例えば信綱が問いを発するとする。彼は聡く様々なものに問いを見つけては、何故そうなるのかと訊くのだ。人から見たらそれは彼自身の人間性を疑うような行為かもしれないが、それを信綱が理解したところで、納得し止めることはない。
そうすると、今度は忠秋が仮の答えを出す。仮だからいくらでも捉えようのある言葉をあえて選んでいると思える。忠秋の提示するものに、信綱が再び問いを重ねる。すると忠秋もまた、答えを出していく。少しずつ問題を削るこの過程は、気がついたら身についていたものなので誰かに教えることはできない。
その光景が人には口論や諍いに見えるのだろう。豊後殿と伊豆殿は真反対で相容れないとすら囁かれたが、実際のところは違う。この行為を誰よりも二人が楽しんでいたし、忠秋にとっては信綱が、信綱にとっては忠秋が、その不思議な遊びのかけがえのない相手だった。無論、仕事が優先なので、それが主で熱中するなどということはない。むしろ箸休めのようなものだった。互いにそれぞれの問と解を持ち越すこともあった。それは忠秋にとっては特別だった。信綱がどのような表情でその答えを聞くのかを考えながら解を作り上げていくのは楽しい。
「好くことと嫌うことは何が違うんだ」
ある時突然信綱がそんなことを言ってきた。いままで忠秋との遊びの議論では、主に政についてのことが多かった。病んだ者の扱い、富める者と貧しい者の差などが問いになることがほとんどだったはずだった。だが今回は切り口が違う。
忠秋はその問いをしばらく考えた。そして短くこう返した。最初は短く、少しずつ互いの納得できるところまで落としていくのがコツだ。
「情としては同じでしょう、どちらも心が関わるのだし」
「同じか……」
普段ならばここで信綱が二、三問いをかけるものなのだが、今日はどうも違う。何かを言い澱んでいるようだ。忠秋は手元を動かしながらそっとしておいたが、しばらくして信綱がぽつりとこう言う。
「私は好きでも嫌いでもないものが多い。人は私を心のない人間だというじゃないか、もちろんそんなことはないが……何か関係あるのだろうか」
おや、驚いた。忠秋は思わずその手を止め、斜向かいにいる信綱の方をまじまじと見てしまった。普段と変わらないように背を正して座っているが、少し疲れているようにも見える。健やかな時はなんとも思わない他人からの言葉も、弱っていると効くものだ。何があったのだろう。
忠秋はふうむ、と視線を外しこう返した。
「無関心こそが憎しみよりも残酷なものだと私は思うけれど、伊豆殿は別に人に関心がないわけではないでしょう?むしろ私から見たら、物凄い関心があるように思えるんだけれど」
「まあ、関心がないわけではないが……それはどういう意味だ?」
「こういう問答を私としてくれるのは、自分だけじゃなくて人の意見が知りたいからじゃないかな……って、アハハ、自惚かな」
途中で忠秋は自分こそが信綱の特別だぞ、と彼の前で言ってしまっている気がして、思わず笑ってはみせた。信綱のことは好きだが、それを強制するつもりはない。だがたまにこうして偶に出てきてしまうのは、抑えるのが難しい。
「いや、それは私がお前のことを好いているからだ」
だから、その言葉は忠秋にとって今度こそ、それこそ持っていた筆を取り落とすくらいには意外なものだった。
「え?」
「なんだ、気がついていなかったのか」
何を今更と言った顔をするので、忠秋は目を何度かぱちくりさせ、こう訊ねた。
「そ、それは、どういう好きで?」
「好きに種類があるか、私はお前を好いている。不満か?」
「いやいやいや、待ってくれ!こう、あるでしょうよ、好きにも種類が……」
「お前とずっと一緒にいたい」
信綱は冗談と捉えられたことがどうもお気に召さなかったらしい。真顔で言い出す言葉は本来もっと甘いはずのものだ。こんな苦みばしるものではないだろうに。
この想いは秘めておこうと思っていたのに、信綱は知恵だのなんだの関係なく力づくで忠秋のそれを引き摺り出してしまったし、そのことの重要性にまだ気がついていないのではないだろうか。
「……私も、あなたを好いてますよ」
その言葉を聞いて信綱は少し安堵したような顔をした。こんな問答を提案してきたのはこれを言うためだったのだろうか。だとしたら彼は本当に目的の遂行のためならば手段を選ばない男だとしか言いようがない。もう少しあったろうに、何も仕事中に言うことではないのだ。いじらしいと思うと同時に末恐ろしい。
忠秋は、はぁ、と息をつく。それを見た信綱がなんだと言う。少しばかり照れているのかと期待したが、純粋になぜここで忠秋が溜息をついたか解らなかったようだ。
「墓まで持っていくつもりだったんですよ、こっちは……それに」
「それに?」
「どうせ言うのならば私が言いたかったものです」
そう言って立ち上がり、信綱の隣に座ると、その細い指に忠秋は自らの指を重ねた。熱を分け与えるように少し押し当てる。信綱はしばらくそれを不思議そうに眺め、されるがままだった。もう少し、と思って指を絡ませた。
「くすぐったい」
そう言って笑う信綱に忠秋はこう問うた。いつもと逆に、忠秋から問うのだ。
「伊豆殿は……私のどこを好いていますか?」
そこから二人はまた問答を繰り返した。何刻も、それどころか何日もかかったその答えは、二人しか知らない。