それは追憶になる前の話(杉山三袖「高山右近 細川三斎忠興の追憶」の二次創作)

氏郷は唖然とし、それから間もなく憤慨した。それは隣にいる友人に対してではなく、その友人の話す趣味の悪い噂話に対してでもなかった。それを真に受けて動揺しながらも、期待の眼差しを秘め空想してしまう自分に対しての怒りであった。
「しかし、前田様と右近殿が……与一郎、その話をどこで手に入れたんだ」
「信用できる筋、としか言えないね」
与一郎こと忠興は、綺麗な顔をした男だ。すらりとした体つきは氏郷より小柄とはいえそれなりに長身に入る部類で、切長の目は色気を帯び肌は人形のように白い。
昔、忠興が女物の服や飾りに身を包んだ姿をこっそり見せてくれたが、大変艶やかだった。そうやって大人たちを喜ばせては懐に入ることに長けた人間なのかと思いきや、一方で癇癪持ちの烈しい性格を有している。氏郷に対しても当たりはきつい。それもそれで彼らしく美しい生き様だとはと思う。
狂歌の話で盛り上がり、楽しそうに語らっていた忠興がふと人払いをさせてこちらに寄ってきてからまだそう時間は経っていない。折しも春の陽気に花々が輝くこんな時間にする話ではないだろうと氏郷は思ったが、しかしそれでも好奇心を殺せない。
いや、好奇心でもないのかもしれない。そこにゆらめくのは確実に嫉妬という名のついた感情だった。
右近は氏郷にとって特別な男であることに間違いない。彼もまた忠興と近しく作り物めいたきめの細やかな白い肌の優男だが、忠興のように激情に溺れることもなく、ただ穏やかな海のように人々の心を奪った。氏郷もその一人だ。右近は氏郷を選んだのだ、と確かに思っていた。彼はこの手に触れ、微笑んだのだ。
「貴殿のような方と共にいられたら」
淡い恋心を見透かされ、完全に舞い上がってしまった氏郷は、それが自らの信仰心だと疑うこともせずに彼を追った。
間違いだったのか。彼もまた、他の誰かに選ばれたということなのだろうか。しかもそれが前田利家……氏郷がまるでもう一人の親や兄のように慕っているあの男だと、そういうことなのだと忠興は言う。
忠興は氏郷の様子をつまらなさそうに眺めていたが、こちらの視線に気がついたようにこう追い討ちをかける。
「あの人が忠三殿になんて言ってるかは知らないけど、もうずいぶんと長いんじゃない」
忠三、と気安く呼びながら忠興はこちらに寄りかかる。酒も入っていないのにこう言うことをしてくるのは珍しい。確かに昔は戯れることも多かったが、あれだって忠興から『そういうことをしたくないし、そういう仲ではない』と突っぱねたからじゃないか……と、氏郷は言おうとして、やめた。こんな形でも、忠興に慰められているのだと気がついてしまったから。
この男にも思うところはあるのだろう。右近を親しく思っていたのは彼も同じだし、衆道すら好かなかったはずだ。男同士の情のやり取りは家中の関係性をこじらせるものでしかない、などと言っていた気がする。
「……右近殿は何も話してはくれなかった」
「そりゃあ……」
そう言いかけて、不意に忠興は何かに気が付いたように氏郷の傍を離れた。
足音だ。忠興の側近がほどなくやってきて、忠興に耳打ちをする。
「通せ。ちょうどいい」
忠興は低い声でそう返すと、満足げに笑う。もうすっかり大人の顔だ。通った鼻梁についた傷も含めて、随分と貫禄が付いてきたんだなと感心する。傷のことは触れると後悔するほど機嫌が悪くなるので言及はしないが。
「右近殿が来たそうだよ。この際だから訊いてみたらいいんじゃないか」
忠興の言葉に思わずちょっと、と声が出そうになるのを押し殺す。右近にこんな話をしていたと露見したら……いや、この際すべてぶちまけた方がいいのか……?
右近に問いただすことが、氏郷にはできるだろうか。そんなことを考えていたのだった。

「急に申し訳ないね。蒲生様を訪ねたら今は越中様のもとにいると」
清浄な空気を纏って、右近は二人の前に座るとそう切り出す。
早春特有のどこか苦々しい空気も、彼の存在があることでどこか変わったものに変わりそうだ。忠興はそう思いながら右近を見ていた。氏郷は少し照れるようにして笑う。
忠興は多分、氏郷のことが好きだったのだと思う。
氏郷への感情に名前を付けるとしたら恐らく思慕に違いはないのだが、それを受け入れるつもりはなかったし、その名に甘んじるつもりもなかった。同じくして、右近に対して抱いている感情にも名を付けがたいと思っている。
実際に忠興が体を重ねたのは右近だ。氏郷ではない。
だが、自分のことなのにも関わらず、すべてに対して一枚隔てたような感情だけがそこにあった。
この男が欲しいと思ってはいるが、同時にそれは叶わないとも思っている。そして何故か忠興は、氏郷に対してもそう思っているのだ。自分でもこのあたりの決着はついていない。
……氏郷が右近にしている挨拶は、忠興の気に入るものではなかった。誰にでも言える陳腐な言葉をしたかったわけでもあるまい。この男はこんな詰めの甘い男ではないはずなのに、右近がその眼差しを向けるだけであっという間に狂ってしまう。忠興も右近の気にあてられてとっくにおかしくなっているのかもしれないが。
そうだ。
この男のせいで皆おかしくなる。
それを忠興は知っているはずなのに、どうしても離れがたい。
「前田様は息災かな」
忠興の問いに氏郷がびくりと肩を震わせる。わかりやすい男め、と内心嗤っていたが右近はそれに気が付いたようだ。
「ええ、先日も利長様と三人で城の普請について夜更けまでお話しを……さてはあの方のお話を?」
そう言ってふ、と綻ぶように笑む。ああ、右近はきっとわかっているのだ。氏郷の目線の意味を。
まったく面倒で可愛らしい親友たちもいたものだが、こちらも笑みを浮かべるほどに顔から何かが剥がれ落ちそうになる怖ろしさと闘っている。だからひとつ、意地悪でもしてやろうかと思った。
「いやあ、飛騨様が『前田様に右近をとられた』なんて言うからね」
「言っていない!」
氏郷が立ち上がらんばかりに言い返すので、眉を顰め手で払いのけるように振って見せてやる。その様子を見て右近は困ったように笑っている。ああもう、これでいい。変に勘繰ったり、思い悩むからいけないのだ。
「とられたも何も、私は客将の身の上。それは仕方のないことだよ」
右近の言葉は嘘ではないが、本当のことも言っていない。彼は利家との仲を忠興に隠さなかったが、ある意味でこの言葉がその理由でもある。
右近のからだはきちんと時を重ねているところは重ねてはいるが、澄んだような美しさだけは最後まで持ち物として所有するのだろう。その身に触れているのは忠興でも氏郷でもない。それだけのことだ。
「飛騨殿は右近殿の熱心な門徒でしょう。もう気になってしょうがないようで」
「与一郎、そろそろ俺は怒るぞ」
「もう怒ってるのに?」
「与一郎殿、門徒という言葉をやすやすと使ってはいけない。それには私も怒ってしまうな」
右近の怒りの勘所もこういうところにあるから、氏郷は焦がれてしまうのだろう。そろそろ正体がなくなってしまってもおかしくない。燃え尽きて灰になったのに気が付いていない木の葉のようだ。
「利家様との関係は僕も気にするけれど」
「関係?どういうことかな」
しらばっくれる右近の横顔は綺麗だ。大人の顔をしているのは気に食わないけれど。こっちだってもう大人だと言えば言うほど、いなされてしまう。
「忠三殿に聞いてみればいいんじゃない」
氏郷は話を振られてまた忠興の方を見る。この男に自分の右近への思いを打ち明けたのは失敗だったと後悔してももう遅かった。忠興ならばわかってくれると思ってしまったのは、彼も右近によく懐き、共にいるからであって……氏郷はずっとこの二人がどこか羨ましかったのだが……。
結局氏郷はろくに答えられず、右近も特に気を留めていなかったようで、すぐに話題は昨今の雲行き怪しい情勢の話になった。
唐入りの話には皆思うところがあり、特に前田家に身を寄せる右近からの情報は貴重なものとなった。

「まったく、なんの真似だ」
後日、調子を崩し伏せっていた氏郷を訪ねた忠興は、会うなりそう文句を言われたので肩を竦めた。
「自分の体に言うんだね。こんな時期に風邪なんて、全く君らしくないよ」
季節外れの風邪と聞いていたが、どうやら氏郷は他にもいくつか病を隠し持っているらしい。昵懇にしている彼の家中が話すには、何年か前から思い出したように腹痛を起こすようになったということだが、本人は気にせず特に医師なども呼ばないのだそうだ。彼のそういった虚勢を張るのを見るのは初めてではないが、実際に弱っているところを見るのは初めてかもしれないので忠興はどこかそわついていた。
「俺が言いたいのはそういうことじゃない。体なら案ずるな、すぐ治る……それよりも、右近殿に変なことを吹き込むなよ」
「変なのはあの人の交友関係だと思うけど……ちょっと痛いよ、病人のくせにつねるのはおよしよ」
なんだ、元気じゃないかと思ったが頭を掻くその腕が以前よりも痩せていたのが目に留まった。忠興は何人か医師を紹介すると約束したが、氏郷は自分は大丈夫だと宣う。本当にこんな男を逞しいだの頼れるだのと少年の頃の自分は錯覚してしまったのかとうんざりする。
彼だけは、忠興がかつて戯れに女の格好をしてみせても、ただ笑うだけでなんの嫌らしさもなかった。そのからりと晴れたような眼差しに、何か勘違いをしてしまっていただけなのだろうか。
忠興だけが何かを急いて、右近も、氏郷も、喪ってしまうような気がして……この時期の夕立にも似た、昔から忠興の奥底に流れている激情を今は抑えるので精一杯だった。
「俺にはわかる、右近殿は前田様でも俺でもなくお前を気にかけている。だから変な気を起こさないでくれ」
「さては病を得て気弱になったのかな…………そんなわけが、あるか」
「いや……泣くな、与一郎、どうしてお前が泣くんだ」
氏郷の言葉に、忠興は自分が氏郷の前で初めて泣いていることに気が付いた。

2026年4月23日