黄金色の日々 2

その日から、Ⅴとバージルのこの世界での生活が始まった。
悪魔と言われても、Ⅴにはよくわからないようで、すぐにバージルを疑った。他のことは基本的にバージルの言うことを素直に聞くのに、それだけはやけに疑り深い。まあそれも当然だろう。むしろここまでバージルに従順なⅤの方が奇異だ。なにがあるかわからない世界だから、外に出るときは必ずバージルはⅤを連れて行った。
互いに一人にならないように生活した。もちろん寝るときもそうだ。
今まで…誰かと寝ることなどそうなかったから、バージルには変な気持ちだ。Ⅴは嬉しそうにバージルと同じベッドで寝る。そして互いに自然と…体を繋げた。
本当に恋人同士のようだ。
「バージル、どうしたんだ?」
その日、世界の外を探しに二人は連れ立って家の外を歩いていた。どこかに手がかりがあるかもしれない。そう思って連れ出した。空は相変わらず青く染まり、雲が切れ切れに太陽を飾っていた。手がかりがないのを嘲笑うようにも見て取れて若干腹立たしい。
家の脇に小道があって、どちらともなく吸い込まれるように歩を進めると、開けたところに小さな畑があった。そこにはおあつらえむきに二人で生活できる最低限の野菜が植わっていた。…料理には自信がない。だがⅤの体は魔力が必要な以上に人間と同じ栄養素が必要だ。
記憶を失う前はⅤ本人が自分のことだからと自分で行なっていたが、今となれば少しでもバージルが関わっていればよかった。
「蕪があるな」
Ⅴは嬉しそうに畑を見る。
「土の中にあるのにわかるのか」
「葉の形が違う…まさかと思うが、野菜の区別がつかないのか?」
この記憶は一体どこからきているのかわからない。バージルが知らないことをⅤが知っていると言うのもおかしな話だが…バージルが考えているのを御構い無しにⅤは畑に入っていく。
「気をつけろ、罠かもしれん」
「変な人。こんなところに罠なんかないさ」
慢心と言うよりは純粋に迂闊だ。楽しそうに野菜を掘り起こす自らの半身の痩躯を後ろから眺める。
「そういえば、キッチンに料理の本があったな…」
「作れるのか」
「わからない。でも、せっかく畑を残してもらっているんだ…うまくやりたい…バージルも、手伝ってくれるか?」
いくつか野菜を手にしたⅤがそう言いながら振り返る。
「!」
微笑む姿が、一瞬…ある女性と重なった。それはバージルが渇望したものだった。名残など瞳の色だけだというのに、その力は朝陽の眩しさのようにバージルを貫いた。
母。バージルが心の底でずっと隠していた本当の心。本当に、欲しかったもの。
「…バージル、どうし…っ!」
気がつくと、その細い長身をバージルは抱きしめていた。まるで縋るように。まるで母の愛をⅤに求めるように。生白い首筋に子犬のように鼻を寄せる。
「…バージル、泣いているのか?」
「泣いてなどいない…」
「嘘ばっかり」
くすくすとⅤは笑った。それは嘲笑う目でも、蔑む声でもなかった。優しく温かな水が、堅牢な氷を溶かしその中を伝うように、バージルの心のどこかにあった温かなものを引っ張り出してしまう。プライドが高く常に強い自分という鏡に向かって話しかけていただけのバージルが、今初めて、Ⅴというか弱くも温かな存在に触れたのだ。真正面から。否定したはずの涙が溢れてはバージルの頬をしとどに濡らす。
「なにがあったかはわからない…でも、悲しかったら泣くのが一番いいと思う。自分に嘘をつくのはとても疲れるから」
そして、抱えた野菜をバージルに手渡す。
「沢山採っても悪くしてしまっては申し訳ない。バージル、持ってくれないか」
「…わかった」
そして二人が並んで歩き始めた頃、すでに空は茜色に染まっていた。

それからバージルはⅤに対して優しく接するようになった。
優しいと言っても、バージルが思う精一杯の優しさだ。本当の優しさなんていらないと思っていたし、力を得るために邪魔になるものは一切排除してきた。何もかもが手探りだ。そんなバージルを見て、Ⅴはまたくすくすと笑う。そしてこう言うのだ。
「俺たちは本当に恋人同士だったのか?」
抱き合ってキスするときも妙にぎこちないバージルに対してだ。
「…違うと言ったら?」
照れ隠しにバージルはⅤの耳朶を甘噛みする。ひゃっと声を上げるⅤを今度はバージルが笑った。Ⅴは耳を抑えながら、頬を朱に染め俯く。
「それは…困るな…俺はこんなにお前が好きなのに」
その言葉にバージルが動揺する番だった。顔には出さないが、心臓が裂けるような思いをした。
「Ⅴは俺のことが好きなのか?」
「…そうだな、少なくとも今の俺はお前のことが好きだな。なんでもしたい、なんでも…あげたい」
そう言うとⅤはバージルに寄りかかる。軽いそれが確実に生きている。熱を帯びている。それだけのことでなぜか泣けてしまう。しかし泣き始めたのはⅤの方だった。
「全部バージルにあげる…いらないって言われても、ついていく…」
「…そんな証をやすやすと立てるものではない」
誓いなんて、証なんて、あっさりと消えてしまうものだ。指と指をすり抜け、手になど絶対に入れられないものだ。その身に刻まない限り…。泣きじゃくるⅤをバージルは抱きしめ、ベッドに座らせる。もうここに来て何度体を重ねただろう。
わからないが、心地よい。この世界にいれば、このⅤと一緒ならば、幸せになれるのではないだろうか。ならば、元の世界になど、あの陰鬱で朗らかな世界になど、戻らなくていいのではないだろうか。
「ん…っ! バージル、ん、あ…!」
唇を重ね、名前を呼び、呼ばれ、手を繋ぎ、熱を交わして…まるで本当の恋人のように二人は溶け合った。
悪魔など知ったことか。ここで暮らそう。Ⅴとふたりぼっちで、ささやかだが幸せを噛み締めて、生きていこう。この美しいわけのわからない世界で。バージルは真剣にそう考えた。
晴れた日は畑や庭に出かけた。里山は歩くのにちょうどいい。但し条件があった。必ずバージルの隣を歩くこと。遠くへは行かないこと。外に用があるときはバージルを呼ぶこと。すべてバージルが決めたことだ。彼が愛しい半身を喪わないための、手段の一つに過ぎない。
Ⅴは花を指差して言う。
「これはニッコウキスゲだ…綺麗だな」
「…そう言うのは覚えているのか」
「…なんで俺はそう言うことは覚えているのにお前のことを忘れてしまったんだろう」
「さあな」
バージルはあの時の木々の言葉を思い出していた。大切なものを奪ったというのは、すべての記憶ではなくⅤという存在意義そのものを奪ったと言うことだろう。この目の前で穏やかに微笑む青年は、もはやバージルの半身とは言えない。確かに…Ⅴの思想や記憶はバージルにとって大切なものかもしれない。
だが、今はそうではない。なによりこの、何事にも従順で素直なⅤという存在を護りたい。初めてそんな感覚に襲われるのだ。

ある朝、Ⅴは目覚めると身を起こす。傍にバージルがいない。どこへ行ったのだろうとベッドから抜け出て、書斎へ進む。書斎にもいない。そこには最近読み始めた農業関係の本が山ほど積まれているだけだった。
リビングに抜けると、窓から朝陽がキラキラと差し込んではいたずらにⅤの肌を照らした。なんだかそれが愛おしい。吸い込まれるように窓辺に立つ。窓を押すと簡単に開き、誘うようにほの暖かい外気がⅤをくすぐった。
春の匂いだ。なんだかずっと待っていたような気がする。この景色を。
この先になにかがあるのかもしれない。そこには、ⅤがⅤであった…記憶を喪う前のなにかが、あるのかもしれない。早く思い出さなければ。バージルは意地悪なことをよく言うが、本心からでないことくらいわかっている。恋人だったと言うのならば取り返して、バージルの元に本当の自分を届けてやりたい。
「なにをしている」
急に背後に、凍りつくような声が降ってきた。驚いて振り向くと。バージルがその美しい顔を歪め、腕を組み、圧し潰すような視線をⅤに寄越していた。

その日はバージルにしては機嫌のいい朝だった。
眠りに落ちたⅤに口づけを落とし、キッチンに立って柄にもなく鼻歌なんてものをしながらコーヒーを入れた。Ⅴが畑から持ってきたビーツがあったから、今日はそれを使ってスープでも作ろう。幸いキッチンの奥にある本棚に古びたレシピ本があった。コーヒーを啜りながら本をめくると、丁度よさそうなレシピがあった。機嫌よく眺める。これならⅤと自分でも作れそうだ。すると隣の部屋のドアが開く音が聞こえた。愛しい君のお目覚めだ。バージルは微笑みさえ浮かべ椅子から腰を上げた。
窓辺に立つⅤが、外に出ようとしていた。その姿はまるで宗教画のように美しかったが、なによりもバージルを焦らせた。
どこかに行ってしまうのではないだろうか。この手を逃れて、どこか、遠くへ。
焦りは次第に恐怖を経て怒りへと変貌した。バージルの心に昔のような…嵐に吹きすさぶような荒廃したなにかが満ちて行く。
「来い」
「やだ…っ! バージル!」
嫌がるⅤの手首を掴み、バージルはその体を家の中へと押し込んだ。そしてソファに無理矢理座らせると、細い体は恐怖でガタガタと震える。震えながらも、その目はバージルをまっすぐ見ていた。
気に入らない。Ⅴが記憶を喪う前の関係のようだ。思い出した…ずっと忘れていた。この甘く儚い黄金のような日々の中で、Ⅴへ募らせていた思いの数々を。同じ魂を分かち合っていると言うのに、二人の関係は冷たいものだった。
体の関係にあってもそれは変わらなかった。バージルはⅤを疎ましくさえ思っていた。それと同時に、なによりも愛したかった。そしてそれに対してⅤは…それら全てに対して、興味のない顔をしていた。
バージルの想いをⅤは知っていたのだろうか。それすら今は怪しい。いや、今となってはどうでもいい。記憶をなくす前のⅤなんてどうでもいい。今はこの目の前にいる、何も知らない、無垢で、純粋で、か弱いⅤを愛している。そのⅤがこの手から離れると言うのであれば、それが喩えⅤの望みであったとしても赦せるわけがないのだ。
「どうして…? バージル、どうしてそんなに怒っているんだ…? 俺が、なにかしたのか…?」
「怒っている? 怒らせるようなことをしたのはお前だろう」
「何を言っているんだ、俺はただ外に出ようと…」
「なぜ外に出る必要がある。何かがあるなら俺に言え…それとも、言えないようなことなのか?」
「だって…俺が、誰だったのか…知りたいから…」
その言葉にバージルはカーッと頭に血がのぼるのを感じた。誰かなんてどうでもいいではないか。Ⅴがいて、自分がいて、それで十分だ。これ以上なんてない。
Ⅴは思った以上に欲が深いとすら思えた。純粋で潔白ゆえに素直に好奇心を満たそうとする。子どもと同義だ。それがバージルには気に入らない。
「お前が誰かだと? お前はお前だ。俺が保証してやる。お前は俺の恋人で俺はお前の恋人だ。それだけがわかっていればいい」
「それは…バージル、間違っている! 俺はこのままじゃだめだ。だめだから…知りたい。俺は…!」
「ふざけるのも大概にしろ!」
バージルの怒声にⅤの肩が揺れる。バージルはそんなもの御構い無しに言葉を発する。
「このままじゃいけない? それはお前が決めることではない!お前はここにいればいい、俺の隣にいれば…それでいい」
子どもじみたわがままだと言うことは自分でもよくわかっている。だがやっと見つけた答えなのだ。やっと見つけた真理なのだ。Ⅴ相手と言えども引けなかった。
Ⅴの声が震えている。まるで生まれて初めて絶望した子供のようだ。
「どうして…どうしてそんなことを…バージル、教えてくれ、俺は誰なんだ?」
「そんなことを知ってどうなる? もしもお前には受け入れがたい事実だったとして、お前はそれを受け入れるのか? Ⅴ、もうこの話は終わりだ…ここに来い、外は危ないと言っているだろう」
諭すように言葉を紡ぐが、Ⅴはその翠の眼に涙すら浮かべ震える体から絞り出すようにこう叫んだ。
「もう、いい!」
Ⅴはソファから立ち上がるとバージルの手を遮って窓の方に走る。しまったと思った頃には彼は外に出て走り出してしまった。咄嗟に追いかけようと魔人化しそうになったがやめた。ここであの悪魔の力をⅤに見せても徒らに怖がらせるだけだ。そんなこと望んでいない。そんな未来なんていらない。
しかし実際この世界でⅤが安全に過ごせる場所はバージルの隣以外に他ならない。
仕方がない、走って追おう。窓を破りかねない勢いで開けると、バージルはⅤを追いかけた。

どれだけ走っただろう。
中庭を抜け、長閑な小径を過ぎ、草原のように開けた場所まで走ってきた。バージルから距離を置こう。少しでも一人の時間を作ろう。そして探すのだ。本当の自分の姿を。そんなことを考えていた。息を切らしはあはあと肩が揺れる。こんなに走るなんて思っていなかった。この体は運動には慣れていないようで、すぐにⅤは立ち止まってしまった。
「Ⅴ」
バージルの声がする。振り返らない。振り返ったら、またバージルが怖い顔をしているだろうから。
もう見たくない、そんな顔をバージルにさせたくない。だけれど、本当のことが知りたい。何も知らずバージルに庇護されるだけの生活に満足できたならどれだけ幸せだっただろう。だが、 Ⅴは知りたいのだ。真実を。本当の自分を。

こんなところで見つけるとは思わなかった。初めてこの世界に飛ばされた場所だ。ここでバージルは昏倒したⅤを抱き上げた。その時の体の熱まで、まるで先ほどのことのように思い出せる。
Ⅴは振り返らない。その方に触れようとした瞬間、叫ぶようなⅤの声が弾ける。
「お前は、俺が記憶を取り戻したら、何か不都合があるのか…?」
「…」
その問いに答えを出す必要すら感じなかった。不都合かどうかと言われたら不都合しかないだろう。
「もちろんだ…なぜならお前は…」
その時だった。
轟音と共に地面が揺れる。大地震かと疑うくらいに大地が揺れ、Ⅴはその衝撃に耐えきれず悲鳴をあげて蹲った。バージルも咄嗟に身構える。木々がざわめき、再び言葉が木霊する。
…お前の大切なものを今度こそ奪い取ってやる…!
それは呪いの言葉めいて、バージルの頭に響いた。大切なもの、今のバージルにとって一番大切なもの…一つだけ残った光。一つだけ残った、希望の光。
「いかん、Ⅴ!」
そう叫んでⅤの体を掴もうと手を伸ばしたその刹那、バージルとⅤの間にある大地が割れた。
地割れと思ったが、違う。まるで意思を持って口を広げるように大地が剥き出しの中身を見せたのだ。一気に地面がその牙を剥き、バージルとⅤを引き裂くようにあっという間に谷を作った。
「Ⅴ!」
「ば、バージル…! どういうことだ、これは…」
「そこでじっとしていろ、ここは危険だ!」
跳べば届くかと言われれば厳しいほどに、谷は広がりⅤとバージルの距離は遠ざかっていく。バージルの声が届いたのか届かないのか、刹那何かを見たⅤが息を呑み、肩を震わせる。目を剥き、明らかにその表情は恐怖色に染まっていた。
Ⅴの視線の先をバージルも追う。Ⅴが何げなく見たであろう谷底には…土気色の、ぐにゃぐにゃとした…悍ましい悪魔がいた。この悪魔が先ほどまでの声の主だろう。そして…この幻覚を見せていた犯人に違いない。もしかしたら依頼人の老親たちも…いや、よそう。今はそんなことを考えている時間ではない。しまったとⅤを見やる。記憶を喪くした彼は悪魔なんて見るのは初めてだ。その恐怖は計り知れない。
Ⅴの足元がぐらつくのがわかった、いけない、このままでは…と思った瞬間、Ⅴは滑る土に足を取られ、谷底に転落した。
「Ⅴ!」
躊躇いなどなかった。バージルは大地を蹴りⅤを助けるために飛び降り、そのまま魔人化した。悪魔の血を滾らせ、青白い燐光を放ちバージルは落下するⅤを空中で抱きとめる。腕の中でⅤが小さく悲鳴をあげた。当然だ。もう戻れない。もうあの黄金色の日々には、安息の日々には戻れない。そうとすら思えた。
「これだから言いたくなかった…お前は本当のことなんて、知らなくていい」
バージルは悔やむように言った。知らなくてよかった。無邪気なままでいて欲しかった。悪魔なんていないと笑う彼を守りたかった。
このまま、ずっと、朽ちるまで…それも終わりだ。これっきり、もう終わる。なにもかも、この関係ごと。しかしⅤの反応は違った。バージルの悪魔の体に縋るように抱きつく。
「それでも知りたい…バージルが悪魔でも人間でも、俺はバージルのことが…好きだから」
Ⅴの必死の言葉にバージルが動揺する番だった。今、この魂はなんと言った? この愛おしくきらめく魂の片割れは、なんと言った? バージルは恐る恐る訊く。
「たとえ俺とお前が恋人でなくても?」
「それでも、これから恋人になる…! 俺はお前を愛している!」
その叫びに、心から紡がれた言葉に、バージルはふっと笑う。そうだ…そうなのだ。その言葉だけでどれだけ強くなれるだろう。力こそ全てだと思っていた。力がなければ何も守れないと。
だが、あの黄金色の日々が、今のⅤという存在が、バージルのその氷のような思考をたしかに溶かしたではないか。そこには互いに尊重し、互いに睦み合う暖かな営みがあったではないか。今、自らを縛める氷の縄は全て溶け切り、その力はなによりも大切なⅤという存在を守るために振るわれる。
「それなら安心だ…目を閉じていろ。一瞬で終わる」
どのみちもう終わりだ。この悪魔を倒してしまえば、Ⅴは記憶を取り戻す。だからこの関係もどうあがいても終わりだ。さよならの代わりにその額に唇を寄せて、谷底に降りていった。谷底に着くと、バージルはⅤを比較的安全そうな平地に下ろし、振り向きざまにその力を…悪魔に叩きつけた。瞬殺という言葉がぴったりなほどに、悪魔は情けない断末魔とともに消えた。
悪魔に感謝などは絶対にしないが、Ⅴという存在と向き合えたことに関してだけは、少しだけ感謝してやろう。そんなことを思いながら。
するとあたりが次第に明るくなっていく。まるで朝陽を見るような眩しさに思わず目を閉じると……次に目が覚めたとき、バージルとⅤは世界が変わる前と同じ草原にいて、Ⅴは同じように倒れ臥していた。
「Ⅴ…」
Ⅴを見てバージルは呟く。記憶が…戻ったのだろうか。戻った世界はあの絵画のような世界での暖かさはなく、少しだけ風が冷たかった。記憶が戻っていたら、この関係はどうなるだろう。
「ん…」
Ⅴはその憂いを帯びた瞳を世界に晒す。ああ、しまった…こんなに早く目覚めるのなら、もう少し時間が欲しかった…と今更後悔しても遅い。
しかしⅤの表情は穏やかだった。まるであの世界にいた頃のような…何も知らない、純朴な青年そのものだった。記憶が戻っていないのではないだろうか。安心してしまうとともに、少しばかりの焦りがバージルを包む。
「おはよう、バージル…よくも俺を好き勝手にしてくれたな」
「Ⅴ…記憶が…」
「ああ、もちろん…すべて思い出したし、憶えている」
そう言ってⅤは上体を起こし伸ばした。その姿は今までの…記憶を失う前の顔で、体で、Ⅴという青年そのものだった。その名前の意味も十分に孕んでいる。間違いなくバージルのもう一つの姿だ。
「そうか…」
「全部覚えている…お前が俺にしたことも、言ったことも」
「Ⅴ…」
バージルは言葉を失うより他はなかった。何も言えない。あんな醜態を晒すことになるとは…悪魔の肚の中で、睦言を交わし、悋気の炎を燃やして…すべて覚えているというのだ。Ⅴは。しかしⅤは機嫌良く立ち上がると、バージルの顔を見てこう言う。
「勿論、俺が言ったことも…バージル、俺の恋人になってくれ」
無邪気にそう言うⅤに再びバージルは驚いた。恋人になる。それが何を意味するのかわからないわけではないだろうに。
「…いいのか、お前はそれで」
「ふふ、それとも記憶が戻った俺は嫌か?」
「そんなことあるわけないだろう…お前の望みだ。叶えてやる…こい、Ⅴ」
バージルはⅤを確かに抱きしめた。間違いなくここにいる魂の片割れとして…そして最愛のひとりとして…確かめ合うように口づけを交わした。貪るように、微笑み合うように。そして漸く互いに身を離した頃、遠くから聞き慣れた声が聞こえた。
「お前ら、ここにいたのか」
それはダンテの声だった。探したのはこっちだとバージルは悪態をつく。どうやら互いに互いを探しあっていたらしい。そのせいで酷い目に遭ったものだ。本当に…酷い目に遭った。もうこれでは戻れないではないか。つい先ほどまでの…昔の二人に。
「行くぞ」
そう言ってバージルは躊躇なくⅤの手を取って歩き出した。驚いたⅤの慌てた声がなんだか楽しい。
「おっラブラブじゃん、なに?俺がいない間に何かあったのか?」
ダンテが揶揄うと、Ⅴが言葉にならない声を上げる。
「うっ…うるさい! おい、バージル…」
後ろでやいのやいのとうるさい。バージルが振り返るとダンテは妙にニヤニヤしているし、Ⅴは顔を朱に染めていた。だがバージルだけがわかる。Ⅴがその手を振り払わず、むしろ少し握り返していると言うことを。だからこう言った。
「当然だ…Ⅴは俺のものだからな」
そして歩き出した。これからの道が険しいことはわかっているが、進むしかない。
たとえまがい物の黄金色の日々を失ったとしても、これからの騒がしい日々を美しく塗り替えるため。いつか二人で笑いあって、その日々を思い返せるように。

あとがき

魔獣をもっと出したかった(突如始まる反省会)
自分なりに頑張って甘いバージル×Vを書こうと頑張りましたが、手癖には勝てませんでした。記憶喪失にすれば精神的処女Vちゃん(肉体的にはどすけべえろすな非処女Vちゃん)が書けると思っていた。反省はしていないし後悔もしていないけれど、なにかやばいことをしたなという自覚だけがあります。助けてください。
本当は救いようのない監禁拘束エロなバジVを書く予定で、Vちゃんがバージルから自立するために自害するというびっくりするくらい暗い話を書いていたのですが、自分のアッパラパーな脳では書けませんでした。いつかそっちも書きたいです。

果たしてこれをバージル×Vと言って良いのかは甚だ疑問ではあるのですが、どうか笑って許してやってください。
記憶喪失なVちゃんを書く上で助言をくださった皆さんに限りないほどの感謝を。

読んでいただき本当にありがとうございました!

2024年11月14日