Hail to a father of divine,To the son the light will shine.

北に向かう雁を見ていた。彼らの終わりを見届けることは叶わない。遠くなる黒い影は空に吸い込まれるように小さくなり、やがて見えなくなった。
弟の死というものは、えてしてそういうものだった。彼が死んで一年がたつが、今も彼の真意を全て知ることはない。死人が語ることは絶対にない。後で出てくる真実も、彼が実際に何を思ったかを知りうるすべてに対してはあまりにも鈍く澱んでいる。
「私は兄上だけの国千代でいたかった」
忠長の言葉なんて思い出してもどうにもならない。これは仕方がなかったと、彼の行動は愚行だと周りは諦めをもって家光に接した。いっそ憐れむまでしたし、家光と忠長の関係を物語めいて悲劇にしたがる者は多かった。
それも正しくあり、一方で間違いだと家光は思う。人が空を飛べないように、雁もまた涙を流せない。それを悲しいことだとは思わない。そういう運命にすぎない。
ただ、子供のころに帰れたらとは思う。父や祖父の面影を無邪気に追っていたあの頃、隣には忠長がいた。彼を守ることは家光の責務だった。
弟を守りたかった。力を得れば、叶うと思った。二人で強くなろうと話したこともある。互いにこの世でたった一人の兄弟なのだから、そのときの思いは本物だ。
「春霞……」
口にした歌は、子供のころに教わったものだ。春を契機に北に帰る雁は、そこに居残れば花の咲き乱れる豊かさがあることを知らない。知らないことは罪ではないし、そこに悲しみなどあるわけもない。荒地から荒地に帰るだけの彼らに流れる風はいつも涼やかだ。
忠長は、花の豊さを知っていた。そこにある温かみも、漂う香りも。それでも彼は、兄のためならばなんでもできると、力をふるいその花弁を血に染めてしまった。
彼が兄である自分を恨んでいたとか、憎んでいたとか、はたまた愛していたとか、思い当たる節はいくつかある。それでもわからない。わかることもない。豊かさを知る雁は、それでも寒いところに帰るのだ。
忠長が違うところは、もう秋になってもその姿を見せないことでしかない。もうその声は家光を呼ばない。もうその手は家光に伸ばされない。手を取ることも、声に応えることすらなかった。
去った彼にできることはもうない。雁はまた、花が枯れた頃に来たる。