アンブリッジは、フォルトゥナの街の南側にある小さな生花店だ。丸いドームのような特徴的な建物にはツタが絡み、少し不気味な雰囲気を醸し出している。看板はあるものの、擦れていてアンブリッジとしか読めない。花を置いているから辛うじて花屋なのだろうなと思う程度だ。知っていなければ店先に入ろうとはとても思えない。ガラス戸を開けると、花の芳しい香りが鼻をかすめる。店内には色とりどりの花がバケツに入っていた。手前にはショーケースのように花が飾られている。
奥のカウンターから出てきたのは意外にも大柄な体格でリーゼントの決まった男だった。革のジャンパーを着た彼はVを一瞥すると、足を引きずり再び奥に入っていってしまった。
よく考えたらあのマリエの兄なのだから背は高くても驚きはしない。ただ、人を見かけで判断はしないが、これだけの美しい花の楽園を作ったのがこの無愛想な男だと思うとそれはVの興味をそそるものだった。
マリエの兄……ラルフは、カウンターの奥の椅子に窮屈そうに腰掛け、新聞を読みはじめる。鼻筋が通り、唇が厚く目つきが鋭い。マリエも派手な顔立ちだとは思うが、素顔もこうなのだろうか。まあ、見る機会はないだろうが。
ラルフの足はギプスが巻かれている。腕も包帯が巻かれ、事故の規模を示していた。
「マリエから頼まれてきた、ラルフか」
そう声をかけると、ラルフは億劫そうに顔を上げる。
「ああ、弟から話は聞いている……お前さん、名前は」
「Vと呼んでくれ」
「Vか、わかった」
マリエのことを「弟」といやに力強く言ったことに少し引っ掛かりを感じたが、そのほかはいかにも何も感じないという風で、Vに手招きをした。
「話はアイツから聞いていると思うが、ご覧の有様だ……なに、難しいことは要求しないよ」
「そうか」
「客も見知ったやつしか来ねえ、今日は得意先の料理屋が注文の花を取りに来るから、それまで店番を頼む……わからねえことがあったら聞いてくれ、俺はここにいるから」
カウンターの前に椅子がある。此処に座れということだろう。
「花を見てもいいか」
「ああ、なんなら水の取り換えをしてくれると助かる……そこに水道があるからな。バケツに線が引いてあるからそこまで水を入れればいい」
「わかった」
束になった花が丁寧にバケツに入っている。白い薔薇が特段目を引いた。半丸弁の大輪に、Vは覚えがあった。
「これはアバランチェか?」
「……よく知っているな」
「アンブリッジも薔薇の名前だ。ラルフは薔薇が好きなのか?」
Vの問いにラルフは苦笑しながら答える。
「祖父さんの趣味だ。俺は仕事でやってるだけで、あんまり……敢えて言うならこういうのよりも、原種の薔薇が好きだな」
「原種か……例えば、キネンシスとか」
「本当によく知っているな……そうだな……キネンシスならサンクタがいいぞ。見たことあるか?」
嬉しそうにラルフが言う。本当は結構花が好きなのではないだろうか。Vはそう思ったが言わないでおいた。
「父親が薔薇を育てていた。母も花が好きで……ただ、サンクタは図鑑でしか見たことがないな」
「今度取引してる農園が原種を送ってくる。サンクタもあるから気になるなら見に来るか?」
「興味がある。今度見に来よう」
そう言ってるうちにバケツの水を取り替えた。心なしか花が輝いている。普段の手入れがいいのだろう。鉢の植物にも水をやった。その間も少しラルフと話した。
「バイクが好きなのか?」
「ああ、ガキの頃から好きでな……まあ、怪我してちゃ世話ないが」
「随分な怪我だな、マリエは転んだと言っていたが」
「猫が飛び出してきたんだよ、避けようとしたらこれさ。周りの連中はもうバイク辞めろっていうけど、配達にも使うからな……まあ、しばらくは乗れねえが」
「配達? 今日はないのか」
「今日はないな。なんだ? バイクに乗るか?」
「……やめておこう、俺も転びそうだ」
ははは、とラルフが笑った。その時、ガラス扉が開き、背が高くパーマのかかった茶色い髪の男が入ってきた。
「よう、ラルフ! 花取りにきたぞ……って、あれ?」
男はVをみて一瞬ぎょっとしたようだったが、ああ、と手をたたく。きっとさっき話に出ていた料理屋の店主だろう。
「あれ、あんた、ネロのところに居候しているっていう兄ちゃんか」
「……そうだが」
「いやあ、やっぱりそうだったか、なるほど、あんたも便利屋やってんのか?」
今の状況は説明しがたいが、まあ、間違いではない。
「そんなところだ」
「そうかそうか、じゃあ今度俺のところに手伝いに来てもらうとするかな。あ、言い忘れてた。俺の名前はジョアンだ。大通り沿いで店やってんだ。今度来てくれよ」
「わかった……Vと呼んでくれ」
「へえ、面白い名前だなぁ。本当に、うちで手伝ってくれよな、ウェイターはいつでも足りてねえから」
カウンターの向こうでラルフが笑う。笑うと少しマリエに似ている……まあこれも、言わない方がいいことなのかもしれないが。
「ジョアン、お前またウェイトレスに逃げられたのか」
「人聞きが悪いな、人が足りないくらい忙しいんだよ、おかげさまでな。ほら、これ代金と……いつものうちのまかないな。そうかそうか、手伝いがいるってんならもうちょっと料理持ってきた方がよかったな」
ジョアンはそう言って花を抱える。アバランチェもその中に入っていった。なんとなく寂しさを覚える。
「この花束は何に使うんだ?」
Vの言葉にジョアンは振り返ると笑ってこう言った。
「明日、うちの店で結婚パーティをやるんだよ。昔は教団の目が合ってなかなかこういうことができなかったけどさ……ああ、ネロとキリエによろしくな、結婚パーティのご用命はぜひジョアンの店でってな」
「……わかった」
Vは短く答えて、ジョアンを見送った。
「調子ばっかりいい奴だけど、料理の腕は確かだ……五年前の事件が起きるまでは、教団に出入りしてるコックだったからな」
「……そうか」
五年前の事件。確かにVは調べたが、そこに息づく人々の生活まではもちろん知ることはなかった。ジョアンにしろ、ラルフにしろ、彼らには彼らのあの事件がある。
まあ、それよりもVは、ジョアンの言っていた、キリエとネロの……当然の周囲の反応に、少しだけ心をちりつかせていたのだが、もちろんラルフはそんなことを知る由もない。
「なんだ、どうした、なんか怒らせたか?」
「いや、別に」
「まあ、なんだ、いろんな奴がいるからな……もう昼か、飯にしよう……ジョアンのやつ、何持ってきたんだろうな」
そう言ってジョアンが持ってきた袋を覗く。あんなことを言ったが、一人分にしてはやけに量が多い。ラルフが大食漢なのか、ジョアンも……というか、フォルトゥナの人間は料理を作りすぎる傾向があるのかは、まだVにはわからないところだ。
袋の中にあるものを見たVは、目を丸くした。
「……ラルフ」
「なんだ? 先に好きなもの食っていいぞ、俺は動いてないからそんなに腹も減っていないしな」
「……ジョアンは、いい奴だな」
袋の中にはピザが二枚と……ミートパイが五個も入っていた。
Vが帰ってくるのが遅いのでネロは少しだけ不機嫌だった。ドアの前に立ちそわそわと落ち着かないネロは傍から見たらたいそう滑稽だろう。夕方には帰ると言っていたが、もう誰が見ても夜というほど、空は闇に包まれている。
「Vさんも大人なんだから大丈夫よ」
キリエはそう笑うが、Vのことをちゃんとは知らないからそんなことを言えるのだと思う。
「いや……アイツ、ああみえて結構とろいところあるからさ……」
顔を顰めているとキッチンの奥で煙草をふかしていたニコがやはり笑いながら揶揄う。
「なんだよ、親気取りか?」
「ちげえよ」
そう言ってはみるが、心配は心配だ。親気取りではない。当然の感情だと思う。むしろネロが子のはずなのだが、まあ仕方がない。
治安はいいが、悪魔がいないとも言い切れない。今のVは悪魔に対抗しうるすべを持たない。まあ魔力を感じないのだから、特別悪魔に狙われることもないだろうが……。
ネロが気を揉んでいるころ、Vは店の片づけをしながらラルフと長話に興じていた。
「いや、朝はすまなかった。弟が寄こしてきた余所者だっていうから、ちっと警戒しちまったんだ。ダサいな。悪い」
「気にしない……どちらかというと、マリエとのことのほうが気になる」
「弟か?」
「頑なに弟と言う。名前を呼びたがらない……いや、詮索しすぎた。俺こそすまない」
「ああ、いや、構わんよ……アイツのこと、名前で呼べねえんだ」
「どうして?」
Vが訊ねると、ラルフは鼻を掻く。そしてしばらく考えたあと、こう答えた。
「あいつの名前……マリエか、うん……まあ、Vもわかると思うが、何もあいつは生まれたころからマリエだったわけじゃない。あいつにはアイツの……オスカーっていう名前がある」
「オスカー」
マリエとは似ても似つかない名前だ。彼女はきっと語らないだろう。きっとその名前も捨てたのだろう。それをラルフが兄としてどう思っているかは、まあ、今のラルフの様子を見ていれば、何となく察しはつく。
「死んだ曾祖父ちゃんの名前なんだ……まあ、詳しくは話すこともねえけどな……正直言って、俺はネロ……というか、クレドが羨ましかったよ」
「クレド……ああ、キリエの兄か」
「知っているか。ああ、そうさ、血は繋がってねえけどネロっていう弟分がいて……羨ましかった。俺はクレドより年上だけど……ガキの頃から仲良かったんだ。だから余計にな。クレドだけじゃねえ。世の中に弟のいる兄という存在そのものが羨ましいんだよ……多分今も、な」
「……それは、マリエが弟ではないからか?」
「そうなるかね。いや、弟ではあるんだが……まあ、そういうことだ。あんた、兄弟は」
思い浮かべるのは、あの強大な弟がまだ幼かったころの顔だ。弟も、母も、守れると思っていた。この手で。
でもそれは思い上がりだった。力があれば、と強く願った。力があれば守れると本気で思っていた。それも思い上がりだったのだが。
だが、ラルフがすべてを語らないように、Vもすべては語らない。
「……難しい質問だ」
「いや、すまん、これは訊くべきことじゃなかったな……でもあんたのこと気に入ったよ。また来てくれ、みんなによろしく」
Vが帰ってきたのはそれから三時間ほどたったころだった。
「頑張ってきたから褒美をくれ」
ネロの顔を見て開口一番そんなことを言うVに、ネロは本当にたくさんの言いたいことがあったが、もうあきらめのほうが強かった。
「お前なあ……ほら、こっちにこい、飯にするぞ」
少し遅い食卓は、質素だが暖かなものだった。その夜のうちにマリエから電話があり、しばらくVにアンブリッジでの手伝いを任せたいと連絡があった。V本人もあの不思議な花屋での仕事を気に入ったらしく快諾していた。今度またアンブリッジに顔を出そうと思っていると、Vが突然こんなことを言い始めた。
「そういえば、ジョアンという料理人が来たぞ」
「アー、アイツか」
お調子者だが、彼もまた、恋人と家族を五年前の事件で亡くしている。教団時代、ネロにあまり変な仕事ばかりさせるなとクレドに苦言を呈して……それだけが原因ではないのだが、少しだけ疎遠になった。事件の後、クレドの最期を知ったのだろう、何度か料理をもって訪ねてきたことがある。ニコが懇意にしているので、任せてはいるが。
「ジョアンが言っていた。キリエと結婚パーティをするなら自分のところでやってくれと」
「アイツ……」
よりによってVにそれを言うのか……とネロは頭を抱えたくなる。こんな関係だとは言えないし、言いたくもないし、かといってなかったことにもできない。
「俺のことを気にしているのなら、別段気にしなくても構わん」
Vはそう言ったが、それがどの意味を持っているのかを聞くのは何となく怖くて聞けなかった。
そしてその日は突然やってきた。一生来ないと思っていた……いや、願っていたと言ってもいいだろう。Vはその日も仕事だと言ってアンブリッジに行っていた。最近は一人で出歩くことを前ほど気にかけなくなっていたネロだが、それでも……いや、それだからこそ、いつかこの日が来るのではないかと思っていた。
「いま、なんて言った?」
ネロはわかっていて、聞き返してしまった。それが彼を煽ることだということもよくわかっていたはずなのに。
Vが帰ってきた夜。夕食を取りこれからシャワーでも浴びて寝るかといったころにVは口を開いたのだ。
「……一人で暮らしたい」
「お前、本気かよ」
「本気だ」
冗談でそんなことを言うタイミングではないことはネロが一番よくわかっていた。ではなぜそんな言葉が出てきたのか、心当たりが全くないわけではないが、あまり考えたくはなかった。
階下では電話が鳴っている。お構いなしにVは続ける。
「アンブリッジの近くなら問題ないだろう? ジョアンの店にも手伝いに行きたいし……お前たちの邪魔をしたくはない」
「いまさら何言ってんだよ……大体ここにはお前の部屋もあるじゃねえか。使ってねえだけで……」
「全く縁が切れるわけじゃない……勘違いするな、何もお前が嫌になったわけじゃない」
「お前、どうして極端なんだよ」
「そんなつもりはないが」
電話のベルが途切れる。どうやらキリエがとったようだ。こんな時間に仕事の電話だろうか。少しここにいたくない……が、それを言うのはなんだか……負けた気がする。
「そんなつもり、あるだろお前……」
「安心しろ、抱かれには来る」
しれっとそう言うVの顔に悪意しか感じない。カッとなって思わず手が出そうになる。殴ったら負けだとは思うが、言っている内容が内容だ。
「! お前なあ」
「ネロ!」
ぱたぱたと音がして、キリエが珍しくノックもせずに飛び込んできた。その声には明らかな焦りが含まれていたので、二人して彼女に注目せざるを得ない。
「大変なの、トラストさんのところに……!」
ちょうど深夜零時を回るころ、トラスト医師の診療所にやってきたネロとVは、ドアを開けると思わずそれまでの言い合いも忘れて顔を見合わせてしまった。
診療所は血の臭いが立ち込めている……その先にいる二人の男は、よく見知ったものだった。
「おい、ダンテ……と、その」
「バージル、どうして」
「V……?」
怪訝な顔をするダンテの横にいたバージルが徐に立ち上がり、閻魔刀を抜こうとするのをネロは見逃さなかった。
「待て、待て待て待てって! そういうことをしていい場所じゃねえ!」
ネロは立ちふさがると、Vを自らの影に隠した。バージルは明らかに不快感をあらわにして二人を一瞥すると、再びソファに座った。Vがその痩躯をわななかせているのもわかる。Vは置いてくるべきだったと今更ながらに後悔するが、もう遅い。
「ああ、ネロくんか」
奥から包交車をカラカラと押しながらトラストがやってくる。その軽い音と言い、その声といい、不自然なほどにあまりにもいつも通りなので、この明らかな緊急事態との差異が異様さに拍車をかけていた。
「いやあ、びっくりしたよ……雷でも落ちたのかと思って外に出たら、雲は一つもないしこの人たちは取っ組み合ってるし……ああ、ああ、血の付いた手であっちこっち触ってもう……」
トラストの声音はまるで悪戯好きの子どもに対するそれだ。双子はと言えば、殺気立ってはいないものの、ばつの悪そうな顔をしている。
「いやいや、じいさん、なにのほほんとしてるんだよ……こいつらが誰だかわかってんのか?」
「だって、この人たちスパーダ公のご子息だろう? 普通の人がこんな血まみれで来たらさすがの爺さんも心臓が止まるかもしれないけどさ……大丈夫、ちょっと消毒だけさせてね」
あまりにも物怖じしないトラストの態度に、年の功という言葉はこういうことを言うのか……と感心してみたが、いやそういうことを考えている場合ではないと我に帰る。
一方でダンテとバージルはそれぞれトラストの包交車からタオルやらガーゼやらを受け取ってめいめい汚れを落としていた。
何があったかは知らないし、それをこれから訊くことになるのだが……それよりも……。
「……なんでVがここにいるんだ?」
ダンテが汗やら血やらを拭いながらその疑問を投げかける。ネロは背後のVをちらりと見て肩を落とした。
「あんたらにもわからないか……」
「どういうことだよネロ、なあ……バージル、なんか知ってるか」
「知っていたとして、それでものうのうとこいつが生きていることがあり得るか?」
先ほどのバージルの反応を見るに、その言葉に偽りはないのだろう。だからといってVをどうにかさせるつもりはないが。
その瞬間をVは見逃さなかった。ネロがため息をついた隙をついて、Vはネロの背後から躍り出ると、バージルの前に立った。Vの表情は……なんともいえないものだった。見開かれた目からは明らかに恐怖がにじみ出ているのに、感嘆……まるで名画を見た鑑定人のような、そんな表情でもあった。
「バージル」
バージルも驚いたのだろう。やや目を見開くが、Vが何をしてもバージルに傷一つ付けられないことをわかっている余裕なのだろうか、それとも自らの片割れのこと、何をするかはわかっているのだろうか……腕を組み視線をVから逸らした。
「バージル、会いたかった!」
そう言ってVはバージルに飛びつこうとする。どうしてそんな行動に出たのか、少なくともネロには全く分からない。普通、いや、普通というものがなんなのかはこの場合よくわからないのだが……あんなことがあったのだ。Vはバージルに少なくとも怯えているようだったし、バージルもバージルでVに先ほど痛いほどの殺意を向けてきていたのに。どうしてこうなったのだろう。ネロは思わずVを羽交い絞めにしてしまった。
「待てって! おい、お前、自分が何やってんのか、わかっているのか?」
「ずっと、この時を待ってたんだ、離せ、ネロ……いつかこうなることが、俺にはわかっていた!」
「待っていた? どういうことだよ!」
ネロの手から逃れ、Vはバージルに抱き着いた。バージルも明らかに困惑した顔をしているが、今のところ特に危害を加えようとは思わないらしい。なんなんだよ……と、ソファに座るとダンテが寄ってきた。
「お前もしかして、Vにフラれた?」
「うるせえ黙ってろ」
何がわかるんだこの髭野郎と付け加えると、ダンテは先ほどまでの苦い顔はどこへやら、急にニヤけだした。何なんだこの兄弟は。
「で、どうしてここに?」
「いや、わかんねえ、魔界(むこう)で遊んでたらこうなった……気が付いたらあの爺さんに頭から水ぶっかけられるしよ……俺たち盛りの付いた猫じゃねえんだから」
「遊んでたのかよ」
「言葉の綾だ」
頭硬いなあ、とダンテは笑うが、お前はもう柔らかすぎてゾル状になってんじゃないのかとすら思う。だいたいそれに対して水をかけるというトラストの行動も問題だと思うが……そう言えば、ネロも昔やられたことがあった。
ダンテの話を総合すると、どうやら魔界で大喧嘩を繰り広げていたところ、二人して魔界の谷のようなところに落ちかけ、バージルが閻魔刀を抜いて脱出しようとしたらこうなったらしい。もうその状況のどこからコメントをすればいいのか全く分からないので、こういった。
「時間くらい選べよ」
「選べたら飯時選ぶわ、腹減った」
「……本当にお前らさあ……おい、V……」
バージルとVも何かを話していたらしい。本来はバージルという同一人物である以上、記憶を共有していてもおかしくはないが、そうではないらしく……ネロが声をかけてもVは振り向かない。なにか、むずむずする。バージルから早く離れてほしい。それがVに対する嫉妬なのか、バージルに対するそれなのかはわからないし、それを分離させて考えること自体がおかしいのだが。
その時突然、診療所のドアが勢いよく開く。もはやチリンという鈴の音すらしないほど、バタンと音をたてた。
ああ、あの厄介な相棒の存在をすっかり忘れていた……ネロは思わず頭を抱えた。もうその姿を見なくても、そこにいるのが誰だかわかってしまう。
「待たせたな! 私が満を持して登場だ!」
「一瞬たりとも待ってねえよ!」
言葉の主……ニコは、ネロの言葉など聞こえていないようにずかずかと診療所の中に入ってくると興奮した面持ちで二人の兄弟を交互に見た。
「ダンテ、久しぶりだな! また会えて本当にうれしいよ! で、あんたがバージルか! 私のことはニコと呼んでくれ、フォルトゥナの至宝の天才と書いてニコだ!」
なんだかとんでもないことを言っているが、ニコの場合たとえ羽交い絞めにしても多分止まらないだろう。もう誰も羽交い絞めにしたくはない。
「ネロ」
ニコの後ろから、キリエがその姿を見せた。ああ、やっと話の通じる人がきた……何故だろう、この状況だからか、後光すらさして見える。
「キリエ……えーと……」
「ダンテさん、お久しぶりです」
ネロが状況の説明をしようと口をもごもごさせていると、キリエはダンテの前で頭を下げた。ああ、礼儀正しい。こういうことだよ。わかってんのかお前ら……と、ネロはもう頷くしかなかった。
「それで……あの方が、ネロの……」
Vが家に来てから、少しずつではあるが、キリエには伝えている。ネロの腕のことも、Vが誰なのかも、そのバージルが、ネロの何になるのかも。キリエはバージルに穏やかな微笑を浮かべ、こう切り出した。
「はじめまして。私のことはキリエと呼んでください」
「……その声に聞き覚えがある。お前は、そうか……ネロの」
バージルは苦々しくそう言う。Vがぼんやりと覚えているように、彼もまた覚えているのだろう。キリエは頷きながらバージルの言葉を聞いていたが、すっと姿勢を正してダンテとバージルを交互に見るとこう切り出した。
「よければ私たちの家に来ませんか? ここではトラストさんに迷惑をかけてしまいますし」
キリエの突然の提案にネロが驚く。そういえばVが初めて家に来た時もこんな具合だった。トラストが頭を掻く。
「爺さんは別に迷惑じゃないけど……ああ、でも確かにこれじゃ診療所開けられないか……」
「キリエ……いいのか、だって」
「お腹が減っていたら大変だわ……何か作れないかしら」
キリエのその言葉にダンテが食いつく。
「何か作れるのか、そいつはありがてえ! バージル、行こうぜ!」
よほど腹を空かせていたのだろうか。ダンテは立ち上がってキリエのそばに引っ付こうとするのでそれだけは阻止する。ニコがガッツポーズをしているが、もうその意図がわかってしまうのが嫌だ。
「……意地汚いことを……」
そう言いながら、バージルも立ち上がる。お前も腹空かせてるんじゃねえかと思うが、隣にいるVに気を取られ言えなかった。というか、Vがいなくても言えないと思う。ドロップキックくらいならできるだろうが。
そうして風変わりな訪問者たちがネロたちの家にやってきたころには少しずつ夜空も白みかけていた。
スパゲッティを茹で、作っておいた秋野菜と肉のソースに絡める。昨日の夕食の残りをサンドイッチにしている。
ニコがそれだけじゃ心もとないからジョアンを起こし何か作らせればいいというので、流石にそれは申し訳がないと思ったが、ニコが電話するとジョアンはすでに朝の仕込みをしていたようで、二つ返事で快諾したようだ。ジョアンの店はフォルトゥナでは珍しく夜遅くまでやっているものだから、夜型のニコはいいお得意様だという。まあキリエの作る料理もきっちり食べるので、それに対してネロが何か言う義理はない。
電話を終えたニコがネロの肩をたたく。
「ペパロニと、ほら。なんかよくわからんあのチーズのやたらうまいピザ……名前忘れたな、あれ作るってよ。後で取りに行く」
「サンキュー……」
「大丈夫かよネロ、しっかりしろ、親父なんだろ」
「いや、そうは言うけど……ていうか、俺が息子なんだけど」
「Vと話すのと何が違うんだ? 同じだろう?」
同じじゃねえよと言ってはみるが、確かにその通りだ。まさかこんなことになるとは思っていなかったし、なるにしてもここまで突然の来訪ではないと思っていた。
「とりあえず前菜はできたわ。ニコ、ジョアンさんのところへはいつ行けばいいかしら」
「後で私が車で行くからいいさ、最近出向いていないからな。きっとジョアンも私の顔を見たがっているだろう」
キリエが笑いながらテーブルに並べる前菜というには明らかに量の多いサラダやスパゲッティの数々に、ダンテがおお、と声を上げる。
「すごい量だな」
「いつもだぞ」
気が付くと横にVが座っている。何故お前が得意気なんだよと言うと、俺も手伝ったと言い出す。皿を運ぶくらいは手伝ううちに入らないとネロは思う。
「さあさ、召し上がって? バージルさんも」
ソファに座っていたバージルはVの様子をうかがっていたようだった。キリエに声をかけられ、なんとなく居心地の悪そうにしながらも黙ってテーブルに座った。
「バージルのやつ滅茶苦茶素直だな、それくらい腹減ってるんだろうけど」
そう言いながらダンテはトマトがたくさん入ったスパゲッティを食べている。当然だが魔界でまともな食事をしていないのだろう。ダンテに至っては人間界でもろくな食事をしていないらしいが。そのダンテの兄……バージルのことを、ネロは全く知らないと言っていい。いきなり父親だと言われてもわからないことだらけだ。
ジョアンは何かを察したのか、ニコに大量のピザとミートパイ、おまけにストロベリーと生クリームがたっぷり入ったケーキまで持たせてくれた。
それを見たダンテが、自分たちが子どものころケーキのストロベリーをめぐってバージルと大喧嘩した話をしてしまい、再び兄弟喧嘩になりかけたのをネロが必死に止めたのだが……ふと振り返るとVはソファで我関せずと眠っていた。
Vは不思議な夢を見た。光の中を歩いていく夢だ。光の外は何もないのか、それとも見えないだけなのかはわからない。足元は砂のようで、不思議に心地よい。そういえば、フォルトゥナに来たばかりのころ海が見えるのかと内心喜んだものの、実際に海に行くことはなかった。港だったというのもあるが。そんなことを考えながら歩いていると、ふと呼び止められる。
「よう、久しぶりだな」
光の中に染みのような黒い影が輪郭を現す。徐々に目が慣れて、その影の主が誰なのか理解したころには、Vは思わずその影に駆け寄ってしまった。だがその影を掴むことはできなかった。
「お前たち……」
「なーんだヨ、俺様たちのこと忘れちまったのかと思ったぜ?」
けたたましく羽根をばたつかせグリフォンが叫ぶ。懐かしい声だ。懐かしい、仲間たち。気が付くと傍らにはシャドウがいて、ナイトメアが砂の中からゆっくりとその姿を現す。悪夢というにはあまりにも親しみ深い。
「忘れるわけがない……お前たちがいたから、俺は……」
「そうだぜ、それがあの結果だ」
「……俺は何かを、間違えたのか……?」
Vの問いにグリフォンはアハハハハと高笑いする。
「そんなわけねーだろ! おめえは抜けてるしトロいし、そのくせやたらと向こう見ずだけどよ、大事な答えをだすのは一人前だぜ!」
「答え……」
「本当はわかってんだろ、どうしてここに俺たちがいるかってことが。そんでもって、これからどうすればいいかをよ!」
グリフォンの言葉に頷くように、シャドウが喉を鳴らしてそのしなやかな黒い体をVに擦り付けてくるが、その感覚は全くなかった。
「……お前たち……ありがとう、すまなかった」
「謝るこたぁねえだろ、そういう契約なんだから。謝るなら……そうだな、これ持っていけよ」
飛び立つグリフォンの声が高く響き……その羽根が頭上を舞う。気が付けば暁に照らされシャドウたちの黒い染みは消えて行ってしまう。そして一枚のグリフォンの羽根がVのもとに落ちてきて……見慣れたあの杖の形になった。
「これは……」
「あばよ詩人ちゃん! 幸福に暮らせよ!」
アハハと笑い消えてゆくグリフォンたちの影を追い、Vは手を伸ばすが……その手が何かに触れることは結局なかった。
「いいのか、V」
数日後、ダンテとバージルがフォルトゥナを去る日がやってきた。また双子を二人きりにさせるのは非常に心配なのだが、まあ、もう大人なんだから勝手にしろと言いたい。
二人とも朝早くから動くつもりはないというので、ネロは昼にフォルトゥナを発つ列車の切符を取った。一応、三人分だ。案の定、あのよく似た双子の兄弟は朝九時になった今も起きてくる気配がない。
……勘違いされたくはない。確かにネロはVが目覚めたあの日、彼をフォルトゥナに留めようとした。だがそれはダンテやバージルが不在だったということと、ネロ自体が持つVへの……不在だと思っていた父親の存在という、少しの好奇心と憧憬に近い何かだ。こうなった以上、Vのそばにいたいと駄々をこねるつもりはない。Vはバージルやダンテと暮らした方がいい気もする。自信がないわけではないが、彼の幸福を思うと、そういう答えが出てくるのだ。
「どうしてそんなことを訊くんだ?」
Vはいつものようにネロを無言で起こすと、いつものように濃すぎるコーヒーを啜り、いつものように安いミートパイを食べている。
気が付いたら彼の傍らにあの……杖があったのだが、それがどうしていま彼のもとにあるのかはわからないままだ。本人に訊ねても笑うだけで答えなかった。
そして、あれだけバージルに対して固執する発言をしたVが、どんな心境の変化があったのかは伺い知れないが……今までと同じように暮らしている。
あれから一人で暮らしたいとかそう言った発言は聞いていない。バージルが現れたからだろうか。やはりVはバージルとともにありたいのだろうか、とか……聞きたいことが余計に増えてしまったのだが、どうやらそう言うことでもないらしい。
「いや、だって……親父、ってか、バージルのそばにいた方が、いいんじゃねえかって……」
実父のくせにその名を呼ぶのがこそばゆい。Vはそんなネロを一瞥すると、再びマグカップの黒に視線を落とした。ネロの複雑な心境を見透かしているようでいて、実態はわからない。
「それがお前の希望か? 俺はやはりここにいない方がいいと?」
「そういうことじゃねえよ、わかってんだろ」
「いや? わからんな」
「なんでわかんねえんだよ」
ネロの言葉にVはくつくつと笑う。そしてマグカップを置くとネロに振り向き、その肩にそっと触れる。
「言ってくれ、俺が必要だって」
「なんだよ、急に……甘えたくなったのか?」
揶揄ってそう言うと、Vは素直に頷いた。調子が狂う。とても、調子が狂う。いつものことではあるのだからいい加減慣れたいのだが、これに慣れたらもう終わりな気もする。
「おー、朝からなぁにイチャついてんだよ」
「っダンテ!」
ネロが振り返ると廊下につながるドアを開けてダンテが立っていた。ニヤっと笑って二人を見ているが、どちらかというといやらしさというよりは、猫のような小型動物を見つけた時のそれに近かった。それはそれで腹が立つが。
Vが呆れたようにダンテを見る。
「盗み聞きか? 趣味が悪いな」
「俺も混ぜてくれよ。ほら、俺、可愛いし」
「ふざけんな」
ネロの一言にもめげずダンテは楽しそうに部屋に入ってくると、Vのマグカップを取って勝手にコーヒーを飲んだ。持ち主がやめろという頃には飲み干してしまったらしい。
「うげ、なんだこれ? 死ぬほど苦いじゃねえか」
「俺のコーヒーを勝手に飲むからだ」
「はいはい、ごめんって……謝るから、水くれ水」
「そこから庭に出れば蛇口とホースがあるだろう?」
Vが指を外につながる勝手口に向けて突き出す。言わずもがな蛇口もホースも花に水をやったり洗車をするためのものだ。
「Vさあ、なんかお前俺の扱い雑じゃね?」
「なんのことだかわからんな」
「ここにいたのか、ダンテ」
開きっぱなしのドアからバージルの声がする。すでに出る支度はできているようだ。バージルはVを見てあからさまにため息をつく。
「……貴様はどうするつもりだ」
「何がだ?」
Vの言葉にバージルはその眉間の皺を濃くする。
「俺は貴様を連れていくつもりはない」
「おいおいおい、何言ってんだよ兄貴」
「黙れ愚弟」
バージルがダンテをその視線で牽制する。Vはバージルを見ていたが、その顔はやがて穏やかな笑みに変わった。
「俺はここに……フォルトゥナに残る」
「V……」
ダンテとネロが思わず顔を見合わせる。そんな二人にVは構わずこう続けた。
「俺はフォルトゥナが好きだ。ネロのいる、この国が……悪いが、お前らは二人で帰ってくれ」
Vの言葉に、バージルは深いため息をつき、もうその話題に関心を失ったのか、こう言い捨ててドアを開けた。
「勝手にしろ……行くぞ、ダンテ」
「あっ待てって、俺まだ顔も洗ってないんだけど」
「庭に蛇口とホースがあるだろう?」
「おんなじこと言う! ネロ、今の聞いたか? 同じこと言うこいつら!」
ダンテがわざとらしく大声を出すのを無視してネロはバージルに声をかけた。手には切符が入った封筒……ネロはそこから切符を一枚引き抜くと、残りをバージルに渡した。
「……親父、ほら、これ……切符、二人分な」
「……ああ、長居したな」
「聞けよお前ら!」
そうして双子は駅まで送られ、列車に乗り込んだ。向かい合ったボックスシートの窓からは秋めいた空に煌めく海が見える。列車がのろりと動き出し、少しずつ速度を上げていく。みるみるフォルトゥナが遠くなり……そして、国境が近づいてきたころ、ダンテは目の前で難しい顔をしている兄にこう投げかけた。
「俺たち、Vにフラれちまったな」
「……気色の悪いことを言うな」
「本当の事だろ」
汽笛を鳴らして列車が国境を超える。遠ざかる己の片割れを、バージルがどう思っているかなんて、正直わかろうとも思わない。だが内心、Vの選択に救われたのは誰よりもこのバージルだったのではないかとダンテは思っていた。一緒にいたところで、Vもバージルも、幸せにはならない気がする。何をもって幸せとするかは、まだダンテにもわからないが。
二人が事務所に帰り、あのやかましくも懐かしい女二人にパティまで加わり、それなりに大騒動になったのだが、それはまた別の話である。
僕はこの国の生まれじゃないんだ。ああ、知っているかい。本当はトラストっていうのもファーストネームじゃなくてね、トラストっていうのは、信頼とか信用っていう意味だろう? 一番近い意味の言葉を名前にしたんだ。本当は愛を信じるという意味の名前なんだけど……まあ、こんな爺さんが今更愛だのなんだの名前に敢えてつけることもなかろう。
ネロ君はね、あれはあれで優しい子なんだよ。あれはいつのことだったかな……まだあの事件が起きる前だから、クレド君が生きていた頃か。キリエちゃんが熱を出したってんで、真夜中にやってきたことがあったんだ。クレド君も忙しいからなかなか家にいなくてね、困って来たんだろう。まあ熱と言っても大したことではなかったんだけれど、何かあったら大変だからってね。普段はあんな態度だけれど……いや、しかしいい男になったもんだよ。あれから五年か。時っていうのは男を変えるもんだね。僕も見習わなきゃなあ。
僕が諸国を放浪? ネロ君が言ったのか? アハハ、半分嘘で半分本当さ。確かにいろんな国には行ったけど、医者としての赴任だよ。別にふらふらしてたわけじゃない。
まあ僕は仕事ついでに海外旅行ができるってんで喜んで行ったさ。正義感があったわけじゃないよ。これは本当。
南国にあるバルナバという島国はご存知? 知らない、ああ、それは結構。僕は本当ならあそこに骨を埋めるつもりだったの。いいところだったよ。小さくてなんもないけど、青い空と海があってね、島民も少なかったけどみんな家族みたいなもんだったよ。
なんで過去形なのかって……? まあ簡単に言うと、そこが戦場になっちまったのさ。島民たちの意思じゃもちろんないよ。戦争なんてそんなもんだろう? 勝手に始まって勝手に終わるもんさ……あんなもの、なぁんもいいことなんてない。ただただ人が死んでいくんだ。それは酷い有様だったよ。
僕は医者だけど、戦争で傷ついた兵士の治療は出来なかった。別に信条があるからとか、そう言うんじゃないんだ。ただ……怖かったんだよ。だから他の島民と一緒に命からがら逃げ出したの。
……ああ、悪いね。変な話をしてしまったよ。おかしいな、こんな話をするつもりはなかったんだけれど……君は不思議な人だね。なんだか全て見透かしているようでいて、それでいて何も知らない風もする。なんとなくなんでも喋りたくなっちゃうんだ。アハハ、僕みたいな爺さんに言われても嬉しかないか。
そんなこと、言われたことないのかい? まあ、そうだね、まだみんな君に慣れてないのさ。ここはわりと閉鎖的な風土だからね。余所者にはそれなりに時間がかかるの。僕だってまだ余所者だから……ふふ、そんな顔しないでくれよ。
ああ、じゃあこの薬を頼むよ。そうだそうだ、これも持って行って、野菜なんだけど、爺さんこんなに食べられないから。看護師連中も食べきれないっていうし……みぃんな、飽きるのだけは早いんだよねえ。まあ、キリエちゃんならうまくやってくれるだろ。そうそう、この上にある花もね、食べられるやつだから。よろしく伝えておいてね。
「まあまあ、こんなに……どうしようかしら」
「お前ひとりでよく持って帰ってこられたな」
両手いっぱいに野菜を持って帰ってきたVを、ネロとキリエは驚いて出迎えた。
朝に家を出たVが帰ってきたのは太陽が傾き始めたころだった。長話に興じているとは思っていたが、まさかこんなに土産を持たされて帰ってくるとは思わなかった。
いや、最近、Vの存在がフォルトゥナの人々に認知され始めているらしく、なにかと気にかけられているのは知っている。余所者には厳しい田舎気質の強いフォルトゥナだと思っていたが、Vは何故かしらその隙に這入ってしまうらしく、ここのところなにかと物を貰ったり、面倒をみてもらっているようだ。
「このお花もトラストさんからかしら?」
キリエが珍しそうに黄色い花を見ている。どこかで見たことのある花の形をしているが、説明するほどネロは花に詳しくない。ネロも倣って覗き込むが、花弁が多いくらいしか感想はなかった。今朝取ったばかりなのだろう。まだ茎や根には土がついている。その花も食べられるとVは言うので、ネロは目を丸くして花を見た。
「どうやって食うんだ?」
「トラストは食えると言っていた」
「いやだから、どうやって」
「知らん」
ちょっと待てよと言う頃には、Vはいつものソファに座ってしまう。いつもこうだ。
そう、いつもと同じ。これからもこんなやり取りを続けるのだろう。それを選んだのはネロであり、Vだ。間違いなく。キリエが笑ってエプロンを締めた。
「じゃあ調べないとね。ネロ、手伝ってくれる? そうそう、Vさんもいらっしゃい。この前言っていたミートパイ、ジョアンさんにレシピを貰ったの。一緒に作りましょう?」
「わかった、やろう」
「おいおいおい、立ち上がるのが早すぎるだろ、どんだけミートパイ食べたいんだよ」
そのときカランと軽やかな音が鳴り、玄関から聞き慣れた元気な声がする。
「こんにちはぁ!」
マリエの隣にはラルフが照れくさそうに立っている。そういえば、この兄弟……いや、兄妹か……が揃っているところをネロは久しぶりに見た。
ラルフの手にはいくつもの袋が抱えられ、肩から掛けたショルダーには大きなカメラが入っている。
「やぁっとラルフの怪我が治ったからお礼に来ちゃった!
急でごめんなさいね。これ、お礼とお花」
「心配かけて悪かった。こっちの花は俺とこいつから……その辺に飾ってやってくれ」
ラルフは袋から花束を出してキリエに渡す。色とりどりの花が美しく咲き誇っている。中でも目を引くのは白い大輪のアバランチェだ。ラルフはVに向き直ると、もう一つの袋から今度は小さな鉢を取り出す。
「Vも、いろいろありがとよ。これからも頼むぜ。ほら、この前言ってたサンクタだ。地植えすると綺麗だぞ」
「これか……」
鉢にはつぼみの付いた小さな植物が、慎ましく植わっていた。
「なんだこれ」
ネロは、Vが大事に押し抱くそれが、とても大事なものなのだろうということしかわからなかった。
「薔薇の原種だ……サンクタという」
「ふうん、育てるのか?」
「育てたい……ネロと一緒に」
「俺と?」
思わずVを見る。思ったよりも、その眼差しはこちらに向けられていた。目をそらすが、その声は優しく追ってくる。
「ああ、お前の部屋から見えるところに植える。薔薇は木だ。きっとこれも立派な木になる。いいだろう?」
「……それって」
「あらぁ、仲良いことはいいことね?」
ネロが続きの言葉を口にする前に、マリエが黄色い声を上げてやってくる。そうだった、存在を忘れるほどその個性は薄くはないのだが、ついVの言葉に気を取られていた。
「おい、オッサン、割って入るなよ」
「なぁによう!」
「おい、マリエ、あまりはしゃぐな」
ラルフが笑いながら近づいてくる。
マリエ……その言葉にネロもVも一瞬顔を見合わせ、再びラルフに視線を戻した。
「あれ、ラルフ……今、マリエって」
「ああ、そうなの! 兄さんてば、最近アタシの名前がマリエなことにやっと気が付いてくれたのよ!」
マリエは軽くそう言うが、実際その選択肢ができるまでの過程が容易に予想できるだけに、ネロもVも頷くことしかできなかった。
「……よかったな」
「ふふ、じゃあ兄さん、記念撮影よ!」
「あー、始まった……おいラルフ、また新しいカメラ買ったのか? 前のよりでけえじゃねえか」
何かあると記念撮影するというのはこの兄妹にありがちなことだ。特にラルフのほうは趣味でカメラをやっていて……いや、もう、言及するのも面倒になるくらいのカメラ好きなのだ。もちろん語りだすと長い。嬉しそうに新顔をネロに見せびらかせてくる。
「おうよ、いいだろう? いつかお前も目覚めるぞ、こいつの良さに。バイクのときもそうだっただろう?」
「いや、俺はそういうのはちょっと……って、なんだこれお前このレンズ、バズーカかなんかかよ。一体何と戦うんだ?」
「はいはい、みんな並んで! そうよ、Vちゃんもこっちいらっしゃい。キリエちゃんお花もうちょっと下げてね、お顔が見えない。兄さん、アタシここでいいかしら? あ、兄さんはここがいいわね! そうだ、子どもたちも一緒に撮りましょう! アタシ呼んでくるわね!」
「一人で忙しい奴だな」
大きな体を揺らして奥に消えていくマリエを見て、ネロはため息をつく。Vは……笑っている。最初にマリエの店に行った、あの日のように。
いろいろとあった。二人の関係も変わった。きっと今の関係が、一番ネロが求めていたものなのかもしれない。随分と遠回りをした。それでいて風変わりだ。だがそれでいいのだ。
写真を撮って、皆で料理を作って食べた。夜が更けてマリエとラルフが帰ったあと、ネロとVは少しだけ話をして、それでいつも通り同じベッドで寝た。結局Vのために用意した部屋は、Vに使われることはない。
そうだ、あの部屋は書庫にでもしてしまおう。それであの古本屋で見かけた青い詩集を置いておこう。
それらはこれからも続く平穏な日常にすぎない。
それからしばらくして、ダンテの事務所に一通の封書が届いた。差出人は意外な人物からだった。
「バージル、Vからなんか届いてるぞ」
「燃やせ」
「もう少し穏便な返事はできないのかい、お兄さん?」
なんだかんだ一緒に暮らすことになってしまったこの歪な兄弟は、喧嘩はあるもののやはりなんだかんだ生活できてしまっている。
あれだけのことがあったのにと周りは驚くが、逆だ。あれだけのことをしないと、この双子はこうして生活することすらできないのだ。
ダンテはバージルの真顔に苦笑しながら手紙の封を切る。中身は一枚の手紙と……写真だった。
「なーんか、家族写真みてえなのが届いたぞ」
「くだらん」
バージルはこちらを振り返ることもせず、新聞を眺めている。眺めているだけで読んではいない。こちらの写真が気になっているのだろう。ダンテにはよくわかる。何故なら双子の兄弟だから。
……分かり合えないと思っていたし、死んでも分かり合いたくないと思っていたが……結局、ダンテの考えに一番共感するのはバージルなのだ。
だからこそ、殺しあうまで対立したのだが。
「……あ、おい、この薔薇……母さんが好きだった奴だ」
そう言った瞬間、バージルは立ち上がりダンテから写真を引っ手繰る。その俊敏さは流石としか言いようがない。
「貸せ」
「あんたさぁ! もうちょっとコミュニケーション大事にしない?」
「……アバランチェか……」
そう呟いて、バージルは写真を見ている。白い大輪の薔薇は、そういえばレッドグレイブの生家の裏庭にたくさん植わっていた。これだけではなかった。たくさんの花があった。それらはまだ瑞々しく双子の記憶を彩っている。
「あんたが枝折って母さんにどやされたのってこの薔薇だっけな」
「そんな事実はない」
「あるよ! なに事実を消そうとしてんだよ!」
ダンテの言葉にバージルは応えず黙って写真を返した。改めて写真を眺める。
……ダンテが知らない人間も何人かいる。この中で、Vは生きているのか。バージルと生きることをやんわりと拒否した彼の穏やかな顔を見ていると、言いたいことはそれはそれは沢山あるのだが、まあそれも野暮だ。
なんとなく感慨深く眺めていると、バージルがふんと鼻を鳴らしてこう続けた。
「……あれはどこかの馬鹿がシャツを枝の棘に引っ掛けて大泣きしたから仕方なくやったんだ」
そう言えばそうだったかもしれないが、なんだか認めるのも癪だ。それに覚えているのはその後の母の……あの怒った……怖い顔だった、気がする。
……いや待てよ、悲しんでいたのではないか? 怪我はないかとか、言われたのはいつのことだっただろうか。
「おいおい、事実を捻じ曲げるのはよくないぜ? そもそもあれは確かあんたがさぁ……」
「しかし、そうか……」
「……なんだよ」
「俺はあいつらから多くのものを奪ったんだな」
そういう兄の横顔が、なんだか父親のそれによく似ていて、一瞬どきりとする。かき消すように頭を軽く振り、写真と一緒に入っていた手紙を見た。
……ああ、きっと、これは望んでいた結果ではないのかもしれないけれど。
ダンテはバージルの肩を軽く叩き、手紙を見せた。
「今更すぎるな、お兄ちゃん? あんたは一生をかけてネロに償わなきゃならんぜ……ただ」
「ただ?」
「あいつたちはもう幸せだろうよ」
白い薔薇の花の絵が縁どられている便箋に、小さな擦れがちな……お世辞にもうまいとは言えない文字がつづられている。裏面には……少し角ばった字で、短く何かが書いてあった。
ダンテと……あと、バージルへ
俺は家族を手に入れた。
その中にはお前らもちゃんと入っている。俺は俺として生きていくから、心配しないでほしい。
次に会う時は、この前食ったうまいピザの店に連れて行ってやる。最近手伝いをしている店だ。きっとお前たちのことも歓迎してくれる。
また手紙を書く。キリエが便箋を貰ってきたんでな。使い切る前にはフォルトゥナに来い。ネロもキリエも、ニコも、子どもたちだって、お前らを待っている。
……ネロに何か書かせようと思ったんだが、逃げられた。きっと照れているだけだろう。短いがこれで終わる。
追伸
ネロと出会えて俺は幸福だ。
お前たちも、せいぜい幸福に暮らしてくれ。
V
……また来いよ
クソ親父とクソ叔父ども
ネロ
END
あとがき
ここまで読んでくださってありがとうございました!
この作品は2019年にpixivに投稿した「バージルと分離してフォルトゥナに住むことになったVの話」シリーズの完結編となります。
投稿を決めたのはメインジャンル(日本史一次創作)での広島茶道遠征の往復新幹線の中で、書いてすぐ推敲もせずに投稿したのを覚えています。当時はここまで本を出すことになるとは思わず、書きたいところだけ書いて終わりかなと思っていたのですが、既刊を出すにあたり今まで書いてきたものもまとめたいということで、思い立って書いたものになります。そのためコミカライズやノベライズをかなり無視した展開になっています。
それ以上にどう頑張っても「あつまれフォルトゥナの森」になってしまったんですが。なんでや。
長ら一次創作しかやってこなかったのでまったく勝手がわからず、オリジナルキャラクターだらけになってしまいましたが、フォルトゥナという環境で自らの立ち位置を確立し、「バージルと分離すること」を選択してVとして生きていくVちゃんが書きたかったはずでした。少しでも伝わったら幸いです。
既刊の内容と今回の本の流れ的に、どうも並木はVちゃんをどうしても一個人として見たい向きがあるようで、誰にもその存在意義をゆだねないENDを望んでいるようです。どういう性癖なのかは自分にもわかりません。
というかこれネロVで大丈夫ですかね? 違うくない? なくなくなくない?
これを書いているさなか、DMC5SEが発表になりまだまだこのゲームに浮かれることができると思うと本当に幸せです。
ただ、twitterでもふれましたが、たぶんこの本でDMC(というか、二次創作)本はラストになります。理由はメインジャンルに戻るためです。短い期間でしたが、今まで本当にお世話になりました。たくさん勉強になりました。
次のイベントはこの本と既刊の捌け具合にもよりますが、2月の東京春コミにメインジャンルで参加できたらいいなぁくらいの感覚で生きています。
実は今年の8月に同業他社に転職し、作業環境ががらりと変わってしまったため、オフラインでの活動が全く見通せない状況です。まだまだコロナウィルスの影響もありますので、予定は未定ということです。
最後になりましたが、twitterやpixivで並木を見守ってくださる皆さん、そしてこの本を手に取ってくださった皆さんに心からの感謝を。
またご縁が繋がれば、どこかでお会いしましょう!
その日を心から楽しみにしています!
2020年10月11日
並木満