I’ll be your home

本当は全て知っていたのかも知れない。自分のこれからを。本当は全て知っていたのかも知れない。与一郎の本当の気持ちを。
「お前と恋人同士だったのならどれだけ良かっただろう」
「随分と寒い冗談を言う」
そのやりとりの虚しさと言ったらなかった。満月が憎たらしくその光を差し込ませている。まるで全て知った顔だ。お前は太陽になんかなれないくせに。月は所詮月なのだ。どんなに美しかろうがどんなに愛でられようが、彼は太陽にはなり得ないし、あの朝焼けもその夕焼けも起こせない。雲でも出ていればよかった。少しでも隠してくれたらどれだけせいせいしただろう。それと同じで、忠三郎もさっさとこの場を去ってしまえば善いのだ。
……嘘だ。誰よりも、この男を喪いたくない。だけれども、その言葉に期待したなんて、どうしても想いたくないから、そう思わざるを得なかったのだ。
はじめて彼の病を聞いたときは、本人もそこまで辛そうではなかったし、それにすぐに死ぬ病だとも思わなかった。思えなかったと言う方が正しいかもしれない。だがそれはじわじわと二人の関係も蝕んだ。忠三郎を奪おうとするその見えざる手をどれだけ呪っただろう。
「お前と恋人同士だったのならどれだけ良かっただろう」
繰り返すその言葉にどんな意図があると言うのだ。もうろくにこの体を抱けないくせに。言葉だけで絡めとろうとするのは怠慢だ。だからその手を握ってこう言った。
「では来世では恋人になりましょうか」
「ははは、それは楽しみだな」
本気などではないことを前提にして本音を話さなければならないのは苦痛だ。忠三郎の言葉が本心でないことを自分に言い聞かせながらその視線を追うのも、もう苦痛で仕方がない。手を離したいのに離せない。その縁を切ることがどうしてもできない。

忠三郎は与一郎の若い手を眺めて、彼の苦しみの先を見つめていた。別に困らせようなんて思っていない。どうせ先に死ぬのはわかっている。きっと彼は悲しむだろう。いや、もう悲しんでいる。その別れの気配に悲しんでいる。目の前にいる自分という存在の弱さに打ちひしがれるくらいに、与一郎はこの身との別れに動揺しているのだ。抱きしめて頭でも撫でてやればいいのだろうか。それがどれだけ虚しいことかを知っているのは忠三郎だというのに。
来世なんて言葉を彼が何を思って口にしたかは知らない。与一郎との関係はけして平坦なものではなかった。終わりから見ればそれは好い関係と映るだろうが、そこに至る道のりは傷つけあいの日々だったと思う。これ以上与一郎を忠三郎の我儘に付き合わせて平然としていられるほど、惨い性格はしていないはずだったのだが……何もかも思い通りにいかない人生だった。この関係すら。
「また会いに来ますよ」
そう言って与一郎は手。を離し立ち上がった。彼も多忙の身だろうに……その言葉がまるで来世を示唆しているようで、思わず手を延べてしまう。じろりと与一郎の目がそれを牽制するので、苦笑いを浮かべながらその手を軽く握り、下ろすしかなかった。そうだ。これでいい。確かに自分で蒔いた種だが、それをどうするか決めるのは最早忠三郎ではない。ただ、与一郎の身体の熱を思い出していた。それくらいは許されるだろう。
「ああ、待っている」
その答えが気に食わなかったのだろうか、与一郎は振り向くと怒りに染めた表情のまま忠三郎の肩を掴み、この身体に馬乗りになった。ああ、重い。昔からその細い体格以上に何故か重いとは思っていたが、こんなだったか。いや、違う。こちらが弱っただけか。
そんなことを悠長に考えているのが伝わったのだろうか、与一郎は表情を緩めることなく忠三郎の唇に自らの唇を重ねる。言葉はなく、噛みつきあうような口づけはかつてよくしていた気がする。こんなに荒々しかったか。もっと睦み合うように優しい口づけを教えたつもりだったが、そうではなかったようだ。
荒い呼吸のまま唇を噛みそっぽを向く与一郎の頭をやっと撫でる。これでいいのかはわからないが、これで彼が納得するならいくらでも撫でてやろうと思った。
「来世であんたはあの人と幸せになるんです。勘違いをしないでいただきたい」
絞り出すように与一郎はそれだけ言って再び立ち上がり、必要以上に足音を立てて去っていった。月と忠三郎だけが取り残される。言葉をかける間もなかった。寂しく思う一方で、俺たちらしいな、とも思った。はあと溜息をついて、随分高く上った月を見上げる。
「来世か……ないって話を聞いたけど」
今はただ、それを破ってでもまたあの懐かしい情景に逢いたいと思うばかりだった。