「可哀想なのでこうして差し上げます」
与一郎はそう言うと、右近の弓のようにしなやかな腕を縛り上げた。と言ってもどこにも拘束はされていないし、右近がその気になれば簡単に解ける程度のものだった。
「こうすれば、言い訳ができるでしょう?」
誰かに見せるわけでもないが、この様ならば右近が自らの意思で抱かれていると誰も思わないだろう。あくまでも与一郎に一方的に犯されているようにしか見えない。
別に急に与一郎の中に情けが生まれたわけではない。最初から、今日はこうしてやろうと決めていた。可哀想と本気で思っているわけではないが、多少は哀れだとも思う。
「あ………」
それまでされるがままだった右近が、自らの腕を見上げて身じろぎする。
蠢く生白い肌が与一郎の心を一瞬逆撫でるが、口に出したところで右近には理解できまい。代わりに少し乱暴に髪を撫でてやる。墨染のような美しい髪が、やはり癪に障る。
「いや」
涙を浮かべた右近は、しかし縛めを解こうとはしなかった。それを見下ろして嗤う。
やはり哀れだ。こうでもしてやらないとこの男は自分を許せないのだ。この行為を一度でも肯定してしまえば、きっと立つこともままならぬほどに崩れてしまうのだろう。なんて哀れなんだろう。なんて愚かなんだろう。優しく髪を撫でて、誰もあなたを責めませんよ、と言葉を紡ぐが、口端は上げたままだ。当たり前だ。こんなもの、面白くて仕方がないのだから。
「…いや」
「厭なら取って仕舞えばよろしいではありませんか」
右近が唇を噛み締めるのがわかる。
笑いながら無防備になった右近の胸元を撫でると、息を呑みびくりと反応する。いつまでたっても慣れないのかそれはそれで嗜虐心を煽って善いものだ。これで演技ならばたいしたものだ。引っ掻くように軽く爪を立てて乳首に刺激を与えてやれば、振り払うように首を横に振った。それでもまだ縛めを解こうとはしない。なんて強情な男だろう。今に始まった事ではないが…こんな男のどこをどう好きになったと言うのだろうか、忠三郎は。
スラリとした脚を苦しげに曲げさせ、再び右近の中に侵入する。
「う、あ…」
啜り泣くように小さく声をあげ、必死に快楽から逃れようとする右近の瞼を濡らす涙を拭ってやろうと手を伸ばすと、悲鳴をあげ目を閉じられた。それは咄嗟の行動だろう。誰だって目許に手をやられるのは嫌だ。だがその抵抗が与一郎には気に食わなかった。
「抉られると思いましたか」
優しく声をかけ、しかし指先は右近の瞼を容赦なく圧迫する。
「本当に抉ってしまいましょうか」
「やめ…て…」
目を塞がれ涙を流すことも許されない右近はただ懇願することしかできないようだ。
圧を与えながら考える。もう二度と忠三郎のことを見ることができなくなればいいのに。もう二度とこの美しい眼差しで忠三郎が動揺してしまうことのないように。
ふふ、と笑って右近の瞼から指を離す。はなから抉る気などない。そんなことをしたところで、悲しくももう忠三郎は右近から離れられないのだから。ぱちぱちと何度も瞬きをする右近の息が揃わないうちに再び腰を強く打ちつけた。
「ひぐっ…」
呻く右近の細い腰を掴み、情動に任せて腰を押し進める。右近の中は熱く、じっとりと与一郎を締め付けた。
「あ、あ、あ…いや、いや…いや」
いつもそうだ。行為中に右近はいやとしか言わない。ほとんど自ら抱かれに来ているようなものだというのに。涙を流し首を横に振ることでしか彼は自分を許せないのだ。それが何よりも腹立たしい。何故まだそんな顔をしていられるのか、理解できない。
もう諦めて仕舞えばいいのに。もう、ただ快楽を享受するだけの人形になって仕舞えばいいのに。そのためならいくらでも快楽を与えてやるというのに。その苦しげな顔を見るのも嫌になり、右近の体を強引に引き寄せる。
「え…」
驚いた右近にはまるで答えず、そのまま体勢を入れ替えて無理矢理にその体を伏せさせた。侵入した与一郎のそれがいつもとは別のところに当たったのだろう。少し大きな悲鳴をあげた右近の背中は大きく上下していた。
「やめて、やめ…もう、や……」
息をつかせる間も与えず、獣のように激しく腰を叩きつける。
やめろと言われてももうやめることはできない。右近の思いとは裏腹にこの体は簡単に与一郎を受け入れてしまっている。男を抱いたことはほとんどないが、相性も良いのではないだろうか。抱いていて、違和感がない。ああ、この体だけは好きだ。それだけは本当かもしれない。
しばらくそうして激しく交わっていると、あ、あ、と小刻みに喘ぐ右近の声が、普段のそれより高くなっているのに気がついた。
「どうかされましたか」
右近は答えない。代わりに体を今まで見たことがないほどびくりびくりと震えさせている。必死に快楽から逃れようとしているようだ。
…無駄な足掻きを。そう思っていつもよりも強めに打ち据える。右近はそれに対して抵抗しようとするが縛めがそれを阻んでいるようだ。本気を出せば解けるだろうに。そういうところが本当に嫌いだ。
そうしているうちに右近は何かに刺されたかのように一際大きな悲鳴をあげ、そのまま突っ伏してしまった。体は痙攣し息は荒い。
「おや」
与一郎はその反応に覚えがあった。はあはあと大きく息を吐きながら、右近は動揺を隠さず大きく首を振った。
「あ…あ……?や、やだ、いや、違…っ」
「何が違うと言うんですかねぇ、これはなんですか?」
与一郎は容赦なく右近の下腹部を握りしめる。与一郎の見立て通りそこはだらりだらりと精を垂れ流していた。直に掴まれた感覚に耐え切れなかったのか右近がびくりと跳ねて悲鳴をあげる。
「知りません、知りません……あ、あ…私は……」
首を振り知らないというが、知らないはずがない。男ならば知らないはずがないのだ。それを思い知らせるように下腹部をわざと優しくなで上げると、ぎゅうぎゅうと右近の後ろが与一郎のそれを締め上げる。その刺激に与一郎も思わず続きそうになったがなんとか堪え、お返しとばかりに右近の太腿をぐっと抓りあげた。
「痛…っ」
「はしたない方ですね」
「ちが…」
「違いませんね、そんなに良かったですか?」
「そんなわけ…っ」
右近が振り返り眉根を寄せたが、もうその顔は涙か涎か洟か、判別できないほどどろりと汚れていて、怖くもなんともなかった。それどころか、普段ならば絶対に見せない表情にどきりとした。この顔を知っているのは与一郎一人だ。優越感と少しの動揺が与一郎の背中を撫でる。それらを振り払うように右近の力の抜けた体を引き寄せてぬち、と再び動き始めた。
「やめ、動かな…あっ」
「わたしはまだ満足していませんが」
「あ、あ、いや、いやだ…いや…」
逃げようとする細腰をしっかり掴み、行為に及ぶ。逃さない。これだけ犯してもまだ清浄な面を見せるというなら、徹底的にやってやる。壊れるなら壊れるで構わない。
右近はついに抵抗を諦めたのか、情けない声でゆるして、とそう呟いた。なにに対しての懇願なのかは本人すらわからないだろう。唯一つ言えるのは、今の声だけは好きだと思った。
「…先ほども言いましたが…誰もあなたを責めやしませんよ」
囁くが、下半身は変わらず容赦無く右近を責め立てる。
許さない、絶対に。何度でも犯してやる。何度でも叩き潰してやる。清浄でなければ生きられないのならば、なによりも醜い欲望を、その体の奥底に隠している快楽への渇望を、この手で直接引きずり出してやる。現にこの体は前を弄られなくても達してしまったではないか。なんて淫らで、なんて罪深い体だろう。いくら精神が拒んだとしても、肉体に棲みつく欲望からは逃れられないのだ。
「ゆるして」
そんな与一郎の思惑を見抜いているかのように、右近はただひたすら許しを乞うことしかしなかった。そんな傍から見たら不毛な行為は与一郎が達するまで続いた。縛はすでに解けていたが、右近は手を伸ばしたまま、未だに見えない縄で縛られている。
聖人気取りめ…そう小さく呟く。最早右近の耳に届いているのか知れたものではない。いや、届いていなくていい。この事実だけで、右近を追い詰めるのは十分だ。
「あんなに乱れるから解けてしまったではないですか」
右近は答えず、ただ手をぎゅっと握りしめた。浮かび上がる血管が何故かいやらしく感じる。細部まで作りこまれた人形ではなく、あくまでも人間なのだ。
「もう一度結んであげましょうか」
そう、何度でも、何度でも結んでやるのだ。見えない縛めを。常に思い出させるのだ。忘れてはならない。忘れさせるものか。お前はもう何があってもこの縛めを解くことはできないのだと何度も何度も囁いてやる。
それからしばらく、与一郎は右近の髪をまるで人形でも愛でるように撫でていた。右近はぐったりと臥し、もうその手を嫌がりもしない。
そうして好きに撫でていたのが、ふと、右近の首筋…髪の中に近しいそこに、痘痕のような、腫れ物ができていることに気が付いた。この体でもそんなものができるのか。最初は面白がって触っていたのが、ふと爪が当たった。痛かったのだろうか右近が身を捩る。
「……」
右近は何も言わなかった。もう声が枯れたのだろうか。声を出す余力も残っていないのか。どちらでもいい。とにかく反応が薄いのが癪に障ったので思い切り指で潰してやった。ぶち、と指に血と膿の感触が伝わる。
「……!」
声にならない悲鳴が響いた。そうだ、それでいい。ただ啼いていればいいものを。血の滲んだ長い指を右近の顔の前で揺らした。
「痛かったでしょう?」
右近がは何も言わず、ただ顔をしかめた。やはりこの態度は気に入らない。そのまま黙って右近の口元に血のついた指を突っ込んだ。
「な……ん、ん」
舌に指を這わせる。嫌がり逃げる舌に無理やり血を塗りつけた。
噛まれるかと思ったが、必死に歯を立てないようにしているようだ。この期に及んでまだそういうことをするのか。そうやって、また聖人のふりをする。まだ自分には清らかな部分が残っているのだと確認してしまう。そんなものとっくに無くしてしまっているくせに。
だから、これは縛めだ。この行為そのものが一つの縛めなのだ。これだけで終わることができると思ったら大間違いだ。
「もう一回結んであげましょう」
そう言ってまた与一郎は右近の体を無理矢理に開かせた。二度と解けない縛めを結ぶため。
—
あたりの空気が凛としてきている。結局朝まで行為は続いた。先ほど漸く与一郎が満足し、部屋には気だるげな空気が漂っている。外とは大違いだ。その差異が面白い。
「日が昇ってきましたね」
「……」
右近は答えない。ただ体を投げ出し、意識を失っているのか、そうでないのかも判別がつかない。微かに胸が動いているから、生きてはいるはずだ。
「今日は飛騨殿にお会いになるのでしょう」
「……」
「早く支度をしてしまわないと」
そういうと右近はようやく目を開きのっそりとその体を起こした。…忠三郎の名前を出すとこれだ。頭にくるが、文句を言っても仕方がない。そんな与一郎の心も知らず、右近はそっと与一郎に背中を向け居住まいを正しはじめる。身支度を整えるその背中をそっと抱いてみた。意図はない。あるとしても、そこに白い背中があったから、それだけだ。そこに情はない。
あれだけ乱れたのにどこから出ているのか良い香りがした。鼻を首筋に寄せようとすると右近は与一郎を疎ましげに手で払おうとしてきた。
「…もう帰ります」
「知っています」
「離してください」
「また近いうちに」
そう言って白い陶器のような頬に口付けを落とすと、ぞわっと右近の背中が群れ為したのが伝わる。久しぶりの反応は非常に痛快だった。もっと、と思ってさらに体を密着させようとすると振り払うように逃げられた。そうだ、それでいい。そうでなくては面白くない。
「そういった冗談は…嫌いです」
右近はそういうと、息を吐いて立ち上がった。少しふらついていいるのが、今更ながら少し可愛らしいとすら思う。
装いを正し、すっかり佇まいはこの部屋に入った時のままだ。誰も彼が情を交わした後だと気がつかないだろう。
「私も冗談は嫌いです」
そう言う与一郎を軽く睨み付けて、右近は去っていった。
その腕にはもう縛めはない。清浄な空気を醸し出し、何事も知らぬふりをして忠三郎に会うのだろう。だがその腕には、その体には、残っている。今宵の残滓が確かに。それはまるで毒のように痕を残すのだ。もう二度と消えない。もう右近の体は彼自身のものではない。彼の意思ではもう動かない。まさに毒そのものだ。
与一郎と言う名の、毒。いびつな形をした、毒。
一人残され、虚空に向かってその美しい唇を歪め笑いかける。今度はどうして抱いてやろう。そう思いながら。