初夢のはなし

それぞれに初夢がある

初夢は割と最悪な夢だった。いや、それはもうどうでもいい。夢なんて大抵支離滅裂なのだから、それが自分にとって都合が良いものなのか悪いものなのかくらいでしか計れないだろう。吉夢とか凶夢なんてものはそれの最たるものだ。
与一郎が見た夢は吉夢とも凶夢とも取れないものだった。
「そういえば、年の初めから変な夢を見たぞ」
年を改めて、もはや恒例となっている友人たちの宴席で忠三郎はこんなことを言い出した。
「船に乗って海に出る夢なんだが、俺以外誰もいないんだよ。不思議なことにそれでも船は動いていて、どんどん太陽の方に進んでいくんだ。おかしいなと思ってな、船の中を調べたら、見たこともないくらい金の龍の像が船底にあるんだ。なんでかその時俺は思ったね、こいつが船を動かしてるんだなと」
「龍が船を動かしているとは豪快ですな」
「そうなんだ、これは面白いと思って龍に触ったら、目が覚めちまったんだ」
「宝船の一つだったのではないですか?」
右近がにこにこと笑いながらそう言う。言われてみれば、七福神の宝船は縁起がいいとされている。与一郎も子供の頃は回文を寝具に忍ばせていたものだ。
「そうですかね、でも誰もいないんですよ。ああ言うのは、七福神とかいるものでしょう?龍の像を見るまでは怪談のようでしたよ……右近殿は何か夢を?」
「私ですか?普通ですねえ……ああ、浜辺で蜃気楼を見ている夢くらいでしたか……ふふ、飛騨殿の船の夢と海が繋がっていれば嬉しいのですが」
「そ、そうですな……」
そういう忠三郎の声が明らかに裏返っている。もはや右近は忠三郎が自分に想いを寄せていることを知っているのではないかと勘ぐりたくなるが、まあなにも知りはしないのだろう。
蜃気楼か……思えば、与一郎が忠三郎に寄せている想いも、忠三郎が右近に寄せている想いも、蜃気楼のようなものなのかもしれない。寄せては返す波の音がそれは幻だと唆しても、人はそこに夢を見ざるを得ないのだ。
「よ、与一郎は、ど、どうなんだ?」
相変わらず声がひっくり返っている忠三郎を冷めた目で見ていると、忠三郎も我に帰ったのだろうか、御本と咳払いを一つする。それを見届けて、与一郎ははあとため息をした。
「夢は見ませんね、見たところで忘れるのが夢ですから」
「つまらんなあ」
「夢なんて自分でなんとかできるものではないでしょうよ」
それをやはり微笑みながら見ていた右近がこんな提案をしてくる。
「では来年またこうして集まれたら、越中殿含めどんな初夢を見たかお話ししましょう」
「なんですかそれは」
それを聞いた忠三郎が嬉しそうに腕を振る。
「それはいい考えですな!与一郎、いい夢見ろよ!」
「来年ですよ?気が早すぎませんか……というか右近殿、そういう口実で集まりたいだけならそう仰ってください」
「あら、気がつかれてしまいました?いいじゃないですか、楽しければそれで」
笑い声が響く中、与一郎は誰にもいえない初夢を思い出していた。与一郎が見た夢は確かに最悪だった。
忠三郎が、いなくなる夢。最後に口付けと、愛しているの言葉を残して消えてしまう夢だった。
目覚めた時に咄嗟に思ったのだ。これは正夢になってしまう夢だと。そして忠三郎に口づけをされ愛していると囁かれた……夢の中では自分だと思っていたのは……あれは間違いなく右近だった。
最悪な夢だった。口付けの感触まで思い出せる。こんなはずでは無かったというのが、目覚めてからの感想だ。
……その翌年も集まったかどうかは覚えていない。なにせずいぶん昔の話だ。
今思えば三人が見た夢はそれぞれを暗示していたのではないかと与一郎は思う。
船でこの国をでた右近、愛の言葉を残し逝った忠三郎、そして浜辺で蜃気楼のようなそれらを眺めることしか出来なかった与一郎。全てが、あの時運命づけられていたとしたら?いや、よそう。そんなのは夢物語だ。
あれから何度の新年をむかえ、これからどれだけ新年を迎えられるかはわからないが、一生あの年のことは忘れないだろうと与一郎は思う。

右近の夢と現

浜辺で右近は蜃気楼を見ていた。漣が寄せては返す静かな朝に、ぼんやり浮かぶそれを右近は穏やかに見守っていた。
海は限りなく碧かった。この世のものではないようなその青に、色は違うが右近はある男の目を思い出していた。
その目は今日のように穏やかに微笑み、かと思えば嵐の中の荒波のように激昂し、冬の波のようにさめざめ涙を落とし、目まぐるしかった。
見ていて飽きない彼に、仄かに右近は憧れていた。だがそれは許されないのだ。彼への想いが一線を越えたものだとわからない右近ではない。
だからこの想いは秘めていようと、そう思う夢だった。それは確かにかつて見た初夢だった。
……何故また、今ここでその夢を見たと言うのだ。一瞬の微睡みは、はたとみればまるで希望の陽射しのようだったが、現実は絶望の沼の中にまさに足を取られているさなかだ。
「おや、目が覚めましたか」
声の主は右近の表情を一瞥しその美しい唇を歪めるだけの笑いを見せた。一方でその眼差しはどこか右近を糾弾しているようだった。
与一郎とのこの望みのない秘密の関係がいつどのように始まったかなんてもう思い出せない。おかしな話だ。先程の夢の話は鮮明に思い出せるのに、現の話となるとまるで霞がかかるように右近の思想を閉ざして余りある。
「…………もう、やめてください、こんなことを続けていても……」
右近の懇願は与一郎の噛み付くような口付けで塞がれた。そこに睦み合いなど存在しない。あるのは言葉にし難いほどにおぞましい肉体の罪だ。
右近がどれだけ願っても、涙を流しても、たとえ刃向かったところで与一郎はそれをむしろ悦ぶだけなのだ。一縷の望みなどそこにはない。
その行為は与一郎の激昂だ。彼自身もまた筆舌し難い感情を抱いていることを右近は知っている。彼は右近を組み敷きその身体を蹂躙することで、この身の中にまだ瑞々しく残っている忠三郎の気配を奪うつもりでいるのだ。
もちろん、物理的なものではないのだから奪うことはできないことはたぶん与一郎自身が一番よくわかっているだろう。だがもう引き下がれないのだ。その一因は間違いなく右近にある。
右近もまた、与一郎に……忠三郎の影を見ているのだ。そこになにもあるはずがないことはもちろん十分わかっている。坂道を転げ落ちる石が周りの土や砂や小石を道連れにするように、右近もまた与一郎を完全に否定することができないどころか、その言葉はすでに右近の唇を通る頃には歪んで響く。間違いだらけを孕んだそれは二人の周りに散らばるだけ散らばって、密やかな月の光に照らされてわずかに光るに留まっている。
長すぎる口付けで呼吸が詰まるのが、どこか二人の関係を皮肉げに表現しているような気がした。
息を切らし与一郎の思うままに抱かれる自分と、夢の中で浜辺に佇む自分は別人なのではないかと最近思うようになってきている。いや、もはや現と夢は入れ替わってしまったのだ。もう右近はあの海を見ることはないし、その海はきっともう忠三郎の乗る船とはつながっていない。
ただそこにあるのは新月の夜を思わせる闇といっそやかましいほどの静寂。これが夢でないのならば、いや、夢だとしてももう醒めることはないのだ。
「何か考え事を?」
与一郎の言葉に伏せていた目を開く、与一郎は右近の反応に興が冷めたのかもうこちらを見ることもない。その視線の先を追おうとするが、闇夜に阻まれて諦めた。
与一郎の問いに右近は答えることはなかった。これだけは、与一郎と共有したくなかった。嫉妬でも独占欲でもない。むしろそうだったとしたらどれだけ救われたろう。与一郎の心がもう傷つかないように、右近は先程までの穏やかな夢にそっと薄衣を纏わせた。
これでいいと言い聞かせながら。

忠三郎と金の龍

忠三郎が見た夢は不気味な夢だった。右近は宝船だと言ったが、そう言ったものではないと思う。
朝焼けなのか夕闇なのかも判別の付かない空と海の間を船は進む。最初は小舟だったと思ったが次第に船は大きくなっていき、もはや人力でも何人も人がいないと動かないだろう規模になっていた。だが、船に人はいないのだ。うすら寒い闇が忠三郎に落ちるが、それを否定する声も肯定する指先もない。ただ、忠三郎だけが船に乗っている。どうしてこの船が動いているのかもわからない。一つ言えるのは、この船は西か東を目指している。なぜなら太陽に向かって進んでいるからだ。
そこでふと気が付いた。先ほどから海原に大きな存在感を示している太陽が昇ることも沈むこともしていないことに。波の音は確かに聞こえるのに、太陽だけは動かない。言いようのない不気味さが襲禹が、どこかまだ他人事だった。忠三郎はこの船のどこかに仕掛けがあるのではないかと思い、船を探索し始める。大きな階段があり、降りていく。窓のない船底は暗いはずなのにどこか眩い。なぜかそれに疑問は持たなかった。
そして階段を降り切って思い切りこう言ったのだ。
「誰かおらぬか」
そういうと、船が大きく揺れた。足元を掬われるように忠三郎は体勢を崩し転びそうになる。一度落ちた視線が元の高さに戻った時、目の前に巨大な龍の像があったのだ。像は金が張られているのか煌々と忠三郎の目を照らす。
それを見て何故か忠三郎は納得したのだ。ああ、こいつだと。これが船の動力源なのだと。そう思うとこの龍の像がどうしても欲しくなってしまい、忠三郎はどうにか持って帰ることができないかと考え始めた。船に乗っている以上、そして船を動かしているのがこの龍である以上、持ち帰ることは容易ではない。というか、不可能だと思うのだがその時はもうそんなこと考えていなかった。そして、何気なく龍の像に触れたのだ。
その時、聴きなれた讃美歌の美しい歌声が忠三郎を包み……気がついたら目が覚めていた。目の前はすでに日常が広がっている。あの孤独な海もなければ船もない、もちろん龍の像なんてあるわけもない。
そんな夢の話をしたのは、なんとなく夢際に聞こえた讃美歌の歌声が、右近のものだったような気がしたからだ。
忠三郎の想いが、その夢によって何を表しているのかはわからない。何も表すわけがないと与一郎は笑ったが、それも違う気がする。
「与一郎は本当に初夢を見なかったのか?」
ある夜。二人きりで酒を飲んでいて、ふとそれを思い出したので訊いてみると、与一郎は明らかに不機嫌そうに眉間に皺を寄せた。
「しつこいですね、ああいう手合いはその時々で変わるのですからこちらの意思ではどうにもなりませんよ」
「そんなに怒るなよ」
「怒ってなどいませんよ」
それからしばらく他愛もない話をしていたが、どうも与一郎の酒の量が多い。気がした。だからだろうか、与一郎は酒を置いてこんなことを言い始めたのは。酒がひき起こしてしまったのだろうか。
「……夢の話をしましょうか。俺も見てますよ、とても言えない内容でしたがね」
「言えない夢?」
そう言い終わる前に、与一郎は忠三郎の目の前に寄る。耳打ちをしてくるのかと思って少し顔を下げると、与一郎は何を思ったか忠三郎の顎を取り、その形の良い唇を忠三郎のそれに重ねた。驚いたが、どうすることもできずに固まっていると、与一郎はふっと笑い、また元の場所に戻った。
忠三郎はなんとなく、夢の中で触れた龍の像もこんな感触だったような気がしていた。金の龍の像、それはもしかしたら、この男なのかもしれない。
「与一郎、お前……」
「秘密ですよ、俺は男は好きません……あんた以外は」
そう言って、二人は誰にも言えない秘密を共有することになるのだが、それはまた別の話である。