その後は彼の人柄もありなんだかんだ笑い話になっている。長益は一見口少なさそうな男に見えるが、話すと適度な毒をもつ面白い人間なので、余計彼の人となりを表す話の一つになっている。長益本人も年配の人間からその話を振られるとひと笑いとってその場をすませていた。
重然は知っている。彼がその怪我で失った自らへの途方もない自信を。長益と出会ったのはそれなりに互いに成長してからのことだ。宗易の下で議論を交わすようになったのはいつの頃だったろうか。年齢の上下に関わらず宗易のところには多くの人間がいた。皆なもがくように追い求めた先に何があるかは、誰も知らなかった。そんな中で、長益は不思議な魅力を持っていた。別に彼自身はそこまで自ら前に前に出てくる男ではない。しかし必ずそこにいて、それが自然な男だった。皆がもがく中で、彼は比較的その手足を見せず静かに泳いでいたように見える。
重然は、もがく側だった。自分が望む世界はもっと美しくあるべきだと思った。それもただ美しいだけではない、美しさとは時に暴力的で、刺激的だ。見た人間の心を奪い一生を蝕むような美しさを渇望していた。それを創り出せる根拠なき自信もあった。重然の中には美しい波があって、それは寄せて返す。時には荒々しく、時には嫋やかに。それを掴むためにもがいていた。
「お前のようにはなれない」
親しくなってしばらく経った頃、二人っきりで話していたらそんな話になった。
「私のようになりたいの?」
そう答えた。意地悪ではなく素直にそう思った。重然からしたら、その時はもがくことなく上手くやれているように見える長益がどこかで羨ましかったのだが、長益はそう言うことじゃないと笑った。
ああ、いい顔をしている。その時はまだそれくらいしか思わなかった。まだ特別ではなかったと思う。いや、もしかしたらその時から、長益は重然にとって特別だったし逆も然りだったのかもしれない。
「なろうとも思わない、だが……お前みたいに俺は足掻けない、どうしても足がすくむ。昔を思い出してそれは辛い」
長益のそんな言葉に、重然は自らの劣等感をくすぐられるようだった。それからの彼の物語はそれはそれは面白かったのだが、重然は笑えなかった。彼が静かに笑う理由はそこにはないはずだ。それなのに長益は自らを生かすことにこれだけの代償を払っている。思えば、彼の兄が死んだ時も長益は謂れもない中傷を受けた。あれはあれで彼の生きる道だ。それを笑う理由が重然にはない。
重然はしばらく考えていた。長益がこの一瞬だけで少しだけ特別になった気がしたから。
「あなたがどう思ってるのかはわかった、でも私は、あなたが生きててくれて嬉しい」
野にある花は神に望まれて咲くと友人が言っていた。誰にも見られずとも、神に望まれそっと咲くのだ。重然はそこまで彼らの言う唯一神に心を委ねられなかったが、それでもそれは救いになるだろうと思う。そうすることで、咲いた花が無駄にならないのならば。
「あなたも私も野にある花にすぎないのね」
そう言って、重然は笑った。長益は後でこの話をするたびに、重然にそっとこう言うのだ。
「お前のおかげで俺は命拾いをした、死があまりにも近くにあって竦む俺をお前は引っ張り上げてくれた」
それから二人はそれなりに懇ろになり、よく軽口を言い合うようになった。咲く季節の違う花のように彼らが置かれた環境はまるで違ったが、それでも心を通わせ互いを特別だと言い合った。
まるで芙蓉と椿のように、それぞれが咲いた。だが互いに花だけを見ずに、そこに至るまでの茎や蕾、葉の過程を大切にして生きたと思う。それが二人の生きる全てになった。