煙にたずねて

秀忠が煙草を嫌うのには理由がある。臭いについては言うまでもないが、煙草を理由に秀忠から距離を取られる気がして気に入らなかった。
だから娘が煙草を好むと聞いたときも良い顔をしなかった。大坂暮らしが長くつらい思いをしただろう彼女と、遂に心まで距離を取られるような気がしたのだ。
「……喫ったのか」
秀忠はすこし眉間に皺を寄せて利勝に訊ねる。喫煙する人間にはわからないだろうが、燻された独特の匂いは多少の時間では消えない。むしろ空気の中に沈むように匂って嫌いだった。
「いえ、そのようなことは」
「嘘をつくんじゃない。臭いがする」
夜にふと思いついたことがあったので、本来ならば帰宅している利勝を呼び出したのは事実だ。ここのところ夜詰続きの利勝を、本来ならば帰してやろうと思っていたのだが、昼間に決めた父の法要についてどうしても確認したいことがあった。
内容そのものは大したことではなく、ただこちらの思い違いだったので問題はなかったのだが……先ほどから気になっていることがある。利勝の周りに漂う微かな匂いに。
「……申し訳ございません、実は……但馬守が訪ねておりまして。それで少し……」
利勝の言葉に秀忠は少し黙ってその顔を見ていた。但馬。つまり宗矩は秀忠の大切な手駒だ。そしてこの二人を引き合わせたのは誰でもなく秀忠である。
利勝も宗矩も互いにまんざらではなさそうで、たまに宗矩が酒を持って利勝の邸を訊ねているとは話に聞いている。そういえば宗矩は煙草を好んだな、と秀忠は思い出していた。
宗矩の煙管は細かい蒔絵の入った凝ったもので、そこに雑に葉を詰める姿はいっそ絵になるものだった。彼もまた、秀忠の煙草嫌いを知っていたので流石に目の前で喫うことはなかったが……。
一度だけ、目の前で喫うように命じたことがあったのだ。宗矩の唇から洩れる紫煙が浮かんではやがて消えていくのをじっと見ていた。まるで死んだ人が荼毘に付され消えていくようで縁起が悪いと思うと同時に、宗矩がまるで煙と共に消えてしまって、この手からすり抜けてしまうのではというありもしない妄想にとらわれた。
それきり、秀忠の煙草嫌いはますます強くなった。
「但馬はまだ、煙草をやめていないのか」
「は……私からも厳しく言ってはおりますが」
「まあ、いい。私の行くところにその匂いがしなければ今はそれでいい……それよりも」
そう言って秀忠は意地悪く笑って見せる。かつて憧れを持って見つめた利勝の姿は、年を重ねやや草臥れたがそれもまた味というものだ。思えば今もなお、この男に焦がれている。
諦めるつもりで宗矩と結びつけたが……燻っているのは煙草の葉ではなく、むしろ我が身だ。
「しばらく忙しかったのだろう、早く但馬に会ってやれ。お前の家の煙草葉が消える前に帰るといい」
利勝はその言葉に少し唇を噛むようにして、頭を下げた。彼が宗矩をどう思っているか迄は聞いたことがないが、その反応がすべてだ。
善いことをすると気が晴れるというが、煙のような蟠りはいつまでも秀忠の心から消えてくれない。彼を兄と呼べても、この気持ちを打ち明けたとしても、きっとずっと残るものだ。寂しいが、それもまた秀忠の持つ彼らとの縁でもある。
立ち上がり、奥に向かう秀忠は誰にもなく呟いた。
「いずれすべて消えるのか」

2024年11月13日