忠三郎の生まれた日は、それはそれは天気のいい日だったと聞いたことがある。なんとなく腑に落ちる。晴れた日の午後の日差しに忠三郎は似ている。何気なくそれを家中に話したら、与一郎の生まれた日は季節外れの夕立が激しい日だったと聞いて、それもなんとなく腑に落ちてしまった自分がいた。腑に落ちたくはないのだが。
誰しもが生まれた日のことを知らない。自分の影の外のことなんかわからないのは承知の上だが、なんとなく癪である。
死ぬ日はどうなるのだろう。戦いの場で血に濡れて死ねたら、それは理想だが、そううまくいくかなんてわからない。いきなり此の世から戦いがなくなることだってあるだろう。忠三郎とはそういう話を何度もした。忠三郎もまた、戦場で潔く死にたいと言っていた。
「畳の上で死ぬことがあったら、与一郎、お前が俺を殺してくれてもいいぞ」
冗談まじりにそう言っていた。与一郎も笑いながら頷いた。ああ、忠三郎が冗談をいうときの、細められた目の優しさが好きだった。そうだ。好きだった。憧れはいつしか途方もない感情の蟠りとなって与一郎の心の奥に沈んでいった。
しかし、それだけだった。その想いが発露することはなかったし、それを与一郎はよしとしなかった。このままでいいのだ。そしてどちらかが死んだときに、どちらか思い出してくれればそれだけでいいと。そう思うことで満足していた。
だから、嘘だと言って欲しかった。ただ心配させたかったと、お前の心配する顔が見たかっただけだったと言って欲しかった。
それならば忠三郎を殴って、許して終わったのに。代わりに壁の一つでも殴ってやろうと思ったが、殴ったところで何も変わらないことがわからない与一郎ではなかったから、やめた。
「もう治らん、この体はもうだめだ」
忠三郎は諦めた顔でそう言っていた。与一郎の顔を見て彼は泣いていた。周りの人間も泣いていた。まだ生きているのに、まるでもうとっくに死んでいて、与一郎にだけ生きている忠三郎が見えているようで。それが悔しいのに、何もいえなかった。見舞いに来たのに、まるで死水を取りに来たみたいではないか。普段の与一郎のようにそう言って怒れたら、どれだけ救われるだろう。でも、何も言えなかった。
帰り道に、季節外れの夕立があった。何かを示唆しているようなそれに何かを重ねてみたかったが、うまいこと思い浮かばずそれも腹立たしかった。
わかっている。同情で繋ぎ止めてもどうにもならないことを知っているから。何も言えなかったのはそういうことだというくらい。
一人にならないための人だと、そう思い込んで言葉を飲み込むことが一番忠三郎を苦しめずに済むということも。
それでも思ってしまうのだ。もしかしたらあんなに弱る運命はなにも忠三郎でなくてもよかったのではないか。お前の代わりなんていくらでもいると、強がれば強がるほどそんな枯れた思いは錆びついていく。
このまま終わるのかと思った。自分も、忠三郎も。この想いも。錆びついたまま朽ちていき、なんにもなかったことになるのか。
夕立降り頻る中、踵を返して与一郎は忠三郎の元に走った。
驚く顔をする忠三郎に、与一郎は周りに聴こえるのも憚らず、怒鳴るように泣いた。
一頻り泣いた後、まだ驚いている忠三郎を抱きしめた。痛い、と小さく叫ぶのも聞かず、荒く掻き抱いた体は、あの頃の憧れを微かに匂わせるだけでただただ痩せ細っていた。
「お願いだ、離してくれ、与一郎」
「嫌だ。お前のお願いは聞きたくない。もう一生聞かない」
これからの二人に意味はないんだと、そう自分に言い聞かせて、ただ泣いた。
終わりというものはあっけないものだと、知らない子供ではないはずだった。忠三郎がいなくなって初めてわかることばかりなのかもしれない。言い過ぎかもしれないが、この世のすべてがそうなのかもしれない。
きっと忠三郎がいないこれからの世界のほうが当たり前になるのだろう。気に食わないが、それは与一郎の一存で決まることではない。わかっている。
それでも、嘘でも何でもいいから、この事実だけを洗い流してほしかった。