君の脈で踊りたかった

静かに雪が降っていた……それしか覚えていない。輝綱が亡くなったのを、忠秋は隠居先で知った。
せめて隠居するまではと思っていたが、本当にその最低限だけを守ってさっさと死んだ彼は、やはり信綱の血を受け継いだ子だと思う。父と比べられることを嫌がり、政から敢えて離れていた輝綱だったが、ある意味ではよく似ていた。彼もまた、信綱のありえた姿なのかもしれない。
残念に思うと同時に……あまりこういうことは思ってはならないが……安堵した自分もいた。輝綱を遺して死ねるほど忠秋は冷酷になれなかった。信綱の死際の言葉が今も離れないからだ。
「お前にしか託せない、頼んだ」
忠秋はそれに何も言わず頷くことしかできなかった。数ある別れの中でも、あれだけ涙をこらえた別れがあっただろうか。
そういえば信綱はよく冷酷だの冷血だのと言われる男だった。それは彼をよく知らないからそう言えるのだ。彼は紛れもなく人の血の通った、確かにぬくもりのある男だった。それはそれで当然だ。人の子である信綱と、情を交わしてしまったのは確かに忠秋なのだから。
思えば全てが夢のようだった。今、神だか仏だか知らないが…何らかの見えざる偉大なものが現れて、今までの忠秋の人生は長い夢だったと言われてもさして驚きはしないだろう。ただ、寂しくは思うと思う。いまこの隣にいない、信綱まで夢にしたくはない。だが皮肉なことに、彼の存在が一番夢のようなのだ。それくらい、彼との関係を言葉にするのは難しい。なまじ体の関係があった事実が、本当に大切な部分を隠してしまっている気さえする。それも今はない。もうこの手が温めるべき冷たい指先はどこにもない。
いずれ自らも形を無くし、言葉を無くし、声も骨も何もかも消えてしまうのだろう。それは寂しいことではあるが、それらを乗り越えた先に再び出会えるのだろうか。忠秋は思い出の中をたゆたえるほど、世の中を儚く思うことはできなかった。降りしきる雪のように春になったら勝手に消えてしまう軽薄さを持っていたのならまた何か変わっただろうか。
数えきれないほどの人の死を越えてきた。皆と会えるのはいつだろうか。その中でも、信綱には言わなければならないことも、怒らなければならないことも、詫びなければならないこともある。それこそ数えきれない。多くの言葉が二人の間を埋め尽くすだろう。思えば、今はこの身を包む言葉がずいぶん少なくなったものだ。きっと喧しいとすら思うだろう。でも、彼に会えるのであれば、それも悪くないと思った。
それから五回の冬を越えた延宝三年の皐月上旬、阿部忠秋は静かにこの世に別れを告げた。