勝手に入るなとは言われていないからといって、何も言わずに入ったのは悪かったと思っている。
夕暮れの窓を季節外れの雨がたたいている。昨日からずっと、天は涙を流すのをやめない。同じ姿勢で同じ場所で同じ本を読むにも飽きて、茶でも煎れるかと立ち上がった。階段を上がり、Vはダンテから与えられた部屋の手前…隣の部屋のドアの前で立ち止まる。
本当に悪かったと思っている。それは持ってはいけない好奇心だ。おそらく普通の人間ならばいやがるだろう。そう言うことがわからないわけではない。それでもドアは開きっぱなしだったし、ちらりと見えた部屋が…ひどく荒れていたのが気になるのは仕方がないと思う。
同居し始めてはや2か月、一度も入ったことのないダンテの部屋に興味がなかったわけではない。
荒れ放題の部屋を見て、掃除の一つでもしてやろうと思うのは自然な流れだと思う。というか、掃除してやらないといけないと思う程度に散らかっているダンテの部屋が悪いのだ。きっと。
「…なんだこれは」
ドアの隙間に体をくぐらせもぐりこんだ部屋は、野生動物の巣のようだった。いや、野生動物の巣だってこんなに酷くはないだろう。野生動物に謝るべきだと思う。いやそんなことはどうでもいい。Vは思わず眉間に皺を刻む。普段こう言ったことにさして頓着しないVからしてもあまりにひどい。部屋の中はゴミなのかそうでないのかも判別つかないもので埋まっているし、服はその辺に投げっぱなしだ。特にひどいのはベッド周りだ。よくこんなところで眠れるものだ。手に届くところにものを置いてそのままにするからこうなるのだ。
いつ置いたかすらわからないボトルなどもはや触りたくもない。中身がどうなっているかなんて考えるだけで不穏な気分になる。
極めつけはこの山のように積まれた…いかがわしい…雑誌の群れだ。
「……」
Vはそれらを一瞥する。別に全く興味がないわけでは…ない。そういうことが嫌いなわけでもない。
むしろ…いや、あえて言うことでもない。性欲がないのかとダンテに言われたこともあった。そんなことはないのだが、わざわざこういうものを手にしてまで欲求を満たそうなどとは思っていない。なんとなく、虚しい気がしてどうしてもその気にならないというのはあった。
まあ、だからといってダンテによって欲望を満たしても虚しいことに変わりはないのだが。
ダンテに構われてなんとなく体の関係になってもう暫く経つ。それなのに部屋に入ったことがないというと不思議だが、いつもそういうことはVに与えられた部屋にダンテが通う形でしていたことだ。いや、部屋だけではないのだが…言わなくていいかもしれないから詳しくは言わないが、まあ屋内だからいいだろうと許していた。
そんなことを繰り返していたから、ダンテの趣向を知らないわけではない。だが…ここまでこんなものを隠し持っていたとは思わなかった。
「ひどいな」
一冊手に取りぱらぱらと見やるが、猥雑すぎて言葉も出ない。一応は雑誌という体裁を取っているし、ダンテはこういうものを好むのかと一瞬の興味本位で手を伸ばしたが、見なければよかったとすら思う。いや、別にいいのだ。何を読んでいようと、互いに大人なのだし、そもそもこういうものを読んでいるから怒るという関係でもない。だとしても…それ以前の話だ。
げんなりと肩を落としていると、背後に気配を感じた。
「おいおい、俺を探してたのか、ウサギちゃん?」
Vの背中にポンと触れたのがこの部屋の主だということはもう振り返らなくても分かった。
だから振り返らずただその手を払う。
「俺に触るな、汚い」
「…俺は汚くねえよ?部屋は汚いかもしれないけど」
「こんな部屋で寝起きしてるお前に触られたくない」
「ひでえことを仰る」
そう言うとダンテはVの体を後ろから抱きしめる。そうやってダンテはVにお伺いを立てるのだ。いつも。
それにVが応えた時だけ、二人は体を繋ぐ。それだけの関係だ。別に恋しあってるわけでなし、たまにそういう空気になるだけの関係…誰にだってあるだろうとVは思う。
だから別に、ダンテがこういう本を読んでいようが、他に女がいようが、Vは別にどうだっていい。
たまに気が乗った時だけこの倒錯的な関係に溺れるだけ。朝になったらすべて忘れる。それでいいと思っている。
だが今日のダンテはいつも通りではなかった。
「なんだ?こういうのがお好みか?」
ダンテがVの持っていた雑誌を眺めてそういう。グラマーな女のあられもない姿が見開きで載っていることにそのとき初めて気がついた。内容までは見ていなかった。
「いや、別に」
「お前だって興味あるんだろ?」
そういってダンテの手がVの胸に伸びる。
「…ない、勘違いするな」
「本当か?…例えば」
そういってダンテはVの着衣を乱し始める。慣れた手つきだ。そしてVの腕を上げさせる。露になった胸元が暗闇に白く浮き上がる。
Vの首筋を満足げに舐め、ダンテはこう嘯く。
「こういうこと、好きだろ?」
ダンテの手がするりとVのズボンに入り、いやらしくその肉付きのいい臀部をなぞる。
瞬間ひくりと体が跳ねるが、なんとかこらえて振り返って、そのアイスブルーの目を見上げた。
ダンテは嬉しそうにその体を真正面から抱こうとする。好いなんて最初から言ってないのに。その胸に手を当て突っぱねる。
「いやだ。今はそんな気分じゃない」
「俺はしたいんだけど」
今日はいやに押しが強いし、しつこい。いや、確かにいざことに及ぶとなるとダンテはしつこくVの体を求める。それにVが耐えきれることのほうが多分少ない。
そもそも体格やスタミナを考えれば、Vが本気を出したダンテに敵う筈がないのだ。
今も、ダンテがその気にさえなればVの体をいいようにできるだろう。だが、今までそういうことをしてこなかったのは、きっとダンテの中でそれは越えてはならないという何かがあったからなのだろうか。今はその何かわからないボーダーラインがないのだろうか。わからない。
「なあ、ダメか?」
「…少しだぞ」
あまり気分は乗らないが、いつもVの善いようにしてるのだから、たまにはダンテに善いようにさせるべきかもしれない。
「V、愛してる」
「そういうことは言うな……んっ」
ダンテに唇を奪われ、体を弄られる。慣れた手つきでVの体に触れるその手が暖かい。この暖かさが、睦み合うような甘い囁きが、Vは嫌いだった。
勘違いしてしまいそうになるから。本当に心の底から惹かれあっていると、思い違いをしてしまいそうになるから。その人肌の暖かさに、絆されてしまう自分がいるから。どれだけ涙を流しても手に入れられなかったものを、今更ひょいと渡されたって、くしゃくしゃにしてしまう未来しか見えないから。
だから、黙って抱けばいいとすら思っているのに。
「…変なこと考えてるだろ?」
長い長いキスの後、ダンテは目を細めてVの翠の目を見つめる。
こういうのも、苦手だ。
いつもなにかを奪われそうになる。
瞳を合わせそう言うダンテの口ぶりは、言葉の内容とは裏腹に優しいものだった。けしてVを責めてはいない。
でも、その優しい余白が、Vをなぜか焦らせてしまう。
「変なことなんて、なにも」
Vはそう言って目を逸らそうとする。奪われないように。勘違いしないように。引き込まれたらもう戻れないから。甘い甘い檻のように、もう二度と出られないから。
「嘘だな…そうだな、きっとこう言うことさ」
そう言ってダンテはVの細い体を絡め取るように抱えると、煩雑なベッドに横たえさせようとする。
覆いかぶさろうとするその大きな体をVは腕で突っぱねる。
「待て…ここではしたくない」
「何故?」
「汚い」
短く言って軽く睨む。ダンテは困ったように顔を掻くと、そんなに汚いかとあたりを眺める。正気かと疑いたくなる感性だが…体を起こそうと肘をつき体幹を浮かすと、ダンテはVの体を否応なく絡めとり…体を入れ替えるように寝そべった。ダンテの体にVが乗る形になる。細い体を抱きしめ首筋に顔を埋めると、ダンテは懇願するように言葉を吐く。
「V…どうしてもここでしたい、これならいいだろう?」
「……わかった、わかったから、いったん離れてくれ…俺は、逃げないから」
何故ダンテがこんなに必死なのかはわからないが、優しく諭すように声をかけると、ダンテはやっと体に絡めた指の力を抜いた。
それを見てふうと息をつく。そしてこう続けた。
「終わったら掃除をするからな」
「…掃除できねえくらいシてくれってことか?」
「馬鹿」
軽口を叩くダンテの頰をぺち、と叩く。するとその手をダンテは手に取り、唇を寄せた。
そして愛おしげにその指を、手首を、腕を唇で食む。首筋に辿り着き顎を舐めると、やっとダンテはVの唇にそれを重ねた。
「V…」
「ん、ん…」
優しいキスはやがて互いに食らいつくような激しいそれとなる。歯列をなぞる舌を絡ませ、長いこと呼吸を吸い取られた。同時にダンテの指がVの体を弄る。溶かされる感覚になんとか引っ張られずに耐えていると、追い討ちをかけるようにその指先は囁くようにVの素肌をなぞる。
「あ……」
いけない、完全に呑まれる。どうでもよくなり、またダンテに溺れるのだ。わかっている。
ダンテに抱かれるというのはこういうことだと毎回わかっているはずなのに、いつもいつもこの瞬間が一番屈辱的だ。それを越えればもうどうでもよくなる。これがプライドというものだろうか。それはよくわからない。
Vを抱えたままダンテが上体を起こし、膝の上に乗ったVの臀部を揉む。
「…やだ」
「まだ言うか、これならいいだろ?」
「……」
「余計なもん見えないくらい抱いてやるからさ…安心しろよ」
「…お前こそ余計なことを言うな。黙って抱け…」
睨むVに苦笑しながらダンテはその体を密着させる。熱い。あつい。この体で、ダンテが興奮しているのだと思うと少しだけ溜飲が下がるような下がらないようなそんな気がする。
「味気ないこと言うなって。そう言う時は素直に抱いてくれって言えばいいんだよ」
「言うかそんなこと…」
そう言いながら体が徐々に熱くなっていくのを感じる。燃え滾る肉体の欲に耐えられなくなる。
ダンテの指先は適確にVの弱いところに触れ、突き、掻き混ぜた。翻弄されるように体を揺らし、その声すら本来の姿を奪われるように、甘いものへと変わっていく。
「入れてもいいか」
その言葉に、歯を食いしばりコクコクと頷くくらいには、この体はこれから行われる行為に慣れ切ってしまっている。ずるずると引きずられるようにひと夜の過ちを続けているような、何もかも終わったら虚しく感じるはずのそれが、どうしても欲しくなってしまう。
「ア、あ…っ!」
侵入される圧迫感で苦しい筈だ。その声だって本当は苦痛を伴って呻く声にしか聞こえない筈だ。なのに何故だろう、熱っぽいその吐息が甘く彩られるのを拒むことだけがどうしてもできない。
「ん…っダンテ、ダンテ…!」
「V…!」
名前を呼ぶたびに、名前を呼ばれるたびに、この関係にいずれ起きる破綻の匂いを感じざるを得ない。いや、もともと破綻しているのだ。許されないことなのだ。誰からでも、およそ神からでもなく…ただひとり、自分という本来の存在意義から。永劫に許されない戯れに、溺れることなんて考えてもみなかった。
溺れる。何度も何度も、肺にまで水に浸かるようになにかがVを満たす。
もがくように、抗うようにダンテの背中に爪を立てては力の入らない指先にまたそれは空を切るのだ。流されて、溺れて、その先に何があるかなんて、思う余裕すらない。
痩せぎすの頼りない体に舌を這わされても、吸われても、歯を立てられても…それを否定することができない。
何度も達して、やっとダンテの気が済んだ頃には雨はスッカリとやんでいて、ただ真夜中の闇夜がやがて来たる朝に備えて黙しているだけだった。
「正直言って、嬉しかった」
ダンテが狭苦しい散らかったベッドの上で言葉を転がす。甘だるい澱んだ空気がふたりを包むが、Vはその空気がいつも好きではなかった。何故こんなことをしたのだろうと毎度自己嫌悪に陥るし、こんな場には自分は相応しくないとすら思っていた。いや、相応しいと言われたらむしろ怒るかもしれない。姿形は変わってもその中身は兄弟なのだし、それでいてそれぞれが別の道を進んだ結果がいまのこれなのだ。甘んじるつもりはない。
だからVはあえてダンテの方を見ずに、その言葉を拾って返した。
「何がだ」
「俺に興味を持ったのが」
「……お前は何を言ってるんだ?」
興味…といえば、興味なのだろう。ずっと弟に振り回されてきた半生だったとバージルは思っていた。当然、彼と別れたVも、少なからずそう思っていた。興味と言われてしまえばそうなのかもしれない。昔から、弟の考えと兄は違うところを見ていた気がする。
「ここ…俺の部屋を見ただろ?それまではまるで俺の部屋なんかないみたいに振る舞ってたからな…あまり言わせんなよ」
「いや、どう言うことだか説明しろダンテ」
「だから、俺の部屋に入ってきたのがなんか嬉しかったんだよ」
ダンテの言っていることがわからない。Vは顔を顰めてダンテを見るが、その表情はうっすらと笑っているだけだった。
「…は?」
「わかんねえならいいさ、わからねえままで」
「それは納得がいかない」
身を起こしてダンテの肩を掴むが、逆にその腕を掴まれて気が付いたらVはダンテの胸の中に抱えられていた。
理解できないうちにいいように扱われているようで気に入らない。ダンテが心底嬉しそうなのも相まって余計にそう感じる。
「大したことじゃねえんだよ……わかんねえか、やっとお前を手に入れた気がしたんだよ」
「はぁ?……わ、なんだ、やめろ」
あからさまに睥睨するVの頭をダンテはその大きな手でぽんぽんと優しく撫でた。
「V……お前をな」
その本当の名前を口にすることはない。その事実が二人を別つことになるかもしれないから。
「愛してる」
Vを見つめるスカイブルーの目が、まっすぐ射抜くようで息が詰まる。言葉の内容を飲み込むより先に、ダンテに再び強く抱きしめられる。ああ、また溺れる。呼び声を発する水の気配にVは抵抗もできない。この感情が愛なのかそうでないのかだなんて今はわからないけれども…だからこう言うしかなかった。頬を染めて、それでいて顔を顰めて、そっぽを向いて、吐き捨てるように。
「終わったら掃除すると言っただろう」
「…そうでした、お姫様」
ダンテが大袈裟に項垂れるようにするのは、それはなんだか面白かった。
だったらたまにはこう言ってみるか。どうせ溺れるのなら、飛び込んで仕舞えばいい。
「それが終わったら……またシてもいい」
「V?」
「そんな気分なだけだ。おい、勘違いするな…!」
ダンテが明かに嬉しそうにVの痩躯を抱き、頬にキスをすると、軽くウィンクをした。ああ、こういうことだ。わかってたのに何であえて飛び込むだなんて思ったのだろう。濁流のような感情はもう誰にも止められないのだ。互いに。
「愛してる、V」
「……わかっている。だからまずこの雑誌を全部捨てろ、必要ない」
「待て待て待て、全部!?それはどうかと思うぜ?必要なものすら捨てる気かよ」
「それとこのゴミどもをどうにかしろ」
「ゴミじゃねえ!いやゴミもあるけど全部が全部ゴミじゃねえよ!」
焦るダンテの言葉にニヤリと笑うのは今度はVの番だったようだ。
ダンテが見逃してくれとVに泣きつこうとするのを手で払う。もういつもの空気だ。いや、いつもとも違う。
「知ったことか、俺からしたら全部ゴミだ」
「俺まで捨てそうだなお前」
「それができたら楽しそうだな?」
「ひでえな、こんなに愛しているのに」
あえて哀れな男を演じるダンテを鼻で笑う。
ダンテの手を離れて身を起こし、またこの雑然とした部屋を眺める。これは時間がかかりそうだ。
「朝までには終わらせるぞ」
「…それは、朝からシてもいいってことだな?」
「そんなこと言っていない」
「終わったらシてもいいて言ったのはお前だろ?」
「…言葉のあやだ」
「いや、違うね。わかったよ朝まで胃は終わらせるからな」
そう言ってダンテは立ち上がる。ああ、飛び込むなんて馬鹿な真似をしたと今更後悔しても遅い。
今はこの関係を楽しもう。Vはそう思ってダンテに倣ってベッドから出た。