糸繰草の路を望めども

忠家は頭を抱えていた。確かに忠家は兄である直家に比べたら知恵は回らないし、適切な判断を下すことだって兄よりは難しいだろう。しかし、知恵が回らなかろうと、適切に判断ができなかろうと、人間とは迷うものでありそこに至るまでに悩むことだってあるのだ。ない知恵を絞ることなんていくらでもあるではないか。
しかし、忠家はその時点で、この事態は自分ではどうにもできないと言うこともわかっていた。しかしそれでも悩むのだ。なぜならば、それは誰よりも畏れ、そして愛した直家に関わることだからだ。
「実はひと月ほど前から私の魔羅が消えてしまいました」
あっけらかんと話す表情は、あまりにもいつも通りの兄なので、最初はなんのことなのかさっぱり分からなかった。
「はぁ……はい?」
「ついでに、どうも女陰があるようです。生きるのには困らないのでそのままにしていましたが、流石に気になって何日が前に鏡で確認しました」
「え?待ってください、え?あの……え?」
痩せた体は忠家から見たら普段と変わらない。それにそもそも兄の裸体を見ることも最近はそうそうなかったから、気が付かなかったといっても責められることではないと思う。多分、責められないだろう。自信はないが。
兄の言葉の中に詰まった情報があまりにもとっ散らかっていて、拾い集めるだけで日が暮れそうだ。
「……まさか、そんな……戯れを」
「そう言うと思ったのでここであなたに確認してもらいます」
「ちょっと待ってください」
「待ちません。いいんですか私が他の者に確認させても」
直家はする、と自らの帯を解く。薄くてそこまで背丈もない体は忠家が静止している間に一糸纏わぬ姿となった。そこには確かに、それまであったはずの男根がなく、慎ましやかな割れ目が見えていた。
「兄上、これは」
「ないでしょう?不思議ですよね」
直家は忠家の元に寄り、脚を開き中を見せてくる。いくら兄弟とはいえ見せるものではないだろうと目を逸らしたくなったが、他の者に同じことをされたくない程度に忠家が直家に向ける感情は重いものだった。
控えめに生えた陰毛と、まだ開くことのない女陰だ。陰唇は薄くまだ幼い子どものようだが、兄のものだと思うと何も思わないわけではない。それだけ邪な思いを持っていることをこの兄はわかっているのだろうか。
「……その、あまり近いと、こう」
「あなたは私を抱いたこともあるのに、私についた女陰は見ないんですか?」
「兄上、声が大きいです」
言われて仕舞えばそれはそうだ。だいぶ前の話だが……直家が複数の男と関係しているという話を聞いた時に、忠家はそれを止めようとした。本当は、彼がそんな自らを傷つけるようなことをしてほしくなかっただけだった。しかし直家はこう答えた。
「あなたも私を抱きなさい、そうすればわかりますよ」
そこからの経緯はともかくとして、結果として忠家は兄を抱くという行為に出てしまった。兄のことは責められない。すべてが誘いに乗ってしまった自分の弱さに起因する。
忠家が黙ってしまっていると、直家はこれ幸いとばかりに忠家の着衣を乱雑に乱そうとする。慌ててその細い腕を捕まえると、直家はこちらをまっすぐ見る。ああ、この、この目が本当に怖しい。おそろしいと同時に、美しいと思ってしまう。誰よりも孤独で誰よりも高いところにいるくせに、無邪気にこちらに駆け降りてきては忠家に無防備に誘いかけてくる。
「この体に利用価値があるか確かめるだけです」
「……まさか、また体を売るようなことを」
「何を言っているんですか、せっかく使える武器が手に入ったなら試すのは当たり前でしょう。あなたは試すこともせず刀を振うのですか?」
言葉では勝てない。しかしこの場をなんとかおさめたい。少なくとも……今は隠しているが、先ほどから直家の裸体で反応してしまっている自らの雄を見られたくない。腕っぷしでは確かに兄より勝るだろうが、兄に手を上げることはさまざまな理由でできない。
「しかし、兄上……ちょっと、や、やめ」
「それくらいなんですか、男が抱けたのであれば女など容易いでしょう。ほら、こんなに大きくして」
下帯を器用に解かれ、期待した雄が屹立するのを直家は容赦なく掴んだ。流石に悲鳴をあげそうになったがなんとか抑える。性的に直家と接触したいのはやまやまだが、それは何度も叶っていいものではない。だいたい直家からしたら自分なんてどうでもいい存在だ。いまはまだ役に立っているからいいものの、少なくとも自ら望んで忠家に体を開くような感情は絶対に持っていない。だからだめなのだ。忠家だけの一方的な欲望を直家にぶつけてしまえば、それこそ他の男たちと同じになってしまう。しかし直家は忠家を引き倒すようにすると、自らの陰部に忠家の指を誘う。
「ほら、ちゃんと中も女になっているんです」
「あ、あまり、煽らないでいただきたく」
「煽って言ってるんですよ、忠家にだったら抱かれても構いません、むしろ本当に女を抱いたような感覚なのか私一人では確認ができませんので」
「しかし、私は……そんな理由で兄上を抱くなど」
「私はあなたに抱かれたいんです」
その言葉を鵜呑みにできるほど愚かになりきれないのだ、しかし一方で、兄の言葉に、兄の体に溺れたいという願望だってある。そのちいさく見えた欲望を見逃す直家ではないのだ。
「ねえ、忠家……どうして一月も私がこの体を放ったらかしにしていたと思います?男なんていくらでもいる中で、あなたに言うまで皆に隠していた理由を考えたことは?忠家、あなたでなければ嫌だからです」
うそだ、嘘だとわかってはいる。きっと他に理由があってたまたま誰にも告げなかっただけだ。忠家よりも信頼のおける人間と言ったって、そもそも男に限る必要はないのだ。これだけの弱みを直家が晒すと言うことは何か意味があると言うことなのだ。残念ながらその意味をたぐることはできないが。
それでも……いや、兄には逆らえない。覚悟を決めるしかないのか……忠家は直家の体に腕を這わせる。直家の顔を見ないようにして、それでいて押し殺した声でこう返すのがやっとだ。
「痛くないように致します……何かあれば必ず声を出していただきたい」
「勿論」
噛み付くように口付けをされる。いつもそうだが、唇を合わせるたびにこのまま食われてしまうのではないかと思うほど、直家のそれは激しく熱っぽい。その間に直家は忠家を脱がし、全身に吐息を浴びせるように絡みつく。兄の女陰に指を滑り込ませると、じっとりした膣が……そこには確かに膣があった……忠家の指を貪る。
「あ……そこ」
ぬるついた壁を探るように押すと、直家は噛みしめるように喘ぎ悶えた。兄の痴態にくらくらしながら、溢れ出る汁を擦り付けるように愛撫を与える。ひくつくそこに、忠家は改めて生唾を呑むと……自らの雄を宛がった。これから抱くのはこちらだというのに、忠家は許しを請うように震えた声で問うた。
「兄上、兄上……よろしいですか」
直家は何も言わず、ゆるく頷いた。忠家は逡巡を振り払うように一度かぶりを振ると、その細い体を抱きしめ沈み込むようにうねるそこに自らを呑ませた。確かにそれは、女と同じ感触だ。あまりにも狭く、それでいて従順に忠家を受け入れるそこに、忠家は兄を犯しているという背徳感と同時に確かに悦びを得てしまった。
そこから、まるで渇いた喉が沢の清水を飲み下すほど夢中に直家の体を求めた。少しは加減をしなければと思いながらも、もはや体はすでに思想から離れていた。兄の体を犯してどれだけ経った頃だったろうか。濡れた吐息を漏らす彼の薄い胸にある控えめな突起が目に入った。
「忠家、あ、や、それ……っあ、ああ、ア」
霞むほど遠くにいる忠家の良心が、指を直家の乳首に誘う。せめて、せめて少しは兄を善くしなければと必死に指先でその先端を弄った。兄のその色づく胸元を誰が拓いたかを忠家は知らない。誰によってそこが直家のよいところに変えられたのかを知らない。知らなくてもいいと言いたげに直家は忠家の手首を柔らかく掴み、腰を僅かに揺らした。そのいたいけさすらも計算づくなことだって頭ではわかっていたが……。
「兄上、兄上……」
「……忠家、わたしの、かわいい弟……」
忠家の頭を緩やかに抱き寄せ、頭や背中を優しく撫でるその手が本心な訳がないのに、騙されてしまってはいけないのに、そう思えば思うほどその渦に飲み込まれていく。逆らいようのない強いうねりに身を任せ忠家は直家の中で果てた。呼吸を忘れ兄の中を汚し、やっと我に帰った時は全身で呼吸をしていた。もう2度と呼吸が戻らなくてもいいとすら思ったが、無情にもそれらは石を投げた池のように、やがては凪いでいく。その様を思い浮かべた忠家は、何度石を投げても時が経てば何事もなかったように静けさを取り戻す池を兄と重ね合わせていた。
「それで、どうでした」
ゆるく体を投げ出し、直家は忠家がその体を清めるのを眺めながらそう言った。
「……」
「ちゃんと女でしたか」
「この様を見れば、おわかりいただけるかと……」
「いえ、言葉で聞かせてください」
事後の直家は普段以上に声が掠れている。その痛々しさを招いたことすら拭い去るように、忠家は兄の体の汗を拭いた。それが叶わぬことすら知っているけれど。忠家はしばらく黙って、こう答えた。
「初めて女を抱いた時のようでした」
「それは何より……ねえ、忠家。私もあなたにちゃんと言葉で伝えたい」
そう言って直家は忠家の頬に触れる。驚く忠家を笑うと、その指先は頬から顎、首筋を撫でた。
「初めてがあなたでよかった。正直なところ、この体はあまり使わない方が良さそうです。私としたことが、溺れるところだった……でもそれは、たぶん忠家、あなただったからですよ」
柔らかな言葉を、睦言と受け取れるほどまでに愚かであればどれほど良かっただろうか。どうせ知恵が回らないのであれば、もっと愚かであれば良かった。そうでなければ、こんな言葉にまるで冷水でも打ちかけられたような気持ちにはならないだろう。
忠家は、それを口することもできず、ただ静かに涙を落とした。結局、兄を何を考えているかはわからなかった。

2024年11月13日