嫌いだ。初めて見た時からそう思っていた。この男は絶対に違う、とも同時に思っていた。彼はどこか愚鈍に見えたし、体を大きく見せることでなんとなく圧を演じているだけにも見えた。
だから光秀の隣にいるべき器ではないと思っていた。会話も最低限に済ませていたし、込み入った表情を見せることなど一瞬もなかった。
緊張感のある関係ではあったと思う。しかし、それでも光秀にはわからない。どうして彼がこうして自らの上に乗っているか。衣を乱され、徒に弄られた肌がどうして朱に染まっているのかも。
「嫌だ」
そう口にして、初めて光秀は自分がこの男に怯えていると言う事実を知った。
肌に指を這わされることも唇を奪われることも、知らないことではないはずだった。自らの隣に相応しい男を選別するためにはその素肌を晒すことなど躊躇いはなかったし、向こうにその器があると見ればそれを育てるためにいくらでも愛を与えたはずだった。それが自分が持つたった一つの慈愛だと思っていたから。
それがどうだろうか。この体はちいさな命を宿す動物のように震えることしかできない。光秀から多くのものを奪ったこの男は、節ばった指で光秀の胸元を撫でる。
「貴殿は何を望んでいらっしゃるのかな」
自分よりもずっと若いはずの家康はそう老獪に笑う。おかしい。こんなはずではない。隣にいるべきはこんな男ではないはずだ。しかし射止められてしまう。光秀の思想なんてあっさり否定して、この男はいままさに光秀を犯そうとしている。
その指の与えるものなんか望んでいないはずだった。バタバタと手足で抵抗しようとしたが、あんなに愚鈍に見えたはずの男のどこにそんな力があるのか、光秀の体はあっさり封じ込められてしまう。身体中まさぐられ、受け入れ慣れた後ろも解され、涙を流し喘ぐことしかできなかった。
「ひっ……いや、いやだ…っ」
「おや、貴殿は望んでいたはず。本当に強い人間の隣にいることを……教えて差し上げましょう。それがどれほどの対価を払うことなのかと言うことを」
秘部に鈴口をあてがわれ、今度こそ光秀は抵抗したはずだったが……その抵抗は圧倒的な力に押し込まれた。彼の雄が自らの腹を貫く時に、光秀は今までの自らの夢がこんな形で成就するのだと言うことを知った。
家康は力強く、それでいて妙に優しげに光秀を抱いた。恐ろしいのは、彼の動きにいちいち反応する己の体だった。こんなもの、望んでいないはずだと何度も思ったのだが、気がつけばこの体は家康の雄を受け入れ慰めてしまう。それまで当然のようにしていたことを、この体はいじらしくもこの忌々しい男相手に叶えてしまう。
「ふ、ぁ……っゃ、いやだ、いやだ」
揺さぶられ涙を流すことしかできなかった。この体は、間違いなく、あの魔王のためのもののはずだった。彼のためならなんでもした。彼が望むのであれば、この体はどんな色にでもなった。こんな男のためではない。こんなことをされるために生まれた肌ではない。
「何か勘違いをなさっておりますな。聡い貴殿のことだ。もうとっくにわかっているでしょうに……」
哀れむようにそう言われても、耳から入る言葉と光秀が聞く言葉はまるで違うようだった。抗いもがく力が徐々に弱まるのも怖かった。真実としてひとつ、光秀が愛するべき存在は信長ではなく、この目の前で笑う彼なのではないかと言う考えがまるで深い色をした藍が水に混ざるように染め上げていく。ちがう、ちがうと思えば思うほど瞼によぎるのは、信長があるときを境に繰り返し光秀の耳に吹き込んでいた言葉だった。
「すまない」
「こんなつもりではなかった」
「本意ではないんだ」
それは聞かないようにしていたのだと思う。そんな言葉はなかったと、ずっと押さえ込んでいたのかもしれない。しかし今となってはどうだ。真に君臨するものとして相応しい男が誰なのかという問いが光秀の体中を犯している。
その言葉こそが信長の本意の言葉ではないと思っていたのだ。信じていたと言った方がいいかもしれない。ここまで積み上げてきたものとの比較で自分が信長から離れられなくなっているという事実は、もちろん彼本人への疑いも含めて存在はしていた。それでも、光秀は信長を信じていたのだ。きっと、いつか彼は変えてくれると思っていたのだ。
それが、いままさに崩れようとしている。たった一つの支えだけでやっと形だけは残っているが、それも信長へのもはや信仰にも愛情にも何にも例えられない何かとして存在している。
「あ、あっ……いや、いやだ、そんな……」
「大丈夫、私は貴殿を信じましょう。何があっても、疑うことはありません」
家康はそう言って光秀の手を取り指先に唇を沿わせた。もう一刻も早くこれが終わってほしかった。いつもの光秀ならば相手をどんな目に遭わせようかと考えるだろうが、今はもう早く逃げ延びたかったし、信じる一人の男の元に帰りたかった。
光秀の中はもう自分でも形容のし難い言葉だらけで埋まっていた。きっと常人であれば倒れてしまうだろうが、光秀は……それでもそれらを読み解くことをやめなかった。
汚れた体を引き摺るようにしてやっとその手から逃れた光秀は、最後の望みを託すように一つの策を考えついた。家康の前で、信長こそが統べる者であることを理解させるために。
しかしそれは、最後に残っていた光秀の支えを根本から崩したばかりか、光秀にひとつの真実を教えてしまった。