【R18】輝く星の落ちる日の

年齢差というものはあまり気にしたことがなかったが、これはどうしたものか。
若者の気持ちがわからんと一蹴するほど歳をとったつもりはないのだが、この若い義弟には日々驚かされる。
「どういうつもりだ」
与一郎がそういうと、右衛門は明らかに困った顔をした。
お前に困る顔をされる筋合いは、ない。
大げさにため息をつくと、自分を押し倒している右衛門をどかそうと腕に力を込める。が、どうしたものか全く動かない。よく考えるまでもなく右衛門は若干与一郎より背が高いし、体つきも…太いというか、大きい。純粋に大きい。どこもかしこも。
そういえば彼の叔母も他と比べればわりと恰幅がよかった。血筋か。
「おい、どけ」
「え……」
泣きそうな顔をする右衛門に、蹴りでも入れてやろうかと睨む。
…ここに来いと言ったのは確かに与一郎だ。
こういうことをするつもりで呼んだ。
いつもいつも時も場所も関係なく、あにうえ、あにうえ、と付いて回るこの男にうんざりした与一郎は、そんなにいうならば無理矢理にでも抱いてやろうと、それで嫌がったのならもう金輪際仕事以外では近づくなと言うつもりで右衛門を呼びつけた。案の定右衛門は嬉しそうにやってきた。楽しいことでもあるとでも思ったのだろうか。愚かな男だとその時は確かにそう思っていた。
だが右衛門の発想は与一郎の想像の遥か上をいった。
それが先ほどの有様である。
あろうことか右衛門は与一郎がその体に触れた瞬間、凄まじい勢いで抱きついてきた。もちろんそんな動きは想像もしていないから、与一郎は体勢を崩して倒れこむ。これ幸と思ったかは知らないが、右衛門はそのまま与一郎の体に覆いかぶさってきたのである。
困ったことに、その時の顔がどこかで見た気がして、咄嗟に抵抗すらできなかった。
ああ、こんな顔もするのか、この男は。
「義兄様は、僕のこと、好きですか?」
…どうして泣きそうな顔をしながら、こういうことを言うのだろう。
これでは、嫌いだと言いたくなってしまうではないか。
「僕は…好きです、義兄様…」
「お前は俺に好かれたいのか」
「好かれたいです。僕のこと、好きになってください。一番じゃなくていい、二番目でいいんです」
そういって、右衛門は与一郎の首筋に顔を埋めた。
普通だったら、気色の悪さすら感じたと思う。与一郎はどうしてもある例外を除けば、男を愛する気持ちがわからなかった。
だが右衛門に抱きつかれようと鼻先を首筋に押し付けられようと、犬になつかれているような感じがして、不思議とそれに不快感はなかった。
だが、何度もささやかれる二番目という言葉が、与一郎の心の固く閉ざした扉をきりきりと引っ搔く。
「…自惚れるなよ」
「…五番目だ、五番目なら考えてやる」
嬉しそうな顔をした右衛門が気に食わないはずなのに。なぜか思い出してしまう。似ても似つかない男の名前を、その名を呼びたくなってしまう。その声すら思い出せそうなのに。どうしても思い出せない。一生その名を呼ぶこともない。
「僕のこと、そんなに好きになってくれるなんて」
そう言ってこの身を抱くその力を強くする右衛門から若い匂いがする。丸っこい身体から、確かに若い匂いがする。こんな匂いを昔は自分もさせていたのだろうか。なんだか、どこか気恥ずかしい。
「本当に俺を抱こうと思ってるのか?」
「…義兄様が、良いと思ってくれるなら」
「良いというと思ったか?」
「それは…」
言い澱む右衛門を、今度は与一郎が引き倒す番だ。変なところで抜けていて意気地が無いとは思っていたが、ここまでとは思っていなかった。
ああ、なんだか面白い。そうとすら思えてくる。
「無理矢理にでも奪ってみろ、それが男というものではないか」
「無理矢理にしたら、義兄様が悲しみます」
「俺が悲しむと?」
ふふ、と笑うと、右衛門は不思議そうな顔をして覗き込む。そのままその頰に唇を押し当ててやると、右衛門はひゃあ、と情けない声を上げた。
「悲しむわけがないだろう、お前より何年無駄に長生きしてると思っている」
「そんなことありません!そ、そういうことは、関係ないです!関係なく、悲しいんです。義兄様は、気がつかないふりをしているだけで、本当は悲しいんです!」
右衛門が叫ぶのを、今度はこちらが不思議な表情で眺めた。何を言ってるのだこいつは。こいつの言葉は単語だけで構成されていて理解に時間がかかる。素直な言葉と言えば聞こえはいいのかもしれないが…。
「悲しい、か」
そう言って右衛門の背中に手を回し、背中をぽんぽんと叩いてやる。そして皮肉を忍ばせる。といっても、右衛門にもわかるように、簡単に。
「俺はもうそんなことすらわからない歳になったと、お前はそう言いたいのか」
「そういうことじゃ…」
「わかってるさ、お前が言いたいことくらいわからない俺じゃない…ただ……俺は気分屋だ、今ならお前に抱かれてもいいと思う」
そう言って右衛門の瞳を眺める。その黒い目はまっすぐと与一郎を見ていた。それは期待と不安の入り混じるそれだった。若さの噎せ返るような…香り立ちすらしそうな目をしている。こういうところは好きだと思う。
何故だろうか。思い出すのはもう手に入らないあの背中だ。どうあがいても、何度叫んでも、泣いたところで手に入らないあのたくましく凛々しい、それでいて人間臭い男の背中だ。
与一郎の、ただ一つの例外。本当に本当の、初恋だ。
与一郎の記憶など何も知らないこの若い青年は、ただまっすぐ見つめてくる。ああ、だんだんと思い出してきた。
あの男もそうだった。何も知らず、まっすぐ見ていた。悲しいのはそれが与一郎を見ていたのではなかったということ。もっと悲しかったのは、その視線の先にあるものが、よりによって与一郎の知りうる人だったということ。それだけだ。
右衛門がしびれをきらしたように言葉を口にする。
「義兄様」
答えを知りたがる若者に、与一郎はふふ、と笑う。
「…だが明日になったらわからないな、お前が今度こうしたら…斬り殺してしまうかもしれない」
にい、と嗤うそれに、右衛門の表情が引きつる。これが軽い冗談ではないということを、彼は知っているだろう。それだけのことをしてきた。それだけのことを、している。
彼が与一郎に何を求めているかは知れない。知る気もない。ただ、今はなんとなく興が乗っている。それだけのことだ。
「義兄様になら殺されてもいい」
「…そんなことを言ってわからないぞ、命乞いをするお前の姿が見えるようだ」
そうだった。皆、命乞いをするのだ。最期は無駄だとわかっていてもこちらの機嫌を回復させるようなことを言う。
皆そうだった。だからわかる。
「本当です…本当の本当です…だから、義兄様…僕と…」
そう言って再び抱き着く右衛門の体を、与一郎は拒むことなく受け入れた。
なんだか気分がいい。いつもだったらこんな素っ頓狂なことを許すほど与一郎は寛大ではない。自分で言うのもおかしな話だけれど。
だが今日は違う。まるで右衛門から若い気を吸っているようだ。まるで自分も若返ったような、そんな気がする。
右衛門に抱かれて、その体を好きにさせた。右衛門はその粗雑…というより、純粋に間が抜けているいつもの様子とは少し違う、まるで壊れ物を扱うように与一郎に触れた。
だから行為の最中にこう言ったのだ。
「俺はお前にのしかかられたくらいでは、死なんぞ」
「…大切な義兄様に、そんなことできません…」
彼はそういうだけだった。思ったより行為そのものは静かだったのが拍子抜けだった。いつものように余計なことをぺらぺらしゃべるのかと思ったら、そういうことではないようだ。
何度も何度も抱かれた。これが最後だと思っているのだろうか。それが与一郎の望みだと、彼はそう思っているのかもしれない。
抱かれているうちに、記憶が、思い出しくもない思い出が、さざなみのように寄せては返す。
結局、あの憧れにも似た、でもあこがれるには近すぎたあの存在は、与一郎の体に触れることなくあっけなくこの世を去った。
あの…忠三郎に…いや、似ていない。右衛門は、似ていない。なにも、どこも。
だから違うのだ。この行為だって、与一郎の気まぐれでしていることにすぎない。今更忠三郎を求めたって、もう彼はどこにもいないのだ。
だから違うのだ。右衛門はけして忠三郎の身代わりではない。きっと違う。そうだと思いたい。
そんな馬鹿なことにうつつを抜かしているなんて、むこうに逝った忠三郎にとても知られたくない。
わかっている。もうこの行為そのものがどうしようもなく馬鹿なことくらい。
「最初に抱き着いたのは、だとしたらなんだ…返答によってはお前を張る」
「なんだか…我慢が…できなく、て…」
ああ、まともな返事を期待した与一郎がやっぱり一番馬鹿だ。
でもどこかで考えている。今は亡き忠三郎と、こういう関係になっていたら。こんな睦言を交わしていたのだろうかなんて。
寄せては返す記憶が混じり、与一郎に甘く囁いてくる…。

朝になる前の張りつめた空気が、二人を包む。
冷え込むからとくっつこうとする右衛門を手で払いのけると、右衛門はこう言った。
「どうすれば僕を一番好きになってくれますか」
呆れた。
彼はこれが最後だと思っていると与一郎はそう思っていたのに。これが若さなのかと思わざるを得ない。
与一郎はため息をつくと、身を起こし胡坐をかいてこう答える。
「…珠を」
「…」
「珠子と、あいつを生き返らせてくれたら」
右衛門を見ることなくそう言った。諦めろと暗に言ったつもりだったが、ただ右衛門に興味を与えるだけだった。
「あいつって、誰ですか」
「……秘密だ」
「…好きだったんですか、その人のこと」
右衛門が寄ってくるのを目で制す。
「それも秘密だ」
「…わからないです、秘密だらけで」
「わからなくていいさ」
そう言ってまた臥せた。そして手を返して振る。もう出て行けというように。
だがその手を何を思ったか右衛門は握ってきた。ぎょっとして思わずその手を見る。その先も。
ああ、見たくなかった。まっすぐな彼の目を。思わずそらしてしまいたくなる。それをしたら何もかも認めてしまいそうで、それはそれで怖い。
「義兄様、また、きます」
右衛門はそう言って何故か優しく微笑むと、この右手の甲に唇を寄せた。
そして何事もなかったように立ち上がると、右衛門は部屋を去っていった。
一人残された与一郎はもう一度身を起こす。何かされた。何だったのか。これはなんだ。
ああ、急にまたいつものように苛立ちが迫ってくる…それも最大級のそれだ。
だがもう遅い。気が付いてしまった。与一郎の中で、右衛門の存在が思ったよりも大きかったこと。
それがやはり身代わりとしてであったこと。思いたくもない。身代わりなんてあいつには務まらない。よりによって、右衛門だなんて。
そんなの嫌だと思っても…いや、よそう。もう過ぎたことだ。
忌々し気に右手甲を見る。そしてまたため息をつくと、今日はもう一日寝ていようとまた臥せるのであった。