美味しそうに食べる男


もしも延俊という男を知らない人間に彼のことを説明する機会があるとしたら、忠利はどれくらいの時間で語りきれるか年々不安になってくる。
最も大切なこと……というよりもこれだけは絶対に言い置くべき点として、彼はけして悪い男ではないということだけは最初に何度も繰り返すと思う。ただ、それを強調すれば強調するほど、人というものは身構えるのだ。どんな性質の悪い男が出てくるのだろうと。
誓って、木下延俊という男はそういう男ではない。むしろ生まれ持った気質の大変良い人間で、それでいてそれを吹聴することなく、さらりと見せてくるそういう男だ。
彼の持つ人懐こさは美徳だとすら忠利は思う。ただ、その美徳こそが、いま忠利を確実に困らせている。
「あの方は金の横流しをしたのではないかと噂が出ていますが、大丈夫でしょうか」
忠利はそう言って延俊にちらりと視線を投げた。さる家で行われる宴を前に、延俊は先んじて忠利を訪ねてきた。日が落ち始めてから一層冷え込みは増すばかりで、雪もちらつきそうな新年の頃。
そんな中、宴の前だというのに延俊はむしゃむしゃと蜜柑を食べていて、忠利の問いに何かうなっている。
思うところは、あるのだろう。たぶん。
「大丈夫だと思うんだけどなあ」
延俊の少し間のびした話し方は、最初こそ皆この男は大丈夫なのかと心配するのだ。しかし、話しているうちにだんだんと、なぜか妙に心を開いてしまう。皆、右衛門殿ならばと宴やら茶やらと呼ぶのだ。
まあ、それは義兄……であり、忠利の父である忠興の視線があることも大きい。延俊の最大の強みは、忠興にたいそう気に入られていることだ。父忠興は気難しい性格で、扱いには十分注意が必要だ。しかし情が全くないわけではない……表現方法が独特なだけで。だから口では散々延俊をなじるが、きっと愛情の裏返しのつもりなのだろう。
わかってはいる。わかってはいるのだが、忠利はこの二人が話している場にいるたびに、胃がキリキリと痛むのだ。居た堪れない気持ちにすらなる。忠興の発言にも、それに対する延俊の返答にも。
しかし当の二人は全く気がついていない。
延俊の不思議さはそこでも発揮される。たとえ忠興がどれだけきつく当たっても動じるどころかこれ以上なく嬉しそうにニコニコしているのだ。忠利ならば軽く三日は寝込むだろう辛辣な発言を真正面に受けても延俊には効かない。それが忠興には気楽なのかもしれない。父の世代は荒くれ者が多いと父本人が言っているが、それに対抗できるのは延俊のようなやや鈍い男なのだ。愚鈍ではなく、鈍い。むしろ教養に富み勇敢さもきちんととあるのだが、鈍いには鈍いのだ。
いや……忠利も、彼のそういった気質には助けられている。好ましいし、羨ましいと思う。完全に彼のようになりたいとは思わないが、少しだけでも要素を借りることができたらとは思うのだ。
それはそれとして、さきほどのやり取りに出てきた男というのは、また忠利の胃をこれでもかと痛めている者だ。普段から進まない食事も遅々として進まない。延俊のように何でもばくばくと食べることがどうしてもできないのだ。
例年、年頭の挨拶をするために多くの人間がそれぞれの家を訪れる。多くが役人で、彼らも立派な情報源だ。当然向こうもただ知りえたことを伝えだけではない。しかし一方で、そうした人だかりに紛れてよろしくない人間も敷居を跨いでくるのだ。
某という男がいる。彼は自らの身分を利用して幕府の金を横流ししたらしいという噂が流れている。噂だから何とも言えないが、この男が忠利の元にも挨拶に来ていたのだ。忠利は理由をつけて挨拶を断った。進物も受け取っていない。しかし延俊は断るどころか彼をもてなしたのだという。本当に大丈夫なのだろうか。国元にいる父の……機嫌の悪そうな顔がふっと浮かぶ。逆にあそこまでわかりやすければいっそ楽なのかもしれない。少なくともそう言った怪しげな連中とつるもうとは流石の父も思わないだろうし、そう言った連中も父のような面倒そうな人間には近寄ろうとしないだろう。多分。
延俊は彼とどのようなやりとりをしたのか、気になった。
「特に何も話してないよ」
そう言って延俊は蜜柑の皮をむいているし、これは美味しいなあなんて言っている。穏やかで優しげだが、やはりどこか危なっかしい。
その日の宴は盛り上がった。徳川家でも有力な人間が集まったため、様々な情勢を知ることができた。忠利が想定していた話しとは違う話がいくつか耳に入ったので、父への報告がまた増えそうだ。人の心は話してもわからないが、言葉から伺えるものも多い。それらをいかに集約するかは今後もっと重要で優先されるべき仕事になるだろう。手紙を書くのは大変だけれども、そこまで苦ではない。多少、父忠興からの手紙が辛辣な言葉であったとしても、この場にいないだけいくらかましだからだ。
宴の際、延俊はニコニコと終始機嫌がよく、その場にいた全ての人間となんらか笑い声を交えた会話をしていた。延俊のお陰で聞けた話もある。やはり、延俊がいた方が忠利は助かる。例え多少ぼんやりとしていても。
それからしばらく経った。忠利は暇をもらうと延俊とともに上洛し、そこから別れてそれぞれ国元に帰った。父とのやりとりで、どうも年始にやってきていたあの疑いのある男がやはり噂通り、徳川家の資金に手を付けていたということがわかった。すでに処罰として追放されているとのことだ。
忠興は、忠利にそんな話を面倒そうにしている。こんな話題すぐに終わるだろうにくどくどと話が終わらない。忠興はふうと息をつくと、嫌味のようにこんなことを言う。確かその件の男の処罰が遅れたことについての文句だったと思う。
「右衛門が気が付いていたことにさえ裏すらなかなか取れないのは困る」
「……義叔父殿の?」
「お前はあれを俺が罵るときと同じような言葉で見ていると思うが、そんな甘い男じゃないぞ。それにお前はあいつをこれから使いこなさなければならないんだ。よく理解をしろ」
少なくとも延俊のことをあんな酷い罵詈雑言で語るつもりはけしてないと言い返したかったが、一方どこか合点が行くようで行かないので黙っていた。延俊は確かに愚かではないが、そこまで明晰に人を見分けているだろうか?生来の人懐っこさの方が目立つので、あまり考えたことがなかったかもしれない。
忠興は、そんな忠利の反応に落胆したかのような様子だったが、気になるなら聞いてみろと言ってすぐに別の話題に話を変えた。

「私は右衛門殿をなにか勘違いしているのかもしれません」
「え?」
ある晩、柿を何度も何度も贈ってくる延俊への礼を兼ねて、忠利は延俊を呼んで少し酒を呑んだ。昼は少し数寄の話もした。自分には父ほどの才覚がないことはわかっているし、きっと父が聞いていたら鼻で笑うかもしれないようなことだったが、茶室の構造そのものに話が及んだ。もっと用途に合わせてこんな部屋にすればいいのではないかと延俊が話し始めた時は、あまりに突飛だったが面白かったのでつい乗ってしまった。そんなことで、気が緩んでいたと思う。ふいにこの前の父とのやりとりを思い出したのだ。
忠利は、忠興の話していたことを……延俊がただ社交的で少し鈍いだけではないという風に言葉を変えて本人に吐露した。
「私もまだまだ、何もわかっていないのだと思い知りました」
そう言って息をつくと、延俊は振舞の鯛を口にして首を傾げ続けている。褒めているのはこちらなので特にそれに何かを言うつもりはないが、そこまで身に覚えがないものだろうか。
「いや……ううん、そもそも彼を家に上げてもてなせって言ったの、義兄上だからなあ」
「右衛門殿?それは」
「人ってわりと聞けば答えてくれるじゃない」
あっけらかんと笑う延俊に、忠利は理解した。忠興はきっと、延俊を釣餌のように使って例の男の情報を聞き出したのだ。その上で噂の裏取りをしていたに違いない。せめてその情報を自分にも共有してくれないか、あんなに手紙をやりとりしているのだからと様々な文句が頭を掠めるが……なんだかどっと疲れた。そして、そうだ。延俊の周りにいる人間は、確かに右衛門殿なら、と話すことが多い。それに助けられたと自分で思っていたではないか。
忠利は、なんとかこう言うだけでいっぱいだった。
「それは、右衛門殿だけかと……」

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2025年3月9日