Lone Star 2

ネロは心底動揺しているようだった。
「お前、お前らな…」
フォルトゥナから久しぶりに顔を出したこの若い青年は、律儀にもキリエに無理矢理渡されたから仕方なくと言ったていではあるが、しっかり手土産まで持ってやってきた。大人になったなと思うダンテの視線に気がついたのか、ネロはバツの悪そうな顔をしてその視線から逃れるようにⅤを見た。
Ⅴは大人しくソファに腰掛けコーヒーを啜っている。片手には本、杖は肘掛に引っ掛けている。明らかにネロがいるから、いつものていを装っている。少なくともダンテにはそう見えた。この関係をネロに暴露するつもりはないのだろう。それはダンテを少しだけ安心させ、そして余裕すら与えてしまった。だからその行動はダンテにすら読めなかったし、ダンテとⅤの事情を全く知らないネロにとってらまさに青天の霹靂だっただろう。
ネロとダンテがたわいもない話に花を咲かせていると、ふとⅤは席を立った。ネロの視線が彼を追うのがわかる。ネロにとってⅤは父親でもある。その正体を知らないわけではないはずなのだが、どちらかというとネロは父親としてというよりもⅤ個人が気になって仕方がないようだ。本人は隠しているつもりだろうが、その感情に名前をつけるならば恋慕と言う言葉が一番しっくりくるだろう。倒錯的な関係に聞こえるが、いまのダンテにはそれを咎める資格なんてどこにもない。Ⅴはそんなネロの刺すような視線を意に返さず、ダンテの座る椅子に近寄る。そして徐にダンテにキスをしたのだ。
「ん…」
「おい、Ⅴ」
「…は?」
ダンテのいなす声もネロの仰天する声も聞こえていないのか、Ⅴはダンテの唇を啄むように吸う。そして吐息を漏らしダンテの肩に触れると、懐いた猫のようにその体に触れ始めた。そして先ほどのネロの言葉に戻る。ネロは肩をわなわなと震わせていた。当然の反応だろう。
「お前ら、そういう…え?」
「Ⅴ、離れろ…ネロがいるのがわかんねえのか」
「どうして?」
首を傾げてⅤはダンテの元を離れると、今度は客人用の椅子に居心地悪そうに座るネロの元にすたすたと歩いていく。
「こっちくんな…」
「だから、どうして?」
ネロの言葉にⅤは同じ言葉を繰り返すと、何故かニコリと笑った。その感情の行き先は多分Ⅴ以外わからない。どうしてって…とネロが目をそらすと、Ⅴは遂にネロの前に立ち、屈み込み、その真っ赤に染まった耳を舐めた。
ぎゃ、と声を上げ、ネロは年頃の男の子のような反応をした。いや、年頃であることには間違いないが…そうして、ネロはⅤの体を押しのけようとする。その声は怒気を孕んでいたが、大声を上げることはなかった。それがネロの、精いっぱいの何かなのだろうか。
「おい、Ⅴ、流石に怒るぞ俺も…」
しかしそんなネロの反応を愉しむように、挑発するように言葉を舌にのせる。そしてククク…と喉の奥を鳴らすように嗤うと、もう一度首を傾げた。
「もう怒ってるくせに……何故怒る?」
「そりゃお前…っ」
そしてその言葉をも吸い尽くすように、Ⅴはネロの唇をそっと奪った。
「ん…」
「…! まじでやめろ…」
否定するネロの体を包むようにⅤは腕を絡め、ぎゅっと抱く。父が子にするそれでは当然ない。愛しい恋人にするそれだ。Ⅴの細い腕に包まれたネロが、慌てるようにもがくが、Ⅴは離れまいと強く抱きしめるし、おそらくネロも本気で抵抗していない…というよりは、できないのだろう。それらを悟ったダンテがやれやれと肩をすくめる。
「おいおい、おじさんはほったらかしか? 確かに力ならネロのほうが俺よりもあるが…テクニックなら断然俺だぜ?」
「馬鹿なこと言ってねえでⅤをなんとかしてくれ…いや、本当にやめろ、Ⅴ…」
ネロの言葉を無視してダンテはおい、とⅤに声をかける。Ⅴは少しだけ目線をダンテにくれたが、お構いなしといった様子でネロの抵抗を愉しんでいる。
「Ⅴはそうしていたいんだろ?」
「…ああ…」
「ダンテ…お前、なんでⅤの言いなりなんだよ、やめろそういうの」
ネロが迷惑そうに叫ぶが、その顔が赤く染まっていることは多分本人は気がついていないだろう。大人になったと思ったがやはりまだ少年の面影が残っているんだなとダンテはネロを見て思っていた。Ⅴを咎めるつもりはない。言いなりというのは言い過ぎだと思うが、ダンテによほど不利なことが起きないのであればⅤの望みは叶えるべきだと思っている。Ⅴはそれがわかっているのかいないのか、ネロの耳許でこう言った。心底嬉しそうに。
「ネロのことも好きだ」
「…俺のこと…も?」
ネロの表情があからさまに引き攣った。まあ当然だ。厭世感を漂わせ舐めたような口の聞き方をするネロだが、その実わりかしきちんとした育ちをしているのは彼の仕草でなんとなくわかる。Ⅴの突拍子もない、それもあまりに不誠実な言葉はネロの想定する範疇を優に越しているだろう。
「お前、自分が何言ってるのか、わかってるのか?」
ネロの言葉にⅤは唇を舐める。艶っぽいその仕草にネロはますます眉間の皺を深くする。
「…さあな」

そもそもネロの方が先にⅤをフォルトゥナに連れて帰ると言い出したのだ。それを諭したのはダンテだった。Ⅴは何も言わなかった。今思えばそれこそがⅤの答えだったのだろう。どちらでもよかったのだ。彼は。受け入れてくれるなら誰でもよかったのだ。だとしたら、これまでの営みは、きっとⅤにとって…本当の意味で欠かせなかったのだろう。自分が必要とされていることを知るための、手段に過ぎない。目的と手段が入れ替わるのはよくあることだ。Ⅴも…いや、バージルがそうだったのだから、それだけは仕方のないことなのだろう。
それからしばらくネロはこの街に滞在することになった。ネロはすぐ帰ると言っていたが、なんだかんだでこの奇妙な共同生活ももう1週間になる。叔父という立場を利用していると言ったら聞こえは悪いが、ネロもそこまで悪い気はしていないらしい。それでも仕事があるから長くても月末には帰るそうだ。彼は彼で背負うものがある。それを眺めるのはやはり楽しい。ただ、ネロの機嫌はここ数日頗る悪い。
朝。そのネロがダンテとⅤを見るなり眉を顰める。
「お前らまたやったのか」
「…何が悪いんだ?」
Ⅴが悪びれることなくそういう。シャワー上がりの髪の毛を乾かすこともせず、タオルで拭っている。ダンテも似たような有様だから何も言えない。シャワールームで二人何をしていたかなんて、言わなくてもわかるだろう。最近、ベッドルームだけでなく、あちこちでⅤはダンテを求めるようになった。まるでネロに敢えて気が付かせるように。
「俺がいるのを少しは考えろよ…」
目をそらすネロを楽しげにⅤは眺める。まるで挑発するように唇を歪めて、するりとネロの横に滑り込んだ。シャンプーの香りと一層際立つⅤの艶かしい色香が、ネロの眉間をさらに深くさせる。
「お前もするか?」
「ばっ……馬鹿野郎! 何考えてるんだ」
ネロの頰が火がついたように朱に染まる。そうだ。ネロがいようと二人の関係は変わらない。それこそいつでもどこでも、Ⅴが求めればそれに応えてきた。流石にネロの目の前でするようなことはなかったが、それに近いことならした。ただ、Ⅴはしきりにネロを誘いたがった。ここ二日ほど、ネロに言い寄るⅤを何度か見てきた。その真意をダンテは知ることができないが、おそらくⅤなりに自分の存在意義を上書きするための行動なんだろうと思う。
それに対してダンテが言えることは少ない。これが最初から恋仲だったとかそういうのであれば、Ⅴの行動を不貞だと糾弾できるだろう。だがそういうわけではない。あくまでも体だけの関係だ。だから黙ってみていることしかできない。もちろんⅤがなんらかの行動をもってネロに無理に関係を結ぼうとしたら止める気ではいる。これはダンテとⅤの問題だ。ネロを巻きこむわけにはいかない。そういう理由だ。その不貞を咎めるつもりはない。
「お前…マジでいい加減にしろよ」
それに…ネロもⅤに対してのっぴきならない感情を抱いている…と思う。ネロにとってⅤは父親ではあるが、それを知ったころにはすでにこの関係が出来上がっていた。今更父親だと言われても、それを呑み込むには時間がかかるだろう。
「どうして?」
Ⅴのこの妖艶に小首を傾げる問いかけは、わざとやっているのと同時に心の底からのものでもあるのだろう。どちらかというと、ネロよりもⅤの方が家族とかそういう密な関係性を求めているとなんとなくダンテは思うのだが、彼もまたどうもそれらの距離感が掴めないのもあるのかもしれない。
椅子に掛けてあった服を着ていると、ネロがダンテに寄る。ついてこようとするⅤをネロは目で制止すると、ダンテに耳打ちした。
「少しだけ、Ⅴと二人きりで話させてくれ」
「…話すだけか?」
「うるせえよ、そういうんじゃねえって…大事な話だ。あとでお前にも話す」
「わかったわかった。なんか飲むもん買ってくるわ」
コートを引っ搔けて、ダンテは事務所を後にする。
「ネロ」
二人きりになるなりⅤはネロの肩に触れる。至極嬉しそうだった。それをかわしてネロはⅤの腕をつかむ。雨に濡れた花のような湿度の高い…どこか密着してくるような香りがした。思わぬ行動だったのだろう、Ⅴがその顔を顰める。
「ネロ…? 痛い、離してくれ」
「お前はこれでいいのか」
「…何がだ? ネロ、痛いと言っているだろう?離してくれ」
「離さねえよ、Ⅴ…お前は何が目的だ? なんのためにダンテと一緒にいる?」
困惑しネロの顔を見ていたⅤが、目的という言葉に反応し眉尻をひくりと動かす。そして俯くように視線を落とすと、諦めたように言葉を漏らした。
「目的なんてない…お前も俺が何かを企んでると思うのか?」
「お前…そりゃ…」
Ⅴが…いや、バージルがしでかしたことを思えば、疑うのは当然だ。もしももっと客観的に、ことを熟知している人間がこの有様を見たら、場合によっては何か企みをもつⅤがダンテを篭絡させようとしているように感じるかもしれない。
いや、ネロ自身…少しだけそれを考えていた。だからこそ、それを違うと思いたいのだ。Ⅴはネロに腕を掴まれたまま、抵抗することもなく静かに首を振る。
「なにも…なにも悪いことなんて考えていない…俺がダンテとともにあるのは…俺がここにいていいとダンテが教えてくれるからだ」
「それって…」
ネロがその言葉に反応するよりも先に、Ⅴはネロの顔を引きつらせるようなことを言い始めた。
「…でも、ネロの街に行くのも興味がある。お前にも必要とされたい…」
「必要とされたい?」
「なんでもするし、なんでも…あげたい………でも、俺に残ったものはこの体しかない……だから…」
そう言って吐息を漏らすⅤの頰が…ほんの僅かに気色ばんでいた。なにを期待されているかなんて言わなくてもわかってしまうが、それに応える気はない。
「……それは、Ⅴ…俺と体の関係になりたいってことか?」
「……それしか俺にはできない」
首を傾げたⅤは、当然のことを言うようにいつも通りの声でそう言った。まるで言葉で自分を縛っているような…いや、もっと過激な言い方をすると、言葉で自分の体を切り裂いているような…そんな様子だった。死体を思わせるほどの不健康な生白い肌が余計にその言葉を無機質に彩る。自身と体の関係になることも拒まない、という言葉にネロはひどく動揺し大きな声を出しそうになったが、なんとかこらえる。ここで力任せにⅤを威圧したところで、この…虚しさしか感じない関係を解決することなんてできない。ネロにできることは、真面目な…そう、至極真面目な顔をして、Ⅴの両腕を掴みまっすぐ視線を合わさせ、こう言うだけだった。
「一つ確認させてくれ。Ⅴ…お前は、ダンテに…その、惚れてんだろ?」
あまり考えたくはなかった。だが、聞かねばならない。知らなければならない。Ⅴの意思を。本当の望みを。それに対しⅤは拍子抜けしたような声で…何を期待していたのかは知らないが…こう答えた。だがそれは応えであって答えではなかった。
「…そんなこと、俺が思うだけで烏滸がましいと思わないか?」
「うるせえ、好きか嫌いかどうでもいいかだ。この中から選べ」
選べ、という強い言葉にⅤは逡巡しているようだった。言葉を必死に探している風だ。そして抑えきれなくなるように、まるでこらえきれない涙のように…たった三文字の言葉を呟く。
「…好き、だ……どうしようもないくらい」
Ⅴの体がわずかに震えているのが、掴んだ腕から伝わってきた。言葉にしてしまえばなんてことないことが、認めてしまうにはこの痩せた長身すべてを滅ぼすようにしてしまわなければいけないことなのだろう。だが、答えは出た。ネロはⅤの腕から手を離すと、その震える肩をぽんと叩いた。
「じゃあ話は早いな」
「なんの話だ?」
「俺は、お前がいてくれればそれでいい。ダンテだってきっとそうだ。いや、むしろ…ダンテのほうがそう思ってる」
Ⅴはネロのそんな言葉を反芻していたが、理解ができなかったのだろう、素直に眉を軽く寄せ問うてくる。
「…お前は何を言っているんだ?」
「お前がいてくれればいいんだよ。お前は俺たちの願いなんだ」
簡単な話だ、とネロは少しだけ笑って見せる。俺たちの、と強調したのは意味があることだった。確かにネロはⅤに…言葉では言い表せないほどの思いを持っている。間違いない。Ⅴがそれに気が付いていることも、知っている。だからこそだ。だからこそ、ネロはこの不器用な双子たちの間に入ることを選んだ。Ⅴが答えを出したように、いまネロも答えを出したのだ。
「そんなことを言われても困る。俺は…いてはならないものだ。でも、死にたくない…無理を言って生きているんだ。願いなんて叶えられない」
「…死にたくない、生きていたい、それがお前の望みだろ?俺たちだってそうなんだ。お前に死なれたくないし、生きていてほしい」
「そうだとしたら猶更俺は、生きるために対価を払わなければならない…」
「対価? お前、本気でそんなこと言ってるのか?」
ネロの疑いの目から逃れるようにⅤは視線を外す。子供の言い訳を聞いているようだとネロは思った。そんなことを考えているとは知りようもないⅤは、自らの体を抱くように腕を組んでなぜなら…と続けた。
「…俺がここにいていい理由なんてそれしかない」
「そんなこと、あるわけねえだろ…」
ネロの言葉にⅤが肩を揺らし、息を呑むのが伝わった。そして目の前のネロの姿に明らかに動揺して言葉を投げかける。
「…ネロ?どうして、どうしてお前が泣くんだ?」
「うるせえな…少なくとも俺は、お前にいてほしいし、お前がいることが俺にとっての対価になってるから…わかってるのか?」
「………」
その言葉の意図を探るようにⅤはネロを見る。視線がぶつかると身を硬くしている。ネロがなにを言っているのかよくわかっていない様子だ。この言い方は良くないなとネロはなんとなく思う。先ほども思ったがⅤは…本人が聞いたらきっと怒るだろうが…迷い子のように声をかけるべきなのだろう。そして受け入れるべきなのだ。だがそれはできない。何故なら…ネロは知っているから。この目の前の愛おしい痩躯が自分にとってどのような存在なのかを。
「約束、しないか? Ⅴ…俺と」
「約束? それはこういうことか?」
そう言ってⅤはネロに抱きつこうとする。きっとこうしないと…こういうことでないと、Ⅴはわからないのだろう。いや、わかってはいるのだろうが、あえて自分の体を軽んじることでうまく折り合いをつけようとしているのかもしれない。
「だから違うって、お前はもうこれ以上自分を犠牲にするな…自分がいていい理由なんて、あるわけねえんだよ」
「ダンテとするな、と言いたいのか?」
「…少なくとも今の状態では、ってことだ。見返りだろうが対価だろうが、そういう理由でダンテと寝るなよ」
「どうしてだ? どうしてお前に指図されなければならない?」
「指図じゃねえ…約束だ。俺もこれ以上は言わねえ。お前のことに口出しするつもりもねえ。でもな、このままでいいとも思ってねえんだよ」
目を覚ませよ、そう懇願するようにネロはⅤにそう言うと、Ⅴはしばらく困惑しながら考えていたようだ。
「俺を、心配しているのか?」
「…当たり前だろ。お前だけじゃねえ、ダンテのことも心配だ」
その言葉にⅤは再びなにか思案していたようだ。沈黙が痛い。もうこれ以上ネロはⅤを説得できないかもしれないとすら考えていた。Ⅴがここでネロの約束を呑まなかったら、もうネロはこの二人を見放すことにすらなりかねない。その意図を察したのか察していないのかは不明瞭だが、Ⅴは思った以上に簡単にその答えを出した。
「…そうか、わかった。約束だ、ネロ…少し、考えてみる」
「ずいぶん素直に聞くんだな…」
「何故だろうな」
他人事のように言うⅤに一抹の不安がよぎるが、今更確認するのも野暮な話だ。それこそⅤの機嫌を無駄に損ねかねないし、下手したら約束そのものをなかったことにされかねない。いや、正直言うとこの約束はそもそもネロに分がありすぎる。Ⅴにそれを履行しなければならない理由もない。ただこういった関係でいることにネロが疑問を呈しているだけだ。だが、このままⅤが傷ついていくのを、ネロは見逃せなかった。それは親子だからとかそういったうわべからやってくる理由ではないと思う。本当の理由こそ、言ってはならないネロのⅤへの劣情の末だろう。言えるわけがないし言いたくない。Ⅴはきっとそれすら超えてネロを受け止めてしまうから。傷ついた魂で、傷ついた体で。自らのダンテへの思いを軽々しく踏みにじってしまうだろう。だから言わない。
Ⅴの肩の向こうでガチャリと音がして、ダンテが扉の向こうから姿を現した。Ⅴの肩を撫でるように叩くと、もう一度その目を見て確認するように言う。
「Ⅴ、約束だからな…俺はダンテと話してくる」
「…俺は一人で待つのか?」
「すぐ終わる」
不安げなⅤを待たせて、ネロはダンテの腕をつかみ部屋に連れて行った。なんだよ、離せよと最初は言われたが聞かなかったし、ダンテもダンテで最終的にはネロに従った。そしてダンテの…散らかり放題な部屋に押し込むように入りドアを閉めた瞬間、ネロはダンテの頬を殴りつけた。
なんとか吹っ飛ばされずに済んだが、その力は人にしていいそれではなかったが、ダンテは敢えてよけなかった。
「どうした、随分なご挨拶じゃねえか?」
「ダンテ、あんたに聞きたいことがある」
ネロは髪の毛を逆立たせるような形相でダンテを睨みつける。そこには殺意すら感じた。口の中が切れたようだ。プッと血を吐いて、やれやれと唇を拭うとネロに向き直った。
「聞きたいことがあるなら普通に聞きに来い。なんで殴るんだよ」
「いいから聞け、あんたが望んだから俺はⅤを連れて帰らなかったんだ。こんな状況を作るために俺は諦めたわけじゃねえ」
「…わかってるさ」
「わかってねえよ! お前、Ⅴとどうなりてえんだよ、Ⅴはお前のことを心の底から必要としてるのに、お前なんでそんな他人事なんだよ」
ネロが憤るのも当然だとダンテは思った。それに気が付いていないわけではない。わかっている。他人事にしているつもりもない。この関係はダンテにとってもⅤにとっても主観的すぎるくらいだと思う。
「他人事にしたつもりはねえし、これは俺とあいつの問題だ…ネロ、いくらお前でも、口出しはさせないぜ?」
「いや、何度だって言ってやるさ、Ⅴはダンテ…あんたに惚れてるんだからな! 選ばれなかった人間として言ってやるよ、何度でも」
「お前は選ばれなかったわけじゃない…あれを見たらわかるだろう? Ⅴは…俺じゃなくてもいいんだ」
そう言ってダンテは肩を竦める。それがネロには気に入らない。確かにⅤはこの腕を、肩を触り何度も体の関係を迫ろうとしてきたし、現に先ほどの発言もある。ネロがその気になれば今頃そういう関係になっていてもおかしくはないだろう。だがネロはそれをよしとはしなかった。それだけだ。
「だったら俺が関係ないなんてよく言えたな。ダンテ、お前何を怖がってるんだ?」
「怖い? 俺が?」
そう言ってダンテはフッと笑った。そこになぜか人間味が感じられなくて、ネロは思わず肩を震わせる。その体に流れる悪魔の血の、より濃いところを見てしまった恐怖のようなものが過ぎる。だがここで引いてはならない。そうネロの人間としてのプライドが高らかにその血を滾らせる。
「怖がってるだろ、Ⅴがいなくなっちまうことを…その手から抜け出ちまうことをな!」
「…別に、あいつがそれを望むなら俺は止めねえ、俺に止める義理はないしな」
ダンテは目を細めるようにしてそう言い、もういいだろと部屋から出ていこうとする。待てよとその腕を掴むが、今度は完全に振り切ってしまった。
「俺はⅤと約束したからな、それは聞けよ、ダンテ!」
ネロが叫ぶようにそう言うと、ダンテは一瞬立ち止まったが、再び歩き出してしまった。消えゆく背中を絶望とともに見送っていると、小さくその声がネロの耳に届いた。
「わかったよ、考えてみる」
ネロはぎゅっと唇をかみしめた。そしてふうと息をつくと、雑然とした部屋を眺めてこう呟いた。
「これで俺も諦められる…といいんだけどな」

ダンテが戻ってきたときⅤはソファに座っていたが、その姿を視認するとゆっくりとした動作で立ち上がる。その表情はどこか怯えているような、それでいて何かを決意したような表情をしていた。その表情に、顔に、目に、仄かに亡き母を思い出して…ダンテは一瞬息を呑んだ。その姿は美しいという言葉だけで形容するにはあまりにも脆かった。気取られないようにわざと頬を緩め、その細い腰に手を伸ばしたが、ぎこちなく躱されてしまった。追うこともできたが、しない。そのときダンテはネロとの先ほどの会話を思い出していた。
…怖い。
確かに、怖いのかもしれない。Ⅴから拒絶されることが…どんな形であれ。それを認めたくはない、ないのだが、確かにこのままではいけないという気持ちもある。それにネロがⅤとしたという約束も気になった。きっとそれはダンテには選べないものなのだろうか。この二人でなければできないことなのだろうか。それは少しだけ悔しい。
Ⅴに敢えて優しく声をかける。
「ネロと何の話を?」
「話なんてしたと思ったか? あれはあれで激しかったぞ」
「そうか」
「…嘘だ。あいつは俺を頑なに抱かなかった。代わりに約束したんだ」
約束。先ほどネロが言っていたことだろう。ほう、と息を漏らす。まるで初めて聞いたように振舞った。あくまであまり興味ないという風に装った。それがダンテのできる精いっぱいだった、Ⅴは気が付いているのかいないのか、そのいたいけな唇を動かした。
「お前とはもうヤらない。お前がいなくても俺は俺だ…」
それはダンテに言っているようでいて、自分自身に言い聞かせているようだった。Ⅴは自らの体を抱き寄せるように腕を組む。その肩がわずかに震えていたのをダンテは見逃さなかった。だがそれを指摘するつもりはない。Ⅴが望むなら…そうするべきだろう。ダンテはそのアイスブルーの眼を臥せた。
「…そうか」
「ネロと約束した」
「で、代わりにネロに抱かれると?」
「……」
悪趣味な戯言にⅤは返事をしなかった。場違いなそれに少しだけ後悔して、表情を緩めた。
「…冗談だよ。そんな顔すんな。わかったよ、お前がそれを望むなら、俺はもうお前を抱かない…だけど、忘れるなよ…俺はお前を愛している」
その言葉を最後まで聞くことなく、Ⅴは部屋の奥に去っていった。

その日から二人のぎこちない生活は始まった。いや、元よりぎこちなかったそれがより酷いものとなった。Ⅴはダンテに近寄らなくなった。ダンテも、必要以上には近寄らない。それでも生活に必要な会話というものだってある。ダンテはⅤによく世間話をしたが、Ⅴの反応は薄かった。だから次第に話をしなくなった。これがネロの望んだ約束の結果…には見えない。
ネロが見たら怒るだろうなということを、ダンテは薄々考えていた。Ⅴは益々事務所に閉じこもるようになった。ダンテも仕方ないから仕事に出かけたりなどするが、Ⅴのことが気がかりであまり気分は乗らなかった。そういえば酒を暫く飲んでいなかったと思い立ち、行きつけの酒場にも久しぶりに顔を出したが、酔うどころか目が冴えてしまい、余計なことばかり考えてしまったので早々に撤退した。
「ただいま、Ⅴ」
「…」
ダンテがドアを開けてソファに座るその姿を視認した瞬間、Ⅴは立ち上がり目も合わさずに事務所の奥…ダンテがⅤに与えた狭い部屋に這入っていった。咎めることはできないが、やれやれとため息をつくことくらいしかできない。
そしてⅤが座っていたソファに触れる。確かに温かい。この温度が、熱が、少しだけ恋しいが…ダンテがそう思ってしまったら、Ⅴはきっと傷つくのではないだろうかとすら思えて何もできなかったし、何も思えなかった。ネロの言葉が反響する。
「Ⅴはあんたに惚れてるんだ」
本当にそうだったら、どれだけ幸せな世界にいるだろう。だがきっと、それは勘違いだ。あれだけ体を重ねておいてと言われそうだが、むしろ逆だ。体を重ねたからこそわかることがある。あの営みが嘘だとは思いたくないが、世間一般的な真っ当なものでないことくらい、ダンテにだってわかる。爛れていることも、正しくないことも、わかっている。やはりネロが言うようにダンテも恐れていたのだ。この指先から抜け出るⅤという…いや、それすら正しい言い方ではない、厳密に言うとそれはあの兄の魂を、掬い取ろうとしてもそれを拒まれることそれだけが、ただただ怖いのかもしれない。
「Ⅴ…」
Ⅴのいないソファに声をかける。当然返事はない。Ⅴの本当の姿を知っているのに、それを否定したのはダンテだ。彼のことを愛しているとは言った。ダンテは心の底からそう思っている。だが…彼の本当の姿が脳裏にちらつくのは事実なのだ。それも含めて愛したいが、まだそれに対する答えはできていない。兄を赦すことはできない。だがそれ以上に兄を求めているのは事実だ。その代替としてⅤを求めているのだろうか。そういうわけではないと思う。それだから…Ⅴが最初に体を求めてきたときは慄きすらしたのだし、彼がもうこの体を求めないと言った瞬間には絶望すらしたのだ。
もう二度と話すことはないのではないのだろうか。そもそもⅤがダンテをどう思っているのかすらわからない。その真意を知ることはないのではないのだろうかという恐怖すら感じる。
そしてその夜はやってきた。
月のない曇天に覆われた空からいよいよ雨が滴り落ちてきそうな深夜。窓辺に影だけが浮かび上がったグリフォンは明らかな敵意を…いや、殺意と言っていいだろう、それをダンテに隠すことなく向けていた。ダンテは目線だけ彼にくれてやる。いざという時は彼らと戦う覚悟はできていたから、とうとうその日が来たとすら思った。
「おい、ダンテ…話が違うぞ!」
「なんだ」
「俺はⅤを救えといったはずだ」
「…なんのことだ?」
ダンテの態度に苛つきを隠さずグリフォンはその羽根を広げこういった。
「ネコちゃんと媾うほど追い込めなんて言ってないっつの!」
その言葉にダンテにこみ上げた感情は、形容しがたいなにかだった。思わず椅子を跳ね飛ばす勢いで立ち上がり、掴みかかる勢いでグリフォンの前に立つ。相変わらずグリフォンは羽根を広げたまま、この状況を作ったのはお前だと言わんばかりに凄む。
「Ⅴはどこにいる」
「外だ!」
「外?」
「大方お前にバレないよう選んだんだろうな!」
その言葉を待たずにグリフォンは窓辺から飛び立ち、ダンテはその窓から身を乗り出し外に出た。走り出したダンテを先導するようにグリフォンは夜空を切り裂くように飛んで行く。しばらく人気のない方角へ進んでいたが、ついに木賃宿が立ち並ぶドヤ街に行き着いた。グリフォンがここだと言わんばかりに姿を消す。そこは路地裏だった。暗い片隅に半裸の男が…汚い壁に背中を預けていた。もう一つ、黒い影がその体に覆いかぶさっている。Ⅴと…形状を変えたシャドウだということは、言われなくても多分わかったと思う。ダンテの気配を察して影はみるみる普段の…黒豹めいた姿に戻る。そしてⅤを守るように目の前に立ちふさがると、その美しい毛並みを逆立たせた。
無言の威圧をものともせず、ダンテはその後ろで…ダンテの存在に気が付き身を震わせているⅤに声をかけた。
「ネロとの約束を反故にするつもりか?」
「…ダンテ」
「Ⅴ、こっちにこい」
優しく諭すように話しかける。しかしⅤはそれには応えず、ただすらりと伸びる肢体を委縮させ首を横に数度振る。当然その翠色の目がなにを見ているかを伺うことはできない。Ⅴはそして震える声でこう言った。
「ダンテ…もう、限界だ……抱いて、抱いてくれ…俺を必要としてくれ、俺がここにいてもいいって、体に刻んでくれ…」
まるで、ドラッグが抜けて限界を越えた依存患者のような…ガタガタと震えるその指先が、その危機感を煽っていた。必要。その言葉がダンテの心を引っ搔く。Ⅴの心からの言葉なのだろう。ここにいてもいい。お前が必要だ。きっと彼の求める言葉はそういった類のものなのだろう。陳腐にすら聞こえるそんな安っぽい言葉を彼は真摯に求めているのだ。彼を繋ぎとめるものは、今となってはもうそれしかないから。ダンテは…だからと言って、簡単にその言葉をくれてやるつもりはなかった。
「…お前、そんな顔して存外に頭悪いな」
「…わかってる。でも…」
否定の言葉を紡ぐⅤの姿が、親に見捨てられ路上に追われた子供の瞳と大して変わらないことに気が付く。きっと似たようなものなのだろう。彼を庇護する存在はこの悍ましくもどこか懐かしい魔獣たちのみだ。そこに割って入れるのだろうか。一番にⅤを助ける存在として、ダンテは自分が選ばれただなんて思いたくもなかった。だからふっと笑ってその痛々しいか細い体に背を向けることしかできなかった。
「……じゃあ好きにしろよ、俺はお前を抱かないけどな…邪魔したなシャドウ」
「ま、待っ…待ってくれ、ダンテ…」
追いすがるようにⅤが叫ぶ。それに対してダンテは振り返ることもなく言葉を返す。
「なんだよ」
「違う…」
「俺が欲しい言葉はそれじゃねえ…なあ、Ⅴ…」
そう言って振り返ると、Ⅴは立ち上がりダンテのそばに…久しぶりに駆け寄った。Ⅴの体から香る噎せ返りそうなほどの甘いそれが、今となってはいやに懐かしい。それが意図的なものなのかはわからないが、ダンテはその体に手を伸ばすことなく、諭すように見下ろした。Ⅴは…黙っている。俯いたその表情は伺えないが、唇を噛んでいるのはわかった。
「愛してるって、言葉じゃ足りねえか」
「…わからない。俺には、似合わない言葉だ」
Ⅴは表情を見せることなく首をまた横に振る。目の前に提示されたものが一番欲しいものだとわかっていても、そこに意図を勝手に見出して手を伸ばすことができないその感覚は、なんとなくダンテにも覚えがある。しかしそんなⅤにかけられる言葉はきっと少ない。
「そんなことねえよ…Ⅴ、お前はここにいていいし、俺はお前を愛している。これだけは変わらねえし、変えたくねえ…」
ダンテの言葉にⅤは疑うように顔を上げる。久しぶりにまじまじと見たその顔は不安に染まっている。
「俺が誰かも知ってるくせに、俺が何かも知ってるくせに…それなのに、そんなことを言うのか?俺は…俺は、お前から数えきれないものを奪ったのに…?」
Ⅴの言葉にダンテの脳裏に様々な情景が過ぎった。確かにⅤの言う通りなのかもしれない。それを踏まえてダンテを信用しろなんて言うのは、むしろⅤにとっては酷かもしれない。思えばⅤにそういった過去の話をすることはなかった。そのとき何を思ったのかすら、Ⅴはきっと知らない。しかしダンテには…少なくとも今のダンテには、それらを羅列しⅤを糾弾する気にはなれなかった。それがある意味でⅤの欲していたものだとしても、与えられないものは与えられない。与えられるのは、陳腐な言い方だが慈しみの言葉だけだ…そもそも、こういうものは与えるものではないのだろう。魂を掴みあい、もがいた先にある光景を、Ⅴ走らないだろうし、ダンテもまだ知らない。その一歩を踏み出そうとしているのだ。ダンテはⅤの肩に触れる。
「確かに奪われたな…お前を…バージルを、赦す気にはまだなれない」
「だったら…」
「でも、お前を愛する気持ちに変わりはない。Ⅴ…俺も、怖いんだ」
怖い、という言葉にⅤがあからさまに反応する。
「怖い…ダンテがそう思うのか?」
「当たり前だ。怖い…お前がいなくなることが」
その言葉を飲み込みあぐねているのだろう、Ⅴはダンテの瞳をまじまじと見る。深い翠色の目がまっすぐダンテを映すと、かつての母の記憶を擽られるようだ。そして一言、こう言葉をこぼす。
「どうして」
ああ、この言葉はよく聞いた。Ⅴはすぐにこう訊くのだ。どうして、何故…それは、彼がやっと手に入れた世界への疑いなのだろう。疑うことで、きっと彼は呼吸ができるのだ。ならば、それに対してダンテなりに呼吸を分けてやることしかできない。さながら情熱的なキスのように。それは人口呼吸めいてⅤを否応にもこの世界で呼吸させる。
「お前を愛しているからだよ…愛おしい、お前のことが。これ以上なく…それこそ狂っちまうくらいに」
「…わからない…俺にそんな価値があるのか?お前の横にいても…いいなんて、俺には思えない…」
「じゃあ、ゆっくりわかればいい…今はそのための時間だ…Ⅴ、お前にもできることはある…いや、お前にしかできないことだってあるし、お前がいることで少なくとも俺は救われてる」
その言葉を最後まで待たずに、Ⅴはダンテに抱き着いた。柔らかい漆黒に染まった髪がダンテの頬をくすぐる。おいおい、と思わず背中を撫でると、その喉がひくついていることが分かった。
「…泣いているのか」
「…ずっと…待っててくれるか…俺がわかるまで…」
小さく…この距離でなければわからないほどの小ささでしゃくりあげながらⅤはダンテの首筋に顔を埋める。ほのあたたかい体温が、じわじわとダンテに伝わる。その燃え滾るような魂の残り香を抱きしめて、ダンテは頷いた。
「ああ、待つさ」
「今すぐは、無理だ…でも早くしないとお前が狂ってしまう」
「…とっくに狂ってるからな」
「…俺にはなにができるだろう…できないことばかり、考えてたから…わからない」
「ゆっくり気が付けばいいと思うぞ」
Ⅴの言葉にダンテは優しく答えていた。しばらくこうした問答が続いたが、Ⅴはダンテの体から少しだけ離れると、ダンテの顔を見て小さくつぶやいた。
「こういう時に言うことじゃないと思うのだが…」
「どうした?」
「ネロに…謝ろう、俺たち、ふたりで…」
「…そうだな」
Ⅴの言葉に、ダンテはゆっくりと目を伏せた。今度フォルトゥナに二人で行こう。何か彼らが喜ぶものでも持って…そしてネロに頭を下げて、これまでのことを話そうではないか。そういった話を静かにした。魔獣たちはそれらを遠くから見ていて、そちらでも何かを話していたようだったが、やがて何事もなかったようにⅤのもとに寄ってきた。シャドウがちらりとこちらをみた。すまない、とダンテが唇を動かす。
「ダンテ、ありがとうよ…ネコちゃんもそう言ってるさ」
「本当か?」
「Ⅴちゃんの幸せが俺たちの幸せってもんよ」
「随分とやさしい悪魔なこった」
「勘違いすんなよ? お前には優しくしねえヨ」
グリフォンが声に出さずにそう言ったのを、ダンテはただ見ていた。彼らの望むそれと今が同じとは思わない。特にシャドウが何を考えているかは今もダンテにはわからない。それは主人に対する忠誠としての行為だったのか、それとも個としての愛だったのか後者だとしたら、とても残酷なことをしてしまった。彼はいつかの敵だが、それとこれとは話が別だ。だがシャドウはそんなダンテの逡巡など御構い無しに、Ⅴに寄り添うように歩くとしばらくしてその身体に還っていった。それに倣うようにグリフォンも、じゃあなと一言置いて影となり還っていった。
夜空が白み、愈々太陽がその身を晒す前に、二人は事務所まで帰った。道中会話はなかったが、すでにそれを気まずく思うことはなかった。そういえば並んで歩くなんて久しぶりだ。手でもつなぐかと一瞬思ったが、Ⅴの横顔を見てやめた。そこには意思を持ち歩み続ける青年の姿があった。
星空が太陽の光に死んでいくのを見届けるように、最後に残った一つ星がその姿を消していくのをⅤはダンテの隣で見た。街が光に晒され意識を失う前に二人は事務所のドアを開ける。先に入ったダンテを呼び止めると、Ⅴは後ろ手でドアを閉め、ふっと笑った。見たこともないほど、柔らかい笑みだった。あどけなささえ感じる顔に、ダンテは内心どきりとする。
「…ダンテ、抱いてくれ」
「おい、Ⅴ」
今までの話は何だったんだとⅤを見ると、Ⅴはちがうと言ってまた笑った。
「…そういうことじゃない」
「どういうことだ?」
「俺がお前に抱かれたいんだ。別にお前のためとかではない。俺のためだ……もうしばらくしてない。お前にもっと触れたい。知りたいことだらけなんだ…しないのか?」
そう言ってⅤはダンテを抱きしめる。細い腕が絡みつき、ダンテの耳元に唇を寄せる。
「ダンテ、俺に愛しているといったな?」
「…ああ」
「告白には返事が必要だ」
「…Ⅴ」
「俺も、愛している。ダンテ…お前が好きだ」
重ねてきた唇の熱に、ダンテは参ったなと内心呟く。こんなにストレートに言われてしまっては、恥ずかしがる余裕すら奪われてしまうではないか。お互いの吐息を食み合うようなキスは、もう以前のようなぎこちないものではなかった。互いにきつく抱き合う。それはいい年をした大人がするような抱擁ではなく、まるで初めて恋の味を知った年端もいかぬ少のそれのようで、笑みがこぼれる。
散々経験を積んだと思っていたが、案外そうでもないらしい。初恋の相手を目の前にした少年のような躍動する心に自分でも驚きが隠せない。ダンテの心をかき乱すその魂に、翻弄されっぱなしだ。どうしても守りたいと思っていたが、実は最初のあの日から、守られていたのはこちらのほうだったのかもしれないとすら思える
「今、違うことを考えていたな?」
ダンテの唇を舐め、Ⅴは妖艶に笑いながら釘を刺すように言葉を舌にのせた。それに対してふっと笑いその痩躯を抱きかかえる。相変わらず軽い。Ⅴの腕がダンテの首に絡みつく。
「まさか。お前のことしか考えてないさ」
「それはそれで心配になるな」
表情を綻ばせるⅤの瞳にはもう翳りは見当たらない。そこにはまっすぐダンテが、そしてこの世界が、映っている。澱みなく循環する清らかな水のようだ。その母を思わせる翠の目に見つめられてしまったら、もう素直になるしかないのだろう。
「愛してる」
そう言って、ダンテはⅤを抱きしめた。

「お前らな…来るなら連絡くらいしろよ」
ネロは口ではそう言いながら、来いよとドアを開けダンテとⅤを迎え入れた。
夏の終わりのフォルトゥナ。あの路地裏の一件から暫くして、二人はネロの元にやってきた。大した土産はなかったが、それでもネロ達は歓迎してくれた。キリエに手料理を振舞われ、孤児院の子供たちの遊び相手をしたり、ニコの熱い語らいに巻き込まれたり、時間はあっという間に過ぎていった。だから顔を出した本当の要件を切り出せたのは、その日の夜になってのことだった。
「電話で聞いた通りか。ん、よかったな…」
ネロは酒を口にしてそう言う。
「電話?」
ネロの意外な反応にダンテが眉を上げると、その隣でⅤがくすくす笑った。まるで悪戯が露見した子供のような顔をして、ダンテにこう言う。
「たまに電話しているんだ…近況を報告している」
「おいおい、俺に秘密でやってたのかそんなこと」
「秘密ではない…ダンテは最近仕事が忙しいからな、知らなくても仕方がない」
「お前がなんでも仕事を引き受けてくるからだろ」
「生活には金が必要だ」
二人のやりとりを見ていたネロがわかったわかったと手を振る。ほうっておいたら延々と痴話喧嘩を見せられそうだ。流石にそんなものを見て喜ぶ心は持ち合わせない。だが、こんな様子でいる二人なんて、つい最近まで考えもつかなかった。戯れるように言葉をやり取りする二人がネロには微笑ましい。あの虚空を見ていただけの存在だったⅤが今やダンテの仕事の窓口役だなんて考えるだけで笑いが出てきそうだ。
「まあよかったな、正直俺もでしゃばったことしたかなとか思ってたんだけどさ、お前らの顔見て安心したよ」
ネロはそう言うと、腕を軽く組んでⅤとダンテを交互に見る。ダンテはソファに体を預けそんなネロを見る。その目は少し憂いを帯びているが、それはネロの成長ぶりを眩しがるようでもあった。あの荒んだ頃に比べて、だいぶⅤもダンテも顔つきが柔和になった気がする。特にⅤは顕著だ。その功績はひとえにネロのものだとダンテは思っている。だから素直にこう賞賛するのだ。
「いや、間違いなく坊やのお陰だ。またお前に助けられるとはな」
「本当は俺が守るべきなのに、こんなことになるなんて…すまない、ネロ」
「やめろよ、お前らのそういう言葉が聞きたいんじゃねえって」
二人に頭を下げられてネロが慌てたように鼻を掻くと、嬉しそうに笑った。ダンテを説得するときにネロは確かにⅤに選ばれなかったと言った。ネロもまたⅤを特別な目で見ていることをダンテは知っている。だからこそ、今となればⅤを大切にしなければならないと思うし、彼がダンテと対等にあるためにもっと色々と…そう、まずは彼を知るところから始めなければならないと思っている。
ネロはネロで、諦めると言ってしまっていたが、まだ完全には諦められないでいる。だが、Ⅴがひとまず幸せでいるのなら…そしてそこに、理解者として自分が介在できるのならば、それもそれでいいことなのかもしれないと思い始めていた。
Ⅴは…比喩でもなんでもなく、生まれて初めてのことすべてに、まるで幼子のように心動かされていた。彼もネロの心内を知っている。それに答えてしまえたらなんて、昔の自分ならば思ってしまうようなことだが、今は…もっと違う形で、ネロと特別な関係にありたいとすら思っている。これが途方も無いエゴだと言うことも分かっているが、ネロがあえて何も言わないのはその証左なのかもしれないと思っていた。それにⅤは決めたのだ。自分の足で立って、真っ直ぐに前を向いて…たまには寄り道してもいいかもしれないが…この世界でダンテと生きることに。それがどんなに険しい道でも、あの路地裏からの帰り道でダンテと見上げた一つ星のように…なにかを照らして歩いていけたらいいとすら。
フォルトゥナの夏は短い。そして夜ももう少しで終わりを迎えそうだ。ネロに感謝しつつ、三人で朝まで語らったのは、彼らが新しく踏み出した第一歩なのかもしれない。

フォルトゥナから帰ってきて、二人の生活は少しずつ変化していった。といっても、その営みは一見ではとても劇的な変化を伴ったものではない。普段どおりだ。なにもかも。しかしその根底は変わりつつある。特筆すべき変化といえば、Ⅴの行動範囲が少しずつ広がったと言うことだろうか。ふらりと外に出て、気がつくと帰ってきている。ダンテも最初こそ少し気になっていたが、そのうち無事に帰ってくることが当たり前になってきたのでなにも気にしなくなってきた。それどころか簡単な仕事をⅤに振ることにしている。ネロが事務所に来たときに一番驚いたのはそこだ。仕事から帰ってきたⅤをネロがまるでお使いから帰ってきた子供のように扱うものだから、Ⅴがふてくされたのは言うまでもない。あまり顔には出さないものの、楽しげにしている。ダンテの元で暮らし始めた頃のことを思うと、その差は歴然としていた。その頃のことを話すと、Ⅴは決まってこう言った。
「あの頃は毎日が不安だった」
今は違うと穏やかに笑うその横顔にたどり着くまでにどれだけ彼を苦しめたかと思うと心が痛いが、それもいずれ瘡蓋のように癒えていくものだと思う。Ⅴのあの状態を他の誰でもない自分が救えなかったのはそれはそれで寂しいが、ネロにきっかけを与えられたとはいえ、Ⅴが自分自身で選び決めた結論に自分も存在している事実がダンテには眩しい。
きっとⅤは急速に大人になろうとしたのだろう。精神も、体も、蛹のようにどろどろに溶けたのだ。自らの境界をなくして、滲んで、消えてしまいそうになるほど…その結論として、彼はいま、穏やかに笑みを浮かべダンテのそばにいる。ただダンテの傀儡としているわけではなく自らの意志で、自らの足でしっかり立って、対等にダンテと共にある。
それはいつか急にあっけなく終わるかもしれない。それでもせめてその時が来るまでは、二人でこの救いようのなく愛おしい世界で、ささやかな日々を生きていこうとダンテは思うのだった。

あとがき

はじめまして。並木満です。
DMCにはまって十年ほど読み専でしたがひょんなことからこんなことになりました。
そして今回ダンⅤで小説を書こうと軽い気持ちで書き始めたのがきっかけでこんな感じの本ができました。本来はセックス依存症のⅤとそれを見守るダンテを書く予定でしたが、存外にダンテもいい感じにやってしまいました。

こんなはずではなかった
こんなはずではなかった(大事なことなので二度)

本当はどんなⅤちゃんも受け止めるかっこいいダンテを書くつもりでした。書いてみたらダンテも苦しめたいなって思ってしまいました。えへへ(威圧)
こんな感じですがお楽しみいただければ幸いです。どうか石投げないでね。やめてね。
わかってる。こんなはずじゃなかったって。
またそのうち機会があればダンⅤを書けたらいいなと思っています。今度はちゃんと徹頭徹尾かっこいいダンテを書けたらいいなあ。
今回のダンⅤを書くにあたり、助言をしていただいたすべての皆さんに限りない感謝を。

2019年10月13日 並木満

2024年11月14日