苧環の運命

出会いは時として運命として付き纏う。
主である全知全能の神によって試練を与えられ、人はそれに叶うよう努めて生きるべきだ。
これは試練なのだろうか。この出会いは試練なのだろうか。
違う。
右近が忠三郎に出会ってしまったのは、けして運命という崇高なものでも、神からの試練でもない。
それはすべて、右近が……愚かだったからだ。

父親が顔を赤くして…唾まで飛ばして熱弁した世界の理は、簡単に幼い右近を虜にした。
洗礼を受けたのは数えで13くらいのころだったが、それを聞いたのはもう少し前だ。
目の前にあるものだけが世界ではないのだという。そしてそれを動かす神への憧憬。
右近の目にはすべてが輝いて見えた。間違いなく、輝いて見えたのだ。
いろいろあって、気が付いたらこの立場にいる。自分が救いの旗振り役だなんて思わないし、自分が救うなんて傲慢な気持ちなんてない。
赦すだなんてもってのほかだ。赦すのは、誰でもなく主なのだ。
聖書にこんなことが書いてある。主の子であるイエスは、誰からも信じられたが、イエス自身は誰のことも信じなかった。それは、イエスは全ての人のことを知っており、人間というものについて誰から証をもらう必要などなかったからであると。イエスは人間の心を知っていらっしゃる。そう書いてあった。
最初にこの話を聞いた時、少し虚しさを感じた。こちらから信じることはあるけれど、向こうから信じられることはないのかと。
でもそれもまた傲慢なことだと、時がたち、人に聖書を教えるうえで思ったのだ。
知っておられるから、それを信じたりしなくていいのだ。信じると言うことは、その対価が欲しくてたまらなくなることなのだ。
イエスという救世主は、そこから解放されているのだと。
対価を求めず信じると言うことは大変だ。それを、右近は理解しているつもりだった。
やはりそれも傲慢で愚かなことだった。

最初に出会ったころの忠三郎は、右近から見てとても危なっかしい人だった。
右近より少し若く、生まれも育ちも才能にすら恵まれていながら、彼は勇敢で怖いものを知らない風だった。
だから、自分が必要なのではないかと思った。それが運命だとも。それでいて、この人を導くと言う神から与えられた試練なのだとも思った。
……今思えば、忠三郎こそ、何も信じなくてもよかった人間なのだ。
愚かだった。彼に声をかけるなんて。彼を導こうだなんて一瞬でも考えるだなんて。
蒙昧なのは誰でもなく右近なのだ。右近は、信じることしかできない。
でも彼は…無垢すぎるその表情を、澱みなく循環する感情を持っている。右近に無いものを。

そう、それはいつもたゆまなく流れる大河のようで、満ちることも枯れることもない海のようで…いつもそれは右近に笑いかけていた。
そして……けして人には言えない、たったひとかけらの感情を右近に与えてしまったのだ。それは恐ろしいことを、右近にさせてしまった。
忠三郎が行くべき道筋を閉ざしたのは間違いなく右近のこの両手である。
二人きりの部屋で、右近が口走ったとんでもない言葉が、忠三郎にどう聞こえたかなんてわからない。
わかっているのは、結果的に二人とも道を踏み外したことくらいだ。右近は……もういい。自分のしでかしたことだ。それを糾弾されてもいい。
だが、忠三郎がそれに晒されるのはだめだ。何度か…離れようとしたが、そのたびに忠三郎は泣いて右近にすがりつき、はなれないで、と呟いた。
今もその声が耳にこびりついて、たまに響くのだ。忘れるなと、その罪を忘れるなと言いたげに。
「右近殿がいなければ、私は……」
「……」
忠三郎に抱かれて、囁かれたその言葉に返すべき言葉がどこかにあったはずだった。沢山救いの言葉を耳にしたし、目にもしたはずなのに。
思い浮かんだのは、主の子であるイエスが…人々に告げた言葉だった。
わたしの行くところにあなた方はくることができない………何故そんな言葉を思い浮かべたかはわからなかった。
間違いなく、忠三郎は光の中を歩いた人間だ。それを引きずり降ろしたのは、間違いなく右近だ。肉体の悪魔が、右近の罪が、忠三郎にこんなことをさせたのだ。
たとえそれが、両者の合意に基づいたものだとしても、だ。この身にその手は触れてしまった。
そして忠三郎の望みのまま体を開き……そして何度も二人は関係を持ってしまった。こんなもの、運命なんかじゃない。
こんなものが運命だとしたら、今度こそ今まで信じていたものの対価を求めてしまうから。今までの清算と言わんばかりの、あってはならない信仰への対価を。それを求められる手ですらないのに。
何よりもの裏切りだ。今度こそ今度こそと、右近は忠三郎と離れることを考えた。それは…忠三郎もきっとそうに違いない。
でも、忠三郎が切り出すと右近がその手で、右近が切り出すと忠三郎がその声で、何故か離れがたいものになってしまった。誰にもそれは告げられなかった。
そのまま、忠三郎は最期を迎えた。右近の手を握り。彼は何度も懺悔したが、それはこの関係を指したものではけしてなかった。
そしてこの手から…その魂は零れ落ちてしまった。何も残らなかった。なにも…残ることはなかった。

愚かだったから、出会ってしまった。愚かだったから、交差してしまった。彼が息を引き取った朝の寒さは、まるで右近を責めているようだった。
泣いて叫んでももう戻らない。忠三郎は天の国に言ったと誰もがその目に疑いなかったのに。それを否定してしまう右近の肉体の罪が、彼を返せと叫んでいる。

参考文献
新約聖書(新共同訳)
ヨハネによる福音書2.6-23~25より「イエスは人の心を知っておられる」
同8.12-21~30「わたしの行くところにあなたたちは来ることができない」

苧環(オダマキ)…キンポウゲ科の植物。花言葉は「愚か」